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空気を読むという能力は誰にでも備わっているものではない。本来なら、人を助ける為に作られた機械人形だったなら、その能力も持たされて生まれてくるべきだろう。
しかしアクサナに関しては状況が少し違った。当初の目的であった魔物を倒し人を助ける事から外れて、それを成し遂げた筈の女王を倒す事に目的自体が変わってしまったこと。加えて彼女の起動の際に起きていたデータの破損。ある程度の修復が行われた故に致命的な異常が発生することは回避されたものの、あらゆる部分でその影響が現れている。本来、あるべき姿から外れている。
例えば、ものを忘れるということ。他人の神経を逆なでするようなことを言うこと。その後に何が起こるのかよく考えないで行動すること。言い出したらきりが無いが、それらの原因はそのデータの破損に起因していると言っても過言ではなかった。
けれども今の彼女のアイデンティティはそれによって形成されているというのも事実である。それが良い事なのか、悪い事なのかは誰にも判らないが、現実の世界では大抵悪い風に働くのは言うまでも無い。それが良いか悪いかというのもまた別の話だが。
有無を言わせず従わせるほどの高圧的な態度というのは、大抵の人間にとっては想像に難くないことでもある。生きていれば誰もが感じる『自分の力ではどうしようもないほどの権力』。機械人形に対してもそれは例外ではなく、空気を読む能力を殆ど持っていないアクサナに対しても例外なく、遺憾無くその力を発揮した。
「これからどこへ行くのですか?」
「黙って歩け。」
腕っ節の強そうな人たちに囲まれて歩くアクサナは、重々しい空気を全く気にすることなく口を利く。そんな軽口に対する返事は何を聞いてもその一点張りだった。
大通りをひたすら歩き続け、見えてきたのはこれまた大きな建物で、見るからに厳つく、そして大げさなほどに見張りが立っている。
アクサナを取り囲む一団は、その敷地の入り口で軽く会釈した後、その建物に向かって歩いていく。必然的にアクサナもその建物に向かうことになるのだが、彼女はその厳つさに対して“大げさなものだ”と、少し皮肉めいたことを思っていた。当然彼女には自分の周りを取り囲んで行進する人たちも、この厳つい建物も、一体何なのかわかっていなかった。
行き着いたのは大きな建物の中の薄暗く長い廊下を進んだ奥の小さな部屋で、その中央にテーブルと椅子数脚が、天井からぶら下がった決して明るくないライトに照らされている。それ以外何も無い部屋だった。強いて言うなら壁一面に鏡が取り付けられているくらいか。
部屋の中には男二人が一緒に入って来ている。一人は恰幅の良い見るからに野蛮そうな男で、もう一人はすらっとした男だ。
先ずは椅子に腰掛けるように言われ、座る。すると向かい側に恰幅の良い方の男が座り、話を始める。もう一人は壁に寄りかかってこちらを見ている。
「この街では自治権が認められている。それに準ずる組織として、我々がある。それはこの街における事件や犯罪行為を独自の法に則り、取り締まる為の組織である。この街の中で起こった事件にはここの法が適用される。たとえそれが外部の人間だろうとな。」
「そうですか。」
「あんた、名前は?」
「他人に名前を聞くときは自分から名乗るのが礼儀。でしたっけ。」
あの気味の悪い館の主が言っていた事を思い出して言ってみる。
「ここではそういうのは必要ないんだよ。いいから言え。」
男は完全に怒っている目だったが、ある意味で怖いもの知らずのアクサナは動じることは無かった。とはいえ、ここで意地を張っても仕方ないか、と折れることにした。
「・・・・アクサナです。」
「出身は?」
「わかりません。」
「どこから来たのかわからないというのか?」
「・・・ええ。強いて言うなら・・・・森?から来ました。」
「森って言ったってどこにでもあるじゃねえか。どこで生まれたか、どこで育ったかを聞いてるんだよ。」
わからないことをわからないと言って何が悪いのか、少し気分が悪い。続く言葉も必然的に喧嘩腰になる。
「生まれてもいませんし、育ってもいません。」
「なんだてめえ舐めてるのかッ!?」
たまらず男が立ち上がり、テーブルに両手を叩きつける。大きな音が頭の中で響いた。
「まぁまぁ落ち着いて、まぁとりあえずその辺は置いといて、昨日あったことを話していただけますか?」
少し離れて見ていたもう一人の男が口を挟む。その口調は先ほどの男と違い、物腰が柔らかい。なんとなくこの人には話をして良いか。と素直に思った。昨日あの店で起きたことを順を追って話した。彼は適当に相槌を打ちながら聞き、一通り話しが終わると、こう切り出した。
