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あまりに強大で圧倒的な力に抗う使命。それは誰が見てもスーサイドミッションで、それは誰に聞いても無謀な命令だった。
しかしアクサナにはそもそもその任務に従事しなければならない理由が分からなかった。それを達成しなければならない理由も分からなかった。それは創造物は創造主に対して絶対の服従をしなければならないという理を持ち合わせていないアクサナの個人的な、客観的な意見だった。
一方でその任務を放棄する程の理由が、彼女自身の中に無いというのも事実だった。死ぬのは怖くないし、よしんば失敗したとしても、その時点で自分は既にこの世に居ないだろう。当然ながら、この世界に留まってやりたい事もないし、未練など尚更だ。
彼女は結果的には使命の為に動く事を選択した。ラピエルがこの街に来ていると言うのであれば、そのチャンスを逃す手は無かった。瞬間的にそういう決断を下したまでだった。
「破壊されたという壁はこの近くかしら。」
辺りは立ち昇る土煙と共に少しだけ焦げた臭いがする。倒れた家屋から火の手が上がっているのだろうか。一体どれほどの人達が犠牲になったのだろう。動けるものは逃げたのだろう。動けない者はどうしているのか。叫び声が飛び交う現場は、騒然としていたものの、しかし一種の静けさが支配していたように思える。
誰かが近づいて来る。ゆっくりと一歩一歩決まったリズムで発せられる足音。思わずそちらを注視する。煙の向こう側から徐々に現れる朧気なシルエットは、次第にはっきりと視認できるようになってきた。しかしたとえはっきりと見えなくてもそれが誰だか分かる。そこに居る人物と面識は無いが、知っている。同時になぜだろうか、少しだけ懐かしいという感覚もあった。
明らかな威圧感を伴って姿を表したのは、一人の少女だった。自分と同じくらいの年の頃だろうか。いや、外見がそう見えるだけで彼女は百年という時を過ごしてきた。そんな威厳に満ち溢れている様な立ち振る舞いに身をすくめない者は恐らくいないだろう。
その表情は氷のように冷たい印象で、その眼差しは決してこちらを見ていないような。違う、あの瞳をこちらが直視する事が出来ない。目が合ってはいけない。そんな恐怖感に支配されたのだ。
恐怖のオーラを纏った少女は、正面に居るアクサナに対して全く眼中に無いという態度で、ただ一点を見つめているようだった。彼女はアクサナや逃げ惑う市民には微塵も興味を示すことはなかった。彼女にとってそれらは辺りに散乱している瓦礫に等しい存在だった。
「あなたが女王ですね。」
声を発したモノを一瞥した少女。彼女はその呼び掛けに答える事なく視線を戻し、歩みを再開した。
「待ちなさい!私はあなたを破壊する命を受けています!」
ピタリと立ち止まる少女。それからゆっくりと振り返りアクサナと向き合う形でじっと見つめた。
「・・・・私をどうするつもりですって?」
威圧感は殺気に変わり、その気迫は空気を震わせている様な感覚を与えた。目に見えない筈のそれは、確かな存在感と共にアクサナに襲いかかった。
アクサナは咄嗟に腕を交差して顔を隠し頭部を守った。気迫の波は強い力でもって全てを押しのけようとする。それに対して彼女は前傾になり踏ん張って耐えた。
衝撃波が収まる頃には二人の周囲の瓦礫は吹き飛び、そこはまるで円形の広場のような空間が出来上がっていた。
何も言うことは無い。そう言わんばかりの表情で少女は右手を前に出す。そこに光が集まって形を作っていく。水平に形作られたそれは、青白く強い光を纏った剣のようであり、薄くしなやかな刀身は少しだけ反りがある様に見える。下げていた左手にはいつの間にかその剣の鞘を携えていた。
少女は右手の剣を軽く振り、くるりと回すと左手に作られた鞘の中に、光り輝く刃が綺麗に収まった。それと同時に構えに入った。腰を落とし少しだけ前傾姿勢をとる。
一瞬の出来事だった。何が起きたのかわからない。立っていられない。何かの向こう側にあの少女が見える。どういう事なのだろうか。これは何なのだろうか。ああそうか、これは私の足だ。足だけはまだそこに立っていた。その立ったままの私の足を、地面に伏せて見上げているんだ。その上半分は、無い。真っ直ぐに一直線に無くなっている。意識が遠のく。何が起きたのだろう。異常を示すアラームがけたたましく頭の中で鳴り響いている。その合間に何かが聞こえる。
「博士、スティーブン・ワイズマン。どこにいる。」
微かに、そして最期に聞こえた声。あの少女の呟く声。博士、確かに、聞こえた。立っていた足が膝から崩れ落ちた。
