16
彼が彼女の無残な姿を確認したのは、ラピエルが街を去った後の事だった。
あの時、マリウスは駆け出したアクサナを追い掛けたが、一心不乱に駆けていく彼女に追いつけなかった。また、彼の声は、叫びは走り行く彼女に届くことはなかった。
この時彼の心には迷いがあった。このまま行かせるのは得策ではない。間違いなく負けるという事は確信していた。しかし、自分は彼女を止める力を持っていないのではないかという後ろ向きな想いが彼の足を鈍らせた。
追いつけなかったのではない。追いつくことが恐ろしかったのだ。そしてそのまま女王の前に行くことが恐ろしかった。自信に満ち溢れて生きてきた筈の自分がこんな気持ちを抱くということなど考えもしなかった。決してこのような気持ちにはならないと思っていた事が、自分自身に対しての戸惑いをさらに増幅させた。恐怖と自分に対しての嫌悪感を内包した彼の心の中に響いた叫びは、彼の声帯から発せられる声をさらに小さくした。
その後、彼が現場に至ったのはラピエルが去った後の事だった。そしてその凄惨な光景を目にした時、自分自身を呪った。こんな事態を許すことなど絶対にあってはならない。後悔と後ろめたさを絶望の中に感じた。
一方、博士は限られた時間の中で彼女の痕跡を追跡し、この街まで辿り着いていた。ここを訪れた理由は、アクサナに会わなければならなかったからに他ならない。そしてもう少し距離を縮められれば、その位置も検知出来る。また、同時に遠隔でアクサナの状態を確認する事も可能だった。そこまで行けば彼の目的は殆ど達成したようなものだった。
念のため、ラピエルからできる限り距離をとり、およそ街の反対側に当たる地域に息を潜めていた。今ならもう動いても問題無いだろうが、出来るだけ目立たぬ様な行動を心掛けねばならない。
街の中をぐるりと一周するようなルートでアクサナを探し始めた。周囲は未だ騒然としていたが、その方がかえって好都合だろう。人込みに紛れる事ができるからだ。
捜索の末、微弱な反応を検知した。これは彼女のバイタルが危機的状況に陥っているサインだった。距離と方角によってその位置を割り出し、急ぎその場へ駆けつけた。そこに待っていたのは立ち尽くす一人の青年と、地にひれ伏す二つになったアクサナだった。
直ぐに駆け寄り、アクサナの状態を確認する。意識は無い。傷口から大量の循環液が流失している。それはまるでどす黒い血溜まりのようだ。このままではまずい。早急に処置をする必要がある。
持ち歩いている道具で応急処置を施す。これ以上の循環液の流失を防ぐ為に、傷口に止血ジェルを塗布する。多少の傷ならこれで治療出来るのだが、流石に四肢断裂や今回のような致命的な損傷はこれでは修復しきれない。何れにしても隠れ家に運ぶ必要がある。
「・・・・あんたはもしかして博士か?」
立っていた青年が声を掛けた。
「君は?まぁいい。兎に角手伝ってくれ。彼女を安全な場所まで運ばなければならない。」
マリウスは言われるがままに博士と共にアクサナの体を、二つになったものをそれぞれ担いだ。
簡単な自己紹介と今後どうするかを相談した後、博士と共に歩き始めた。一時は消沈していた気持ちも、今は少しだけ回復してきている。
博士の話によると、彼の隠れ家は世界中の至るところに点在しているらしい。そしてこの街の近くにもそれはあると彼は言っていた。これからそこへ向かう事になっている。差し当たっては街から出る必要があり、そして一番近い出口は、先程女王が作った穴だろうという結論に至ったのだ。
歩き始めて穴が開いた場所にたどり着くまでにそれほど長い時間は掛からなかった。実際に来てみると確かに壁に大穴が開いている。厚さ3メートル程ある壁に、直径で言うならおよそ5メートルの大穴が見える。
噂通り本当に恐るべき力だ。それに立ち向かったアクサナは何を考え、何を思っていたのだろうか。仮に勇敢と無謀を履き違えているのならば、それは是正してやらなければならないだろう。恐怖心の話と言えば、この前その当の本人は恐怖心があると言っていたな。もしそうであるならこんな事にはなっていないのではないだろうか。普段そんな事を思わない私でさえそれを抱いてしまったというのに。そんな彼女は、今は私自身が着ていたコートで巻かれ、他人から見えないようにして担がれている。それは半分の、いや、半身の話だが。
大穴の前には警備隊や半分暴徒化した市民が次から次へと集まって来ていて、いずれ衝突は避けられないだろう。文字通り一触即発の雰囲気だった。勿論このままではここを通る事など叶わない願いだ。
「やはり一筋縄にはいかないか・・・・。」
博士が独り言のような口調で呟いた。彼も考えている事は同じだった様だ。そんな博士の背中にはアクサナの上半身が背負われていて、その上から博士の上着を羽織らせてある。傍から見れば誰かを背負っているだけのように見えるだろう。その背負われているアクサナを見て、自分に出来る事をしなければならないと感じた。