「実は・・・ここ最近、あの男に対して訴え出る人が急激に増えていたんですよ。あなたは旅人でしょう?ですからよく知らないと思いますが、我々も彼に目をつけていました。それで、昨日あそこに入っていたあなたの存在も知っていた訳です。ここだけの話、あの商店が燃えているのに気がついたのは我々だったんです。真夜中は人気が無いにもかかわらず、火事を発見できたというのはそういうことだったんです。」
なるほど、あの新聞記事と今の話で大体どういう状況だったのか理解できた。
「ここ数日の内に、あの店を訪れた人で、尚且つあの焼け落ちた現場に来ていた人から話を聞いているんですよ。放火犯は現場に戻ってくるものですからね。」
あの火事を起こした犯人として、私は疑われていたのだと、その話を聞いて理解した。しかし、もし私が犯人だと思っているのならこんな話はしないのではないだろうか。
「どうして私にそんな話をしているのか?という顔をしていますね。」
ハッとした。まるで心の中を読まれているようだ。
機械の表情を感じ取るこの捜査員は、なかなかのものである。それとも、誰かのこだわりで表情豊かに仕上げられたアクサナの方が天晴れなのだろうか。
「その理由は、とある信頼の置ける情報筋から、あなたはこの事件とは無関係だという情報を得たからです。それと、あなたは友人にもっと感謝すべきですよ。」
その後、アクサナはあの厳つい建物から外に出ることを許された。恰幅の良い男は不服そうな顔をして睨んでいたが、そんなこと構うほどのことではなかった。
外へ出て一息つく。あの建物内は重苦しい雰囲気で息が詰まりそうだった。とはいえ、外に出たら出たで埃っぽい空気なのだから結局息は詰まる。いや、機械人形がそもそも息などしてはいなかった。
「さて、これからどうしましょう。というか・・・」
一体全体何が起きているというのか。
昨日から、この街に着いてからと言うもの、ろくな事が無い。所持していた財産は騙し取られ、残った僅かなお金も毟り取られ、挙げ句の果に今日は公安に絞られて、そう思うとまだ昼前だというのにどっと疲れてしまった。
気を取り直し疲れた頭を回転させてじっくり思い出す。
朝の時点で部屋には自分一人しか居なかった。マリウスはともかくとして、あの少女の姿が見えないのは不可解だ。自分があろう事か寝坊してしまった事も、ここまで来れば失態だったと言わざるを得ない。
マリウスが部屋を出る前に、夜明け頃に目覚めていれば、あの少女が部屋を去る前に目覚めていればと、そんな後ろ向きな意識に苛まれてしまった。
通りには依然として多くの人々が行き交っていた。人の流れは入り乱れ、どの人もその流れに揉まれながらも、確かな意志を持って自分自身の進む道を見据えているように見えた。
「みんなどこへ向かっているのかしら・・・?」
ふとした気まぐれでその行く先を目で追う。時分は丁度昼飯時。多くの人はおのおののお気に入りの飲食店へ向かっているのだろうか、その足取りに迷いなど全く無いように見えたのはそんな理由なのかもしれない。
そんな人々の日常の生活を眺めながら思考を再開する。
路上に並べられた飲食店の椅子に座る人々の食事風景を眺めながら再び思い出したのは、昨夜のマリウスの食事についてだった。彼は吸血鬼で、きっと血を吸うのだろう。もしかしてあの後から姿を消している不幸な少女もまた、その牙に掛かってしまったのではないだろうか。自分が不甲斐ないばかりに不幸の上乗せを課してしまったのだろうか。
初めは、ただ自分のやるべき事をやればいい。使命を果たせばいい。そう考えていた。いや、考えていなかったと言う方が正しいのかもしれない。色々な種類の人間に出逢う内に、自分が一体何者なのかということを少しだけ思うようになっていた。すれ違う人達にしてみても、一人として同じ顔をしたものは居ないように、その中身もきっとそうなのだろう。自分の中身が、その中身には何があるのかはまだわからないが、使命を果たす以前にやらなければならない事があるような気がしてならない。
それは、目の前に居た少女の事かもしれないし、一度は騙されたとは言え、非道が行われた彼の店主の無念のためかもしれない。或いは、単純な自らの欲望や、その目的のためかもしれない。
それが何であれ自分がやりたいことが何であれ、今、やらなければならないことをするしかない。今考えている事はあの少女の行方についてだった。あの場所にもう一度行くしかない。手がかりはそれ以外に無かった。手がかりと呼べるものでもなかったがそれを頼るより他無かった。
