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 そこはこの街の海に近い地域。一般的な旅人や裕福な者の寄り付かない地域。スラムと呼ばれる地域だった。

 そんな捨てられた救いの無い街角に、みすぼらしい姿をした、まだ子供と呼べる年齢の少女が一人、縮こまっている。


 行き交う人々はその少女がまるで見えていないかのように振る舞い、気に留めるものはいなかった。ただ一人、アクサナを除いては。

 人に尽くす為に作られた機械人形。しかしそれに尽くせなかった機械人形。遥か昔に失敗作として烙印を押され、破棄されるはずだった機械人形。本来なら持つべきものも持てなかった“持たざる者”。恐らく、そこにいる小さな少女もそうなのだろう。


 天は二物を与えない。ただし一つを与えるとも限らない。

 過去も未来も現在すらも持っていないであろうこの少女に、アクサナはその光景の通りの感想しか抱かなかったと言えば嘘になるのかもしれない。誰にも相手にされず、このまま天の赴くままに、召されるのを待つだけだった少女に、アクサナは近づいた。近づいてしまった。



「・・・たべもの・・・・・」


 消え入るようなか細い声でかすかに聞き取れた言葉。何かを訴えかけるようなその瞳に、光は宿っていなかった。アクサナが彼女の気持ちがわかるなんてことは無い。誰の気持ちが判るなんてことも無い。ただ、自分のやるべきことを見失っている今だからこそ、このような行動をとったのかもしれない。

 アクサナは、あの時貰った、雨の中すれ違った馬車の男たちから貰ったあのりんごを、鞄から取り出してその少女に差し出した。差し出してしまった。

 少女はりんごを目で確認するや否や奪うように掴み取り、無我夢中で貪った。どこにそんな力が残っていたのかと思うほどに。

 りんごを芯まで食べつくした少女と目が合ったアクサナ。少女はなぜか涙を流している。アクサナがその理由を知るのは、その直後だった。


「何してるんだてめぇ!何食ってんだ!なぁ、おい!何を食ったんだって聞いてんだよ!」


 アクサナの真横を、その少女目掛けて走りこむ男たち。たちまち少女は取り囲まれ、男たちはみすぼらしい少女に殴る蹴るの暴行を加え始めた。


「あ、あなたたち!やめて!」


 数秒間、その光景を目の当たりにしたアクサナは思考が停止してしまっていた。これがどういうことなのか全く意味がわからない。

 一人の男がアクサナの言葉に返答する。


「あんたにゃ関係ない。とっととどこかへ行け。そしてこれは見なかった事にするんだな。」


 唖然として立ち尽くすアクサナに、通行人が後ろから声をかけてきた。


「大丈夫かい?あんたは悪くない。悪いのはあの子だ。全くこれっぽっちも気に病むことはない。あんたはここら辺の人じゃないんだろ?だったらもう見なかった事にしたほうがいい。」


 本当に意味がわからない。どうしてこの男たちはあんな小さな少女にこんな暴力を振るっているのだろう。どうして誰も助けようと思わないのだろう。アクサナとて彼女を助ける理由など微塵も無い。無いはずなのに。


「どうすればいいか自分でもよく判らないんですけど、とりあえずやめて下さい!」


 ピタリと男たちの少女に対する暴力が止まる。彼らはアクサナのほうに振り返る。


「あんた、これ以上踏み込むのはやめとけよ。これは最後の忠告だ。」

「それともお前が殴られたいって言うのか?」

「よく見たらあんた、なかなかのもんじゃねぇか。」


 次々に喋る男たち。アクサナはどうやって対処すればいいのかわからなかったが、マリウスの言葉を今一度思い出した。

 「暴力的な行為は避けよ。」「お金の力を使え。」そんな断片的なフレーズが脳裏によぎり、その忠告に従う事にした。お金の入った袋を差し出したのだ。中身は銀貨ばかりだったが、袋だけを見れば、たんまりと入っているようにも見える。


「これでどうにかなりませんか?」

「・・・・・ちっ、仕方ねえ。今回だけだぞ。」


 男たちは銭袋を掴み取ってどこかへ行ってしまった。周りを見渡してみても、残されたのはアクサナと傷だらけの少女だけで、さっきまでそこにいた筈の通行人すらも姿を消していた。