これがアクサナが初めてラピエルと見えた、その結末だった。アクサナはラピエルの足元にも及ばなかった。いや、それすらも適わない。圧倒的な力の差は単に百年の歴史というワードで語り尽くせるものではない。どこから、どの角度からどう見ようとも、アクサナがラピエルを倒す事は不可能だった。今のままでは到底。
時間は少しだけ遡る。アクサナと同じく、正確にはこの街の中に居たもの全員と同じくだが、あのしたたかな少女も、その轟音が鳴り響いたのを感じ取っていた。
嫌な予感は的中した。何が起きたのかを確かめなければならない。直感的に思った。そう思ったときにはその音のする方に駆け出していた。
一体何があったというのだろうか。人の波がこちらに押し寄せてくる。その逃げ惑う人々の激しいうねりの中、素早く、軽い足取りでその荒波をかいくぐるように抜けていく。右へ左へ人の間を縫うように走り抜けていく。まるで目の前に押し迫る人物が、次にどのように動くのか知っているかのように身をかわす。
暫く走ると煙が上がっているのが目視できた。ポイントは恐らくもうすぐだろう。人の波も収まり、自分で歩ける者はもう逃げたのだろう。周囲には負傷者や病人、老人や足の不自由な者がそこら中でうめき声を上げている。こんな自分にすら助けを求めて手を伸ばすものさえあった。
それらを無視し、先を急いだ。ここからは警戒して進まなければならない。物陰に隠れながら兎に角進む。しかし足を止めざるを得なかった。なにやら前方からとてつもなく危険な気配がする。まるで鋭利なナイフで胸を突き刺されたような、痛みすら感じるほどの、殺気に似た気配だ。ただ事ではない。普段こんな風に動悸など起こす事は無い。心臓の音がこんなにはっきりと聞こえるなんて今までに体験した事がない。
こんな破壊が、ものの数秒で行われる程の、巨大な危機が迫っていたのは分かっていたが、いざ目の前に、その光景に直面すると、その認識は甘かったと言わざるを得なかった。
実はここへ来る途中、すれ違う人々の叫ぶ声でなんとなく状況は察していた。女王が来て壁を壊したという事を。そしてこれは好機と捉えた。もし壁に穴があいているのならそこを通って外に出るしかない。走りながらそう決断した。
女王に関しての噂も耳にしたことがあった。この国の女王は人間ではない。それも百年以上もそこに君臨していて、国を治めていると。
その話を聞いた時、ただならぬ嫌悪感を覚えた。自分は、この街から出たことすらなく、それはそれは底辺の、ゴミクズ同然に生きている。政治の事はわからないが、世界には自分を支配している者が居て、自分にこの境遇を、生活を、強いている者が居る。しかもそいつは自分がこんな風に生きているなんて知らないし、気にもかけないのだろう。そしてそいつは自分だけ豪勢な、贅沢な暮らしを繰り広げているのだろう。体の震えが止まらなかった。その話を聞いたときには、そんな言葉にならないほどの憎悪を抱いたのを記憶している。
その憎悪の対象がまさにここから目と鼻の先に居る。到底現実とは思えなかったが、受け入れるのは得意だった。それに順応するのも得意な方だ。女王は恐らくこちらに気がついていないだろうし、気が付いた所で、こちらから何もしなければ命までは奪わないだろう。仮にそうでないとしたら、この辺り一帯は既に血の海になっているはずだ。冷静に行動すれば大丈夫だろう。
人目につかないように壁際を進む。進むほど焦げた臭いは強くなり、空気は埃っぽくなる。砕けて崩れた家屋の山を乗り越え、絶妙なバランスで形を保っている瓦礫のアーチを潜り抜け、遂に壁に開いた大穴を発見した。分厚い石の壁にこのような大穴を明けるなんて、恐るべき力だという事はこの光景を見れば誰であろうと理解できるだろう。そしてこの事態が、もし無事に収まることがあれば、ここも警備が敷かれる事だろう。今はまだ誰も居ないが。
壁の穴から外へ出る。この街に未練など無い。脱出計画ももう必要ない。自由になれたのだ。今日からどこへでも行ける。
外の空気は今まで吸っていた鬱屈した陰湿で悪辣な空気とは比べ物にならないほどに、青々としていて澄み切っていた。出来る限り大きく息を吸って深く吐いた。日差しはまぶしく輝いて、清清しい風が頬をなでた。今まで生きてきてこれほど嬉しいことなど他に無かった。