昨日のあの少女のいた場所。あの不快で不愉快な事件のあった場所。彼女はまたそこにやってきた。いや、正確にはその場所が見える所だった。なぜなら彼女はそこで足を止めざるを得なかったからだ。
咄嗟に物陰に隠れた。そこに昨日少女に暴力を振るっていた男たちがいるのが目視できたからだった。その様子は、昨日の剣幕などは一切無く、寧ろ和やかな感じさえする。
「様子がおかしい?何が起きているのかしら・・・」
もう少し様子を見ることにした。幸いこちらにはまだ気がついていないようだった。少し離れているせいで話し声は聞こえないが、男たちは何かを取り出し、少女に渡しているのが見える。それは見覚えのある皮の小さな袋だった。程なくして男たちは去り、少女はまた同じ場所でうなだれ始めた。
単純に、少女がまだ生きているという事に安堵したかった。けれども現実はもっと複雑で自分のやったこと全てが間違いだったことを悟った。しかし近づかないわけにはいかなかった。
近づく彼女に気がついた少女はその目をまん丸にして彼女を見つめていた。そんな丸い眼差しを受ける彼女は彼女の考えていることなど判りはしなかったが、それはお互いに言える事でもあった。
「無事だったのですね。」
「・・・・うん。」
アクサナが声をかけると、少女は俯いて応えた。なぜだろうか、少女の姿を見た途端、もっと何か言いたいことが、聞きたいことがあったはずなのに言葉にならなかった。彼女はそのままその場所を後にした。
とぼとぼと来た道を折り返す。この街に来てからろくなことが無い。それは間違いなかった。奪われ、打ちのめされ、絞られ、そして全てを否定された。本当に惨めだったのは自分なのだろうか?
「同じだよ。何をしようとどうせこの街からは出られないんだ。それこそ、全うな方法じゃ尚更だ。」
話し声。それはまるで自分に語りかけているような気がしてハッとした。その声のした方に振り返ってみる。男二人が雑談している様子が見える。
「ああ、だが、いずれはこの監獄から出て見せるさ。外に出さえすれば、ここの法はもう無関係さ。」
「どこへ行こうが、そりゃここよりはマシなんだろうが・・・・いや、俺だってここで腐ると決めるほど腐りきってはいないが。」
ゆっくりと歩きながら、その声に耳を欹てた。彼らに干渉するつもりは毛頭無い。だが、その話の内容に少し興味が湧いた。
「とにかく金が要る。噂じゃ今朝のあの事件、首謀者はもう街から出て行ったらしい。金さえ手に入ればそれがどこから来たのかなんてお構いなしさ。公安も憲兵も完全に腐ってやがる。」
お金、街の外側、内側、それを隔てる高い壁、監獄、法、沢山のキーワードが頭の中に去来してくる。彼らの話し声はもう聞こえない。しかしこれで十分な量の情報を得た。
昨晩の話を思い出す。この街の壁のもう一つの意味の話。開かれた門と高い壁。ここに入るのは簡単だった。では、出るのはどうなのだろうか。確か入る時、この街に入るものは居たが出るものは居なかった。街の中には沢山の人で溢れかえっていたのは、『入るのは簡単だが出るのが難しいから』ということなのではないか。
街を歩く人々の眼差しはお金に集中している。それは執着しているといってもいいほどだ。こんな状況に陥ってしまった理由は人によって違うのだろうが、いずれにせよお金に縛られているように思える。この街は、一度入ってしまうと出るためにはまとまったお金が必要なのではないか?
もし昨日騙される事なく金貨を手に入れることが出来ていれば、もしそれが手元にあれば、それがこの街を出る為の資金になったのかもしれない。もしかしたら昨夜、マリウスが言っていた“この街にもう少し滞在する理由が出来た”という言葉の裏には、この街に滞在する理由があるという意味ではなく、この街を出発することが出来ないという意味があったのではないだろうか。こう考えれば辻褄が合う。全てはまるで無関係な話ではなかった。
「何かを悟ったような顔をしているな。」
「一体どこへ行っていたのですか?色々大変だったんですよ。」
突然掛けられた声に反応して素直に口にしてしまった。わざわざ後ろから近づいてきて声をかけるのは癖なのかそういう性格なのか、それとも吸血鬼としての嗜みなのかはわからないが、聞きなれた声を聞いて少しだけ安心したのは事実だった。
「そのようだな。まぁ何かあっても君なら大丈夫だろうと思っていたさ。」
「それは信頼されているということでいいんですね?」
「・・・・まぁ、大差は無いか。」
振り返り、マリウスの姿を目で確認した。




