13
その後始末はそれなりに大仕事だった。マリウスがどこからか持ち出した荷車に大男達を乗せて運んだ。本当にどこから持ってきたのだろう。ともあれ彼は車を引き、彼女はそれを後ろから押した。
目的地までまずまずの距離で、到着する頃には東の方の空から次第に薄暗くなっていて、空の真ん中はなんとも言えないグラデーションで、見ていると吸い込まれてしまいそうな雰囲気だ。
もうじき夜が訪れるであろうこの街の中に、しかしその建物の周囲一帯はまるで昼間の様な明るさを保ったままだった。彼女はこの場所を、その場所として認識するのには少しだけ時間を要した。昼間の姿とは明らかに印象が違うこの場所が、例えその周囲を昼間のようにライトアップしていたとしても、それはそれで別物だった。当然同じ土地であり同じ建物であるわけだが。
そこはアクサナがまさに今日の午前中を丸々拘束されていたあの仰々しい建築物、その場所だった。今日の今日、金輪際こんな所には来ないと心に誓っていた筈なのに、それに気がついた瞬間、あまりにも早い誓いの反故に暫し絶句してしまった。
「どうした?もう少しだ。手を貸してくれ。」
彼が振り返り、発した声によって、彼女は我に返った様子で再び荷車を押し始めた。
「御苦労様です。」
荷車が入り口に差し掛かった所で守衛が声を掛けた。
「コイツらを引き取ってくれ。」
「わかりました。」
守衛は見張りのために建てられたであろう小屋に引っ込んだ。それは門の近くに据え付けられた、人一人、或いは、二人が入ると身動きすら取れなくなるほどの広さしかない小屋だったが、守衛はその中からクリップボードを一つ二つ携えて戻ってきた。それをパラパラと捲りながら、男たちの顔や特徴を確認している。
「5名の身元を確認しました。これを奥の担当者に渡してください。」
彼は紙切れをマリウスに手渡して、荷車を何処かへ引いていってしまった。
そのやり取りをぼんやりと眺めながら考えていた。彼は仕事をすると言って、治安の悪い地域の酒場に乗り込み、男を数人気絶させた挙句、荷車に乗せて悪趣味な建物へと運び込んだ。これだけ聞くと単なる拉致事件ではないか。もしかしたら物騒な事に付き合わされたのかもしれない。
「どうした?行くぞ。」
「あ、はい。」
少しだけ足取りが重くなる。本当はそこへは行きたくなかったが、仕方なく付いてきた。部屋の中に入って直ぐ、彼は正面に座っている人に声をかけ、今しがた貰った紙切れを手渡した。
「どういうことなのですか?」
「これも一種の仕事だ。法に則った方法で仕事をして金を稼ぐ。これなら問題ないだろう。」
彼は壁の方を指差した。そちらの方を見るとその壁は大きな掲示板になっていて、人相の悪い人たちの顔面の写真や人相書きがびっしりと張り出されている。
「・・・・手配書?」
「これはつまり犯罪の被害者が出資して犯人を捕まえて欲しいと言う嘆願の一種だ。この街ではそういう法があって、それを執行する仕事が存在する。勿論、本人が晴らせる恨みであれば本人が行くのだろう。しかしそれが不可能な場合、金さえ積めば誰かがそれを代行する。そういう制度だ。例えそれが個人的な恨みであったとしてもな。」
犯罪が多いこの街では、それを断罪する者が必要なのだろう。無法を許すのであれば、その時点で秩序を保つ事は出来ない。もしそれがこんな閉鎖された空間で起こってしまったら、外側の方が間違いなく安全だろう。しかし、それが本当に全うな方法なのか甚だ疑問である。現に、今朝自分を拘束した人々が行うべき責務を他の誰かに丸投げしているだけなのではないか。
『全うな方法では時間がかかってしまう。手っ取り早く稼ぐには法を破れば良い。しかしそれを良しとしないなら・・・』仕事を始める前の彼の言葉を不意に思い出した。
「こういうものもこの世界には必要なのでしょうか?」