「この人数相手に通用するかどうか分からないが、賭けてみるか。」
「考えがあるのか?」
「ああ、これから彼らに幻を見せ気を逸らす。その隙にここを通り抜けよう。しかし、失敗した時は・・・・良くて全速力で走る羽目になるだろうが。」
「ふむ、成功率は低いのか?」
「五分五分と言ったところか・・・或いはもっと低いか。ただ、人数が多くなればなるほど難しくなるだろう。」
この間にも市民が続々集まってきていて、大変な騒ぎになってきている。今のところ、真っ向からの衝突はないものの、仮に、彼らがここを突破しようと試みれば、当然警備隊もそれに応戦する。もしそうなれば収拾はつかなくなるだろう。どう転んでも混沌が待ち受けている事は誰が見ても明らかだった。また、自暴自棄になりかかっている市民からすれば、正真正銘に「どうにでもなれ」といった気持ちなのだろう。寧ろこの騒ぎに乗じて何かを企む者も大勢居るだろう。事が起きる前にここを去るほうが得策なのは明白だ。
「考えても仕方ない。どういう風にするのかは分からんが、賭けてみよう。」
博士はこういう博打をするタイプの人間なのか。てっきり理論と実績で動く人物だと思っていた。
過去に偉大な功績を残したという話は聞いた事があったが、今の今まで生きていたなんて、そんな事は知らなかった。きっと自分と同じように普通の人間ではないのだろう。それが悪魔の所業かどうかはわからないが。
「では始めるぞ。」
こんな多人数に対して魔法を使ったのは、一体何年ぶりだろうか。あの時は必死だったということだけは覚えている。あの時か・・・そんな昔の事を今になって思い出すとは、今日の自分はどうかしているな。とは言えあの時に比べれば自分の力も向上しているし、きっと大丈夫だろう。
そう言い聞かせながら、力を練る。ゆうに500人は超えているだろうか。暴徒と化した、頭に血の上っている群衆の意識を逸らすのはどちらかといえば簡単な方だ。怒りというものは、それだけで冷静な判断が出来なくなる。その材料になる。
両手を少し前に出し手のひら上に向け、その上に光の玉を作る。付近のものはその光に注目したようだが、直ぐにその光を上空に放つ。こうなったら正に注目の的だろう。それから散り散りに砕いて周囲に降り注がせる。まるで花火のようなこの魔法は、複数の魔法の効果を掛け合わせたオリジナルの魔法だ。その光のかけらに触れた者、或いは目視した者に対して、あらゆる幻を見せる効果がある。
そして今回選んだのは女王の幻だ。壁の穴の向こうから彼女が再び戻ってくるという幻。それを見たものは一目散に逃げるだろう。誰も自らの体に大穴を明けて欲しいとは思うまい。
先頭に居る者から叫び声を上げて大穴から遠ざかっていく。警備隊もそれに気がついて逃げ始めた。魔法の効果が現れ始めたようだ。しかし効果は長くは続かないだろう。急いで壁の穴へ向かわなければならない。
「何をしたのかわからんが、効果は覿面だったな。」
「あんたは・・・それより急がなければ、彼らが我に返らぬうちに。」
博士は間違いなくあの魔法の効果範囲に居たはずだった。詠唱者のすぐ隣に居たのだから。しかし何があったかわからないということは、それが効かなかったのだろう。人間には最も良く効くし、それに近いのなら効果は現れるはずだ。動物にすら有効なのだ。この博士は一体何者なのだろうか。
しかし今はそんな事考えている場合ではない。一刻も早く、ここから離れなければならない。
穴から外へ出る。その後、街の壁が見えなくなるまで走り続けた。
「自分で言うのもなんだが、魔法をかける事に成功した所で全速力で走るということに違いは無かったな。」
「つまりこれは失敗なのか。」
博士は笑っている。さながら冗談を言う様な口振りだ。
「いや、これは成功だ。失敗ならもっと全力で走っている事だろう。」
「ハハハ、そうか。それなら良しとしよう。」
博士の言葉が思いもよらず心に刺さる。これが成功か失敗かなんて後から決めればいい話なのだ。今は無事にここまで来れたという事実があればそれで成功なのかもしれない。少し安心したのか自分もいつの間にか笑っていた。
「あぁ全く、今日はおかしな一日だ。」
「簡単な損傷ならすぐに完治するんだが、今回は少々時間がかかりそうだ。」
隠れ家だという小屋に入るなりそう切り出した博士。あの後暫く歩き、ここに到着する頃には既に夜も更けていた。具体的には十数時間、数十キロに及ぶ大移動だった。近くにあると言っていたが、博士にとっての近くとはこのような距離の事なのか。と、ぼやきそうになるところを抑えた。
それは一見すれば単なるボロ屋か、良く言って倉庫。そうでない言い方をするなら浮浪者の住まうようなあばら屋だ。決して広くはないその小屋の中で、博士は一人で何かをブツブツと言いながら壁や床を調べている。