「お金の力を振りかざす・・・。こういうことでいいのかしら。」


 安堵と共に小さな声が漏れた。


「どう、して・・・こんな・・・・」



 一転、少女の目にはまた涙が溢れていた。アクサナにはさっきとは違う意味の涙に見えた。しかしとりあえずの危機は去った。アクサナは魔法で少女に簡単な応急処置を施す。恐らく痛みが引いていったのを感じたのだろう。これもアクサナにはわからない感覚の一つだ。


「なにをしたの?」


 少女は驚き半分、怯え半分の複雑な表情でアクサナを見ている。


「応急処置です。最低限ですが。」


 アクサナはこの少女に少し興味が湧いていた。どうしてこんなことになっているのか、少しでもいいから話がしたい。それにこの場所についてもこの子なら知っているかもしれないとも思った。


「あなたはいつもここにいるのですか?」

「うん。いつもここで寝てるの。」


 よく見ると土の上に藁が薄く敷いてある。お世辞にも快適とは言えない寝床。


「どうしてこんなところに居るのですか?」

「ここ以外の場所を知らないから。他に行く場所もないし・・・それに・・・」


 少女は少し口をつぐみ、言っていいのかどうか考えているようだった。


「それに・・・?」


 アクサナが促したことにより、少女はその続きを口にする。


「おかあさんがここにいろって言ったから。」



 アクサナはこの地域もこの街もこの国もこの世界さえも、よく知らない。言ってしまえばこの少女よりもっと生まれて間もないのだ。この少女にわからないことがアクサナに判るはずが無かった。しかし、なぜかこの少女を放っておくことが出来なかった。自覚は全く無かったが、それはまるで何処かの町に居た世話好きのあの人のように。

 日は傾きかけていた。あの少女の一件の後、アクサナのぼんやりとしていた頭の中も、それなりにはっきりとしてきたが、どうしてこんなことをしているのだろう。明確にそう思ったのはマリウスの待つ宿の部屋に着いた時だった。


「一体何があったんだ?」


 既に部屋でのんびりと食事を取っていたマリウスは、部屋に入ってきたアクサナを見るなりそう言い放った。


「ええ、色々ありまして。」


 いまいちバツの悪い表情のアクサナの手には、みすぼらしい少女の手が握られていた。

 アクサナは事の顛末をマリウスに説明した。あの場所ではぐれた後に何があったのかを。


「そうか、結局その子を手に入れたわけだ。まぁいい。とりあえず汚れを落としたらどうだ。話はそれからでもいいだろう。」


 気にしていなかったが、少女は勿論のこと、アクサナも全身埃だらけになっていた。部屋を汚すのもよろしくない。その提案を受け入れることにした。それにシャワーを浴びるという行為は頭を冷やすにもちょうどよかったし、何より気分が良かった。

 一息ついた後にマリウスは話を振る。


「それで、その子をここへ連れてきてどうするつもりだったんだ?まさかお前がこの子の親になるとでも?」

「え?それは出来ません。私には・・・そうです。使命があったんです。今日一日色々ありすぎて忘れていました。」

「面白い奴だ。しかし・・・、どうするんだこの状況。まさか君の旅に付き合せるのか?」

「それは無理でしょう。危険すぎます。」

「そうか。」


 少女はマリウスの計らいで、おいしい食事ときれいなベッドにありつけた。がつがつとディナーを平らげたあと、今は死んだようにベッドで眠っている。

 あの子が寝静まったのを見届けた後、改めて先ほどの話の続きを始めるマリウス。


「親・・・見つけるしかないでしょうか。」

「それが君の答なのだな。」

「答?何の話ですか?」

「この街について今日、君が見てきたものは、ほんの少し、たった一つまみ程度だ。しかし、この街の現状を察するに十分な量の情報ともいえるだろう。そこで、何を感じたのか聞きたい。」


 話題がころころと変わる。付いていくのがやっとだった。今一度順序どおりに思い出す。


「始めに・・・、あの場所ではぐれたのはわざとですよね?あんな露骨に姿が消えるなんて、そうとしか考えられません。」

「何、怒ったのか?」

「そういう訳ではありませんけど、私一人でこの 街を出歩いたからこんな事になったんだと思っただけです。」

「なるほど。それは正解だ。」


 マリウスはにやにやと笑みを浮かべながらアクサナに話の続きを促す。


「あの店の店主はペテン師です。今になって思えば・・・」


 アクサナは忘れかけていた事を思い出してまた嫌な気分になった。それを見たマリウスはついに声に出して笑った。


「何がおかしいんですか?こっちはもう最悪な気分ですよ。」

「いや、ここまでとは思わなかったからな。なるほど、一日でこうも変わるとは。」


 アクサナは何の話をしているのか全くわからなかった様子で、マリウスの方をじっと見つめる。


「それで?」

「それで・・・えっと?あの店主はかなりお金を溜め込んでいましたね。金庫を開いたときに隙間から大量の金貨が見えました。あんなにあるなら、私を騙さなくったっていいでしょうに。」