「さぁな。しかしそれで金が手に入るのだから良しとするのが私の身分だろう。」
彼はそれ以上のことは喋らなかった。手続き終了にはもう少し時間がかかるのだろうか。居心地と趣味の悪いこの建物を出るまでのもう少しの間、この場所について思う事を整理してみよう。幸い、待合室のようなこの場所には、腰を掛けることのできるブースが設けられている。
そこで少し落ち着いて今朝の出来事を思い返してみる。今朝来た時には、奥の狭い部屋に連れて行かれた。あの部屋は今思うに、きっと先ほど私たちが運んできたような人たちを連れてきて話を聞く場所なのだろう。
あの店の主を殺害し、火を放ち、金品を略奪したという疑いを、私にかけてきたからこそ、あの部屋へ拘束し、尋問したのだろう。しかし、それではその後にすぐ疑いが晴れたから釈放なんていう措置をとる事に対していささか疑問に思う。そもそもあのタイミングで、“信頼の置ける情報筋”からの情報を得ていたのなら私を拘束する必要など無いではないか。ましてその話をした彼はあの部屋から一度でも出たという記憶はないのである。確かに、この街の中で私の風貌は少し目立つだろうが、それだけでは捕らえられる理由にはならない。何か他に理由があったのではないか。
とは言え、それを示す証拠も無く、推測の域を出ない話だった。そもそも私はそこまで考えて行動しているわけではない。未来の事や、自分の知らないような事実なんてわかるわけが無いではないか。変に考えるのは止すべきなのかしら。
そんな思いに耽っている間に手続きを終えたマリウスがこちらに向かって歩いてきているのが見えた。立ち上がり、ここを後にする準備をする。準備と言うほどのものでもない。ただ、立ち上がり、ブースの外に出るだけだ。
「今日はもう宿に戻ろう。君も今すぐにでも活動停止してもおかしくないほどに動いただろう。」
「まだもう少し平気です。」
これは心配しているのか、それとも単に皮肉を言っているだけなのか、判断しかねる言葉だったが、なんとなく真面目に答えてみた。まだもう少し平気なのは事実である。実際、今日も今日とて朝からよく判らない事が盛りだくさんで、今さっき座っていたときに既に半分落ちかけていた部分もあるが、そんな様子は恐らく見られてはいないだろう。それに、完全に落ちたわけではなく、少しだけ落ちかけただけなのでまだもう少しなら平気だ。多分。
そう言い聞かせながら、厳つい悪趣味にライトアップされた建物を後にする。依然として大勢の警備が見回りをしていたが、ここを見て回るくらいなら街の中を見て回ればいいのに。とぼんやり思った。
黄昏は過ぎ、夜が訪れたものの、街中では多くの人が未だに活動していて、昼間ほどではないにしろ人通りが少ないと感じるほどではなかった。彼の店主が亡くなった時はもっと夜が更けていたらしいが、それくらいの時間になれば流石に人は居ないのだろうか。
あの店主はあんな風になってしまった事について、何も思わないと言う事はない。勿論騙された側の人間としての話だが。しかしそれは単純な思いではないような気がする。分けて考えてみると、半分は、彼はそういうことをして、また、し続けた報いを、当然の報いを受けたのだというある種の爽快感。もう半分は、自分が少しでも関係した人物がもうこの世に居ないという漠然とした虚無感。特に同情しているわけではない、むしろ思い出しただけでも腹が立つ。
ただ、死というものが人には常に付きまとい、時としてそれは突然に襲ってくるものなのだという事実を、自分の身の回りの出来事として感じただけだ。
夜がそうさせているのか、それかどうかはわからないが、そういう心持がした。
