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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

姉の夫には会わない

作者: 芦川玲

 姉から結婚式の招待状が届いた。姉とはずいぶん連絡を取っていなかった。最後に二人で会ったのは、もう四年も前のことだ。





 四年前、出会い系サイトで知り合った女と待ち合わせたら、姉が来た。


 あたしはレズビアンだ。レズはレズなりに性欲が溜まるので、時々使う専用のサイトで今回も相手を探した。すると待ち合わせ場所には聞いていた相手の特徴とぴったり一致する女がいて、それが姉だったというわけだ。

 まさかと思って「もうすぐ着きます。キョウカさんはもう着いてますか?」と連絡すれば、すぐに「着いてますよー。今日結構暖かいのに、モコモコのセーター着てるから恥ずかしいです」とレスポンスがある。姉は深緑のセーターを着て所在なさげに立っていた。間違いなかった。


「キョウカ……さん?」


 実の姉に対してハンドルネームで呼びかける違和感たるや。呼び捨てにしていいものかわからず、さん付けで声をかけると、いかにもホッとしたという表情で姉が振り向いた。


「マイさ……、え?」


 同じ顔を、あたしもしていたと思う。


「なんで、泉、え? なりすまし?」


 誰がなりすましだ。出会い系で姉と会うためになりすます妹がいるか。


「どーも、マイです。そっちはハンネで呼んだほうがいい?」

「いいよもう、妹相手にそんなの。それより……えー、マジかあ」

「こっちのセリフだし」


 引きつった顔で笑う姉。

 あたしはといえば、逆に面白い展開になってきた、くらいに思っていた。母親じゃないだけましだ。どうせ何年か経てば笑い話になるし、女子会のいいネタになる。


「とりあえず、デート行く?」

「やめないの?」

「やめんの? 記念じゃん、行っとこうよ」


 身内特有の気安さで姉の手をとったあたしは、だけど恋人のように指を絡めて、予定通り水族館に向かった。姉はなにも言わなかった。




「やばくない? エイめっちゃデカい。あっちマンボウもいるって!」

「でもマンボウ全然動かないね。寝てるの?」

「マンボウってほとんど動かない魚だよたしか」

「てかマンボウって魚?」

「たぶん。クジラは哺乳類らしいよ」

「それ聞いたことある。てかイルカってクジラのアレなんだって」

「アレってなによ」

「アレ、親戚みたいな」

「マジか。知らなかった。たしかにどっちも潮吹くもんね」

「でしょ、似てる似てる」


 会話は弾んだ。もっとも、テンションはほとんど家族旅行だったけど。


「次どこ行く?」


 水族館を出る頃には姉もかなりリラックスしていて、ノリノリで「タピオカジュース飲みたい」とねだってきた。


「なんかこの近くに売ってるとこないっぽいよ。電車使ってショッピングモール行ったらあるけど」

「じゃあ行く」

「オッケー」


 テンションがあがって財布の紐がユルユルになっていたので、帰り道とは逆の方向にある二駅先のショッピングモールに移動する。あたしがすぐに調べ終えたのを見て感心する姉に、モールの近くにバーとラブホがあることは、言わなかった。




「あんた、今までそういうことしたことあるの?」


 とは、ドリンクをストローでぐるぐる混ぜている姉が、声のボリュームを下げてしてきた質問だ。


「そういうって、()()()()?」

「うん」

「もちろん。なんなら彼女もいたことあるし」


 しれっと答えると姉は絶句してストローから手を離した。


「むしろないのにあんなサイト使ったわけ?」

「だって、ああいうとこでしか知り合うきっかけってないじゃない」

「もうちょっと大人しめの相手選びなよ。あたしみたいな、最初からクライマックス前提みたいなのじゃなくてさあ」


 あたしと姉のやりとりはそれなりに下ネタも『致すかどうか』の確認もあったと思うのだけど。まさか全部あたしの早とちりか。


「みんなこんな感じかと思って……」

「バカ」


 この姉がよくもまあ、あたし以外に見つからなかったものだと思った。




 ジュースとクレープでいたく満足した姉は、「夜ご飯はバーに行こう」と言うと反論もなくホイホイついてきた。

 バーで姉は上機嫌にカクテルを頼み、あたしも軽めのものを選んだ。どちらからともなくグラスを上げて乾杯して、静かに一口目を含む。


「泉はさあ」

「なに?」

「いつ分かったの」


 省略された主語を聞き返すほど、あたしは子供じゃなかった。


「高校のとき。同級生の女の子のこと、好きだって思ってから」

「同級かあ」

「舞子は?」


 姉の名を呼ぶと、


「私は、会社の後輩」

「そっか」


 姉が、料理に添えられていたレモンをフォークでつつき、先端についた果汁を舐めて「すっぱい」と言う。あたしも真似をして、二人できゅっと唇をすぼめた。


「後輩。彼氏がいる、後輩」


 グラスが傾き、姉のなめらかな喉が何度か上下する。カクテルが空になると、それきりその話題は出なかった。


 それから姉は酒を飲んで、飲んで飲んで飲みまくって、へべれけに酔った。しまいには真っ赤な顔でじっとスマホのイヤホンジャックをいじり始める始末だ。毛玉で遊ぶ猫のように。