結局、この少女は女王の姿を目にする事は出来なかったが、これも僥倖だった。彼女は外に出る準備も無かったが、人の波をかいくぐっている最中に、必要そうなものをスリ、また、人の居ない商店などから物資を盗んでいた。混乱は常に彼女の味方だった。行きがけの駄賃に盗んだ小さな鞄には数日分の食料やナイフなどのサバイバルに必要な装備を詰め込んだ。走りながら旅の準備を整え、振り向く事もせずにこの街から飛び出したのだった。
一方、ラピエルは博士を探してアラマントの街に赴いた。この情報は間違いではなかった。博士もまた、この街に来ていたのだ。構造上、博士の体からは微弱な電波が常に発せられていて、それを頼りにラピエルは博士を追っている。アクサナを起動した時に長居が出来なかったのは、そういう事情があっての事だった。
そして博士自身もその電波の事は知っていて、その追跡をかわすための方法を用意していた。しかしその装置にも欠点があり、ある程度の時間が経過すると効果が薄れてしまう。再起動をかければ再び正常に作動するのだが、その間の僅かな時間に察知されてしまう可能性があった。現にラピエルが街を訪れたのはそれのせいだったが、ある程度のリスクは避けられなかった。
対策はとってあった。その僅かな時間が命取りになる事を想定して、ダミーの電波を発する装置が各所に仕込んである。一度発してしまえばもう使えないものだったが、時間は稼げる。しかしそれでも限界が近いのも事実だった。
博士を殺す事は今の、改造されたラピエルにとっての最優先事項として設定されている。もし博士が死ねば、ラピエルの次の目標はその他の人間に、人類全体に移りかねない。そうなればこの世界は滅ぶだろう。ラピエルは無尽蔵に無差別に無計画に無関係に全てを破壊し尽くす事が可能なのだ。
「もう少しで別の場所からの発信がある。そうなればラピエルはこの街を去るだろう。」
時計を見ながら呟いた博士は、アクサナが既にこの街に来ていたのを知っていた。つまり、二人は今この街に居るのだ。本来なら避けなければならない事態だが、なんだか懐かしい気持ちになった。不必要なデータは別途保管してあるが、これはいつも持っているデータの一つ。ラピエルにアクサナを見せたときの記憶だ。と言っても、その時アクサナに意識は無かったが。
「しかし、この一件でラピエルが糾弾されるような事にならなければいいのだが・・・・。」
二人の、二人を取り巻く世界の状況を考える。自分が自分としてやれることはやるつもりだ。彼女たちは機械人形ではあるが、れっきとした心を持っている。
そもそも人間は人間である以上、人間として生きていかなければならない。現在のこの国では、選択する事、その権利を奪う事は誰にも出来ない事になっている。原則として、人間は自らの生きていく上での活動を自らの意志で選択できる。それを抑圧したり弾圧したりする事を禁じている。
では、それが人形なら機械なら、それを許す事は出来ないのか。彼らは、彼女らは人間ではない存在で、そうでないからこの権利は持っていないものなのか。許されない事なのか。
現実にこの国の執政はその機械の力で行われていたではないか。彼女はそうする為に生まれてきた訳ではなかったが、それを強く望まれてその地位に立ったまでだ。
今はまだこれは行われていない事だが、彼女のように優秀な機械人形がこの世界に大量に生まれたとしたら、大量に生産されたとしたら、その子達の権利はどうなってしまうのか。
それを危惧しているのだ。自分が作った子供たちを、或いはその技術から生まれた子供たちを、単なる労働力として、単なる人形として、人間が行使し、酷使するような事が起きるのではないのかと。金に目の眩んだ人間なら、無制限に、無尽蔵に活動できるこの子達をそういう身勝手な理由で使いつぶす事態が起きるのではないかと。
単純な問題ではないのは判っている。でも、見た目は人間と同じで、中身もその振る舞いも人間そのものな存在を、人間として認めない事は間違っているのではないか。
彼女たちをそういう風にデザインしたのはそういった考えがあったからだ。長らく休止状態になっていたアクサナを今回目覚めさせたのは、確かに苦肉の策だったが、もし彼女が自我を芽生えさせ、自分の判断で行動できるようになった時は、その使命を放棄する事も認めてやるつもりだ。はっきり言ってこんな事を誰かに強要する事は出来ない。
自らの作であるが故に、その脅威も熟知している私からしてみれば、心の片隅ではアクサナがラピエルと出逢うことなく過ごせるのであれば、彼女が幸せならそれはそれでいいと思っている。この事態を収拾する義務があるのは他ならぬ私自身なのだから。
アクサナとラピエルに思いを馳せていた博士は、まさか今、そのアクサナがラピエルによって真っ二つにされているとは思いも寄らなかっただろう。