宿に到着すると、昨夜を同じくシャワーの水を頭からかぶる。汗をかくわけでもない。汚れが気になるわけでもない。ただ、この行為自体が気に入り、楽しむ為にやっている。体の表面を伝う水は、なんともいえない、むずかゆいような気持ちがいいような気持ちが悪いようなよく判らない感じがする。かつて、と言っても数日前のことだが、豪雨の中歩き回っていたあの時とは感じ方が全く違っていて、頭の上から覆いかぶさるように流れる水や飛沫を全身で感じるのは好きだった。そうする事でなんとなく気持ちが落ち着いた。
ひとしきり遊んだ後、部屋が水浸しにならない程度に体についた水分を拭き取る。シャワー室から上がると、すでに食卓で夕食を取っていたマリウス。その正面に位置するように座り食卓の上を眺める。
「また何か食べてるんですか?」
その料理が何なのかは知らない。ただ、彼は焼いた肉を切りながら食べているということだけはわかる。
「失敬な。人は一日三食食べるものだ。とは言え私は朝は食べない主義だがな。」
「三回ですか。・・・大変ですね。」
「大変と思うか、楽しみと思うかは人によって違うだろうが、大抵の人間は楽しみとしているだろうな。私は特に後者としての要因が強い。何せ別段何か食べなくても死ぬ事は無いのだからな。」
「それでは、なぜ食べてるのですか?」
「だから言っただろう。楽しみにしているからする。それだけだ。昔、一ヶ月ほど何も口にしない事があってな。流石に死ぬほど腹が減ったものだ。とは言ってもその時は死にはしなかったし、空腹では死ねないこともはっきりとわかったがな。」
楽しいからやる。という感覚はとてもよく理解できる。現に今しがたやってきたシャワーを浴びると言う行為が自分にとってのそれだったからだ。食事に関しては理解に苦しむが、そう考えればなるほど。納得がいく。生きる為には楽しみがなければならない。人生楽あれば苦あり。毎日苦しい事ばかりではやってられない。実際、生まれてこのかた、苦しい事ばかりで大変だった。ここ数日は軽く使命の事すら忘れてしまっていた。こういうどうすればいいかよく判らない問題に対しても、楽しい事が存在するか否かで、前向きに向き合っていけるかどうかが変わってくるような気がする。少なくとも、意味も無く絶望することはなくなるだろう。
「あれから話をしなかったので、気分でも害したのかと思いましたよ。」
「他人の気分を窺うようになったのか。それとも単なる軽口か。何れにしても一つだけ言える事がある。」
「・・・?なんでしょうか。」
「もっと警戒するべきだったと言う事だ。特に街中では誰が話を聞いているかわからない。この部屋でさえそうなのだ。昨夜、君はぐっすり寝ていたが、実は色々あったんだぞ。文句を言うつもりは無いがな。」
「そうなのですか。」
「おかしいと思わなかったのか?あの少女にしても、あの店主にしても、公安にしても。」
「おかしいとは思いましたよ。でも、結局考えても解らないという結論に至っただけです。」
「全く・・・。まぁいい。でももう一歩、その先を考える方がいい。とだけ言っておこう。」
「はい・・・・。」
なぜだろうか急に怒られた気がした。
「さて、昨日の夜に何があったのか。という事から説明しよう。」
「今からだとそうだな。丁度24時間前なのか。君は一人の少女を連れて、この部屋にやってきた。シャワーで汚れを流すように促したら体も拭かずに飛び出してきて、後片付けが大変だった。」
「それはもう言わない約束です。」
「それは君が一方的に言うなと言っただけだろう。そういうのは約束とは言わない。前回は君の主観だっただろう。話の腰を折るような口の挟み方は慎んでくれ。これは私の主観なのだ。」
「別に言わなくても良い事を言う必要はないのではないでしょうか。」
「ふん。文句を言うなら根に持つぞ。事あるごとに引き合いに出してやるからな。」
「ぐぐぅ・・・。話を続けてください。」