「あーあー、私だ。中に入れてくれ。」
博士は一体何を言っているのか理解出来なかった。ここには誰もいないし、それに既に小屋に入っているではないか。
すると低くうなるような音を立てて、何も無かったと思っていたあばら家の床が大きく口を開けた。その様子を眺めながら思わず自分の口も開いていた。
「ここだ。さあ中へ。」
博士と共に地下へと降りる。そこには簡単な寝台と複数の大小様々な大きさの箱が置かれている。取り敢えずその寝台に彼女を横たえた。
「さて、さっきの続きだが・・・ここにある設備で今の彼女の傷を治療するのは簡単な事ではない。本来なら体をそっくりそのまま新しいものに交換するのが望ましい程だ。」
改めてアクサナの姿を見る。その体は見事なまでに真っ二つになっている。博士もそれを見ながら続けた。
「人間だったら死んでいてもおかしくない。もとい、生きている方がおかしい程の状態だ。」
「・・・今更なんだが、彼女は生きているのか?治るのか?」
「彼女は機械人形だ。今は体の機能と人工知能が動作不良を起こしているだけだ。生きるも死ぬも無い。正常になれば活動を再開出来る。」
そうだった。アクサナは機械人形であって人間ではない。そんな事は初めから理解していた事だったじゃないか。ただ、その思考や行動がまるで人間のようで、人間のように振る舞うせいで、それを混同していた。いや、もしかしたら心の何処かでは彼女の事を人間だと思いたかったのかもしれない。
「そうだな。そうだった。だが・・・」
博士の言葉に少しだけ違和感を覚えた。彼は、博士は彼女を機械人形だと言ったが、だったらその前の言葉が引っかかる。博士がそれを物と認知していたとしたら「治療」という言葉は使わない。「修理」の方がしっくりくる。本当は、本心では博士も自分同様に、アクサナの事を人間として見ているのではないか。そう考えればこの言葉の選び方も腑に落ちる。
「だが?何か問題でもあるのか?」
「いや、済まない。忘れてくれ。」
これ以上突っ込んだ事を聞くのはよした方がいいかもしれない。何となくそう感じた。
「話は変わるが、君には感謝している。ここまで彼女を庇護してくれた。もしあの街で彼女一人だったら、騙されたり警察に拘束されたり事件に巻き込まれたりしていただろうからな。無事・・・・ではなかったが、もし一人なら出ることすらままならなかっただろう。」
それについてはハッキリ言って感謝されることでは無かった。実際に彼女は騙され、拘束され、更には事件に巻き込まれた。
「どうした?」
「ああ、いや当然の事をしたまでだ。」
という事にしておこう。
そんな話をしている間にも博士は手を動かし続けていた。さながら機械のように正確な動きは、二つに分かれていたアクサナの体をいつの間にか一つにしていた。その腕前は見事と言うより他なかった。その後博士は例の箱に向かって作業している。見たところ、体は治ったようだが人工知能とやらがまだ正常に働いていないらしい。
実はこの箱の正体については心当たりがあった。あれは魔法工学には必要不可欠なものであり、様々な事象を演算する装置らしいという事を、以前少しだけ聞いたことがあったからだ。
「これは・・・・・そうか、ということは・・・・・。」
博士はまた何かを呟いている。アクサナに独り言が多いのは彼に似たのかもしれない。直感的にそう思った。だからどうという事はないが。
「どうやら前言を撤回しなければならないようだな。」
今度はこちらに話しかけているのか。邪魔しまいと黙って考え事をしていたので少し不意を突かれた気分だ。
「データを見る限りでは騙されたり拘束されたり色々あったらしい。しかし、君が色々とサポートしてくれたようだ。何事も経験と言うが、正にそれだ。」
「つまりアクサナの周りで起こった事を今あんたが見ているという事なのか?」
「そういうことだ。」
「第三者に過去を見られるというのはなんというか、いい気持ちはしない。まるで日記を盗み読まれたような気分だ。」
「それは失礼。だが必要な事なのだ。・・・思っていた通りデータの修復にはもう少し時間が掛かるだろう。それまで少し外してくれるか?明日の朝また来てくれ。」
博士は私の答を聞く間もなく、私を外へと追い出した。
「仕方ない。少し時間をつぶしてくるか。」
地下から出ると光が目に飛び込んできた。眩しい。あれは朝日か。もう朝になっていたのか。しかし明日の朝に来いという事はつまり丸一日何処かで時間をつぶさなければいけないということか。
「あぁクソ、何をするべきか・・・。」
小屋の中を、地上部分をもう一度調べてみる。大したものは無かったが周辺の地図が壁に貼り付けてある。どうやら近くに集落があるようだ。そこへ向かってみるか。方角を確かめ、その集落へと歩き始めた。