 あたしはその手を、最初のときよりもずっと丁寧に、握った。


「……泉」


 口を開きかけたあたしに先行して、姉があたしの名を呼ぶ。酒と何かそれ以外のもので、声はずいぶん湿っていた。


「うん」

「うん」


 あたしたちはお互いに幼児のように頷き合って、会計を済ませて店を出た。

 手を引くと姉は酔っ払いにしてはしゃんとした歩き方で横に並んだ。あと三十分で、日付が変わるところだった。





 ――結論から言えば、あたしたちは致さなかった。


 ムードは完全にできあがっていた。ホテルにも入った。上着を脱いだし、お互いに緊張した面持ちだったけどキスもした。他の人とするよりもずっと長い時間をかけて肌に触れ、酒に浸った頭がぐわんぐわん揺れるくらい、心臓は大きく速く動いていた。

 あたしが自分と姉の肌着を床に投げると、姉の華奢な肩がかすかに震え、双眸がこちらを見た。


「いずみ、あ、いずみ」


 うわ言のようにあたしの名を呼ぶ姉は、シーツを強くたぐりよせ。

 ――泣きそうな目で、一度だけ首を横に振った。


「……うん、わかった。まいこ」


 たった、たったそれだけで打ち止めになった。その瞬間であたしたちの行為は、もうどうにもならなくなってしまった。

 興奮は残らずどこかへ行って、汗と唾液でぬれた身体が空気に触れて冷たい。寒かった。

 あたしは舞子の後輩にはなれないし、舞子はあたしの同級生になれない。それは永遠で、絶対だ。言葉なしでも伝わるくらい、あたしたちは、血の繋がった姉妹だった。




 服を着る気になれないで、二人で下着姿のまま布団をかぶって寝た。肌が触れ合わないよう、姉はなるべく離れて寝ようとしていた。後ろめたさからくるその行為に、あたしは気づいたけど黙っていた。



 それから数時間後だ。あたしが目を覚ましたのは。

 朝はまだまだ先で、だけど目が覚めたのは、音を聞いたからだった。姉が、鼻をすすって泣く音を。


 ベッドの端に腰掛けて、こちらに背中を向けていて、顔は見えない。姉の泣き顔をあたしは見たことがなかった。今も、照明を落とした部屋のかすかな光が反射して、姉の白い背とうなじだけが浮かび上がって見えた。

 音を立てないように薄目を開けて、耳をそばだて、あたしはその光景を焼き付けるように見ていた。



 姉は華やかな人だった。バレンタインもホワイトデーも私の倍くらいチョコを作っているのを見てきたし、中学や高校の先生たちには必ず「あの舞子の妹か」と言われた。彼氏がいるって話も今までたくさん聞いた。

 でも、違った。この人が好きなのは、女の子だった。女の子に生まれて、女の子を好きになって、泣いている。あたしの姉。

 あたしがずっと憧れて、妬んできた、美しい女。あたしの一番身近な恋愛対象。

 あたしのハンドルネームを見て、あんた、どう思ったの。


 姉のほっそりとした腕が暗闇に伸びて、ティッシュを何枚も引き抜く音がする。乱暴に目元をこすったティッシュが、ゴミ箱に押し込まれていく。

 声をかけそうになるのを必死で我慢して、ぎゅっと目を閉じた。


 泣かないでよ、お姉ちゃん。お姉ちゃんが泣いてると、あたし、どうしていいかわかんないよ。

 あたしたち、そんなにダメかな。女の子を好きになるのって、そんなにみっともない?


 あたしも、目の奥が痛くて、泣きたくなった。姉が鼻をすする音が、眠りに落ちる間際まで聞こえていた。




 翌朝目を覚ますと姉はいなかった。ベッドサイドにお金が置いてあって、書き置きはなし。おまけに布団の隅にあたしの服がきれいに畳んで積んである。アフターケアだけは万全だ。ピロートークはないくせに。

 あたしはベッドの上で服を着て、重だるい二日酔いの体でホテルを出た。


 その日のうちにサイトにログインして姉とのトーク履歴は削除した。それきり、姉とは会っていない。





 ――姉からの招待状の一番下に書かれた新郎の名前は、当然だけどあたしが聞いたこともない人だった。

 見知らぬ男。これから先一生をかけて姉を幸せにする相手。

 もしかしたら姉はバイセクシャルだったのかもしれないし、それ以外に理由があったのかもしれない。姉の選択を「意味わかんない」の一言で切り捨てるにはあたしだって年を取っていた。聞こえてくる寿退社や出産祝いの言葉に、なにも感じないわけじゃなかった。



 式の日付と二ヶ月後のスケジュールを照らし合わせると、ちょうどその日は新しい恋人と旅行に行くことになっていた。二つ上の彼女は小麦色の肌で頬がふっくらとしていて、とてもかわいい。


 ――あの人がウェディングドレスを着れば、ああ、それはどんなに美しいだろう。


 清潔な招待状にシミをつけるように、黒いボールペンで『ご欠席』に丸をつけた。

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