「よし。いいだろう。君が連れてきたあの少女。私はてっきり食事を平らげた後、ベッドで熟睡しているとばかり思っていた。しかし、あれは寝たフリだった。君が眠った後、私がシャワーを浴びている隙に抜け出したようなのだ。私の財布ごとな。」
「え?あ・・・。そうだったのですか。しっかりしてくださいよ。」
「はぁ・・・・。そうだな。これは完全に油断していた私が悪い。あの子は私が思っていた以上にしたたかだった。」
「それで、どうしたのですか?」
「もう夜はどっぷりと更けていたし、あの子がどこへ行ったのか見当もつかなかったが、取り敢えず探しに出かけた。運がいいのか悪いのか、私は彼女を見つける事が出来た。それも君が騙されたと言っていた店の前でな。暗くてよく見えなかったが誰かと話をしていたようだった。君が話した内容を、あの部屋の金庫に大量の金を隠し持っている事を情報として売ったのだろう。そういう取引をしていたものと見ている。」
「情報を売るのですか?」
「あぁ、本当にしたたかだよあの子は。そうやって生きてきたんだろう。そしてこれからも・・・・。まぁそれはいいとして、その後あの店で、・・・君も知っているだろう。例の事件が起きた。調べてみたんだが、あの店主は普段はもっと警戒心の強い男で、普通なら人前で金庫を開けることもないし、そもそもあの店で取引する事はないようなのだ。恐らく、君があまりにも急に来た上に、一目で簡単に騙せると思ったのだろう。それに君のような旅人が街の住民にそのような情報をもたらすという事は考えにくい。奴は君に対して油断していたのだろう。勿論、君に警戒心が無さ過ぎたからだろうがな。」
「あの子がそんな事をしたのですか。」
「ショックか?人を見る目がもっと必要だな。君の話では暴行を受けていたらしいが、もしかしたらそれも怪しい。」
「ええ。今日、捜しに行ったときにその暴行を行っていた男たちから何かを渡されている所を目撃しました。多分、そういう事だったのでしょう・・・。」
「なるほどな。しかしそんなに金を持っているのに一体なぜあんな汚い所で生活しているのだろうか。生き馬の目を抜くあの子ならそんな身分に身をやつす事は無いだろうに。」
「・・・・・。」
「なんだ?もう寝たのか?まだ平気だったんじゃないのか?」
「起きてます。でももうあまり平気じゃないですね。」
「まぁいい。昨日の夜起きた事はこのくらいだ。」
「・・・お金が盗まれたから、今日あそこに行って“仕事”をしたのですね。」
「言っただろう。蓄えから出せば金はあると。手持ちの分は盗まれたが、到底困らない程度には預けてある。あれは君の稼ぎたいという意志を尊重して、一つの仕事を“紹介”したまでさ。」
「はぁ・・・。私は見てただけでしたけどね。そうだ。あの時何をしたのかよく判らなかったのですが、あれは魔法ですか?」
「そうだな。半分は魔法。もう半分は手品だ。幻を、幻覚を操る魔法だ。多分君も練習すれば出来るだろう。そもそも魔法の力で動いているのだろう?」
「試した事がないのでなんとも言えないです。そもそも魔法というものが何なのかというところが余りよくわかっていないので。ただ、自分のエネルギーを力に変えて出力するという感じで使えるというだけで。」
「大して違わないだろう。理論が解れば大抵の魔法は扱えるものだ。私はこんな体になる前から使えたんだ。少しだけだったがな。」
「・・・・・・。」
「今度こそ寝たか。」
彼は彼女を抱きかかえると、ベッドに寝かせてやった。見た目は本当に人間なのに、中身もまるで人間なのに、それは機械で、魔法で動く人形で、この街に居る人間よりも、より人間の心が通っているようにも見えるのに。
改めて彼は自らの罪を呪った。今こうして生きているという事は、つまりこれが、この出会いが運命だったのだろう。そして今、こうしていることもまた・・・。この娘がこれからどういう風に生きていくのかを見届けるのが自分の使命だと感じていた。