「君もまるでここの人間になったような物言いをするようになったな。まぁいい。そこまで感じたなら、その先も考えられるだろう。」


 マリウスは心の底から楽しんでいるような笑みをこぼしながら再び話題を変える。


「それと、あの壁が何の意味があって存在しているのか、その理由がわかるか?」

「魔物から街を守るためにあるのではないのですか?」

「ああ、だがそれとは別に理由がある。・・・そうだな、その問いの答は今出さなくてもいい。この街にもう少し滞在しなければならない理由が出来たからな。それに全く無関係な話ではないからな。」


 はぐらかすマリウス。彼の言葉の本当の意味を捉えることが出来ないアクサナの疲労は最早限界だった。


「・・・・・・」

「座ったまま寝たのか・・・・。休めるうちに休むがいいだろう。明日も街へ出て行くのだからな。」



 翌朝、気がついたら座っていたアクサナ。


「そうだ、昨夜は話をしながら限界が来たんだったっけ。」


 寝ぼけながら部屋を見る。みんな出払っているのだろうか。誰も居ない。昨日のことを少しづつ思い出してきた。


「あの子はどこへいったんだろう・・・。」


 マリウスはともかくとして、あの少女が消えているというのは状況としてはマズイ。探しにいくべきだろう。


「そういえば、昨日この部屋に入ったときに、マリウスは何かを食べていたような・・・。彼は、あの館で聞いた時は、自分は吸血鬼で何も食べないとかそんな事を言っていたような。記憶違い?いや、そんなはずは・・・。昨日は色々ありすぎてその話題に触れるどころではなかったし、いつの間にか眠ってしまったし・・・。」


 まぁいいや、今度聞こう。と、独り言を切り上げ、部屋を出ようとドアノブに手を掛けた時、握った手に違和感を感じる。確認するとドアノブに紙が貼り付けられていたようだ。

 くしゃくしゃになったメモ紙を伸ばし、その内容を確認してみる。

『おはよう。夜明けと共に目覚めると思っていたが、今日は違ったらしい。私は出かけてくる。その部屋はもう2,3日借りるように手配したから、自由に使うがいい。それと、新聞にも目を通してみるといい。面白いことが書いてあるぞ。 マリウス』


「新聞・・・?そういえば、テーブルの上に置いてあったわね。見てみようかしら。」


 踵を返し、部屋の中央にあるテーブルで新聞を広げる。一面の見出しには火事があったと大きく書いてあった。


『今日未明、大通りに面した古物商で火事が発生し、一時現場は騒然となった。火災は発見から1時間ほどで消し止められた。』


「大通りの古物商?もしかしてこれって・・・。」


『全焼した家屋の焼け跡から一人の遺体が発見され、当局は身元の確認を急いでいる。当時、現場付近は人通りも少なく、火事の発見がもう少しでも遅れていれば、大規模火災の危険もあった。一人の命が失われたとは言え、そうならなかった事は不幸中の幸いか。尚、火元と見られる場所に火の気は無く、金庫の中身も消えていることから、強盗目的の放火と見て、当局は調べを進めている。』


「・・・・・とりあえず行ってみよう。」



 大通り沿いのあの場所は昨日の景色とは全く違っていた。昨日にもまして人々がごった返している。少し焦げた臭いもする。この街に来てからというもの、めまぐるしく何かが起きている。それも自分と関係ある場所で。さらにその事件の規模は少しづつ大きくなってきている気がする。次はもっと大きな事件が起きるのではないか、と何か嫌な予感がする。


「ちょっといいですか?」


 背後から声を掛けられた。振り返ると同じ服を着た数人の男女がこちらを見ている。


「あの火事の件で少し話を聞きたいのですが、同行願えますか?」


 物言いは丁寧だがその語気は威圧的で、嫌と言って断れる雰囲気ではなかった。

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