眠る
「慰めて欲しい」
「いいわよ」
随分と情けない言葉だと思う。随分と情けない声だと思う。随分と情けない表情だと思う。
そして彼女は、優しい人間で、温かい人間で、だからこそ悲しい人間だ。
どうしてこんな関係になったのだろうか。昔はこうでもなかったはずなのに。
「何があったの?」
「何もなかったよ」
「そう」
ああ、醜い。そしてどこまでも美しい。だからこそ見るに絶えない。
「涙」
「どうした?」
「出てるわよ。涙が」
「……本当だ」
涙なんて流すのは久しぶりだ。どうして泣いている?
「拭いてあげる」
「ん、ありがとう」
温かな水滴の感覚が無くなって、代わりに冷たい手の感触を頬に感じる。
ああ、気持ちいい。気分が落ち着く。満たされていくような気がする。しかし、それはすぐに膨れて割れてしまうのではないだろうか。そんな心配をしてしまう。そうなれば僕たちの関係はどう変わるだろうか。あるいは何も変わることは無いのかもしれない。この関係を保ったまま幸せに消えて行けるだろう。
だが変わればどう変わる?何が変わる?距離感、体温、時間。今の関係から一つでも何かが変わってしまえばきっと何もかも変わってしまう。幸せにしても、不幸せにしても変わらぬものはないだろう。それはそれで正しい結末ではあるのかもしれない。何も変わらないなんてことよりはずっと。そんなことさえ成長と呼べるのだろう。
「ねえ」
「何?」
「いや、何でもない」
伝えたい言葉は纏まらない。纏めた言葉が伝わるかは別として。
頬に乗せられた彼女の指をなぞる。細くて繊細で今にも壊れてしまいそうだ。こんな指もいつかは無くなるのだろうか。この世界からも、誰かの記憶からも。
「時間が止まればいいのに」
そうすれば何もかもが、きっと。変わる、変わらないなんて気にせずに。幸せか、不幸せかは問わずに。停滞した世界で安心してしまいたい。この瞬間だけを留めておきたい。エンドロールを流すことなどしない。
歪んだ願いであろうと、汚れた祈りであろうときっとその想いだけは不滅にあればいい。
だって、ほら。こんな彼女の指を壊せるわけがない。いつまでもずっと残り続けるのだ。僕が望むのはそれだけだ。でも、そんなことは出来はしないのだから。今、この時だけは彼女に包まれながら眠りたい。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
いつまでもこんな関係が続きますように。