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美化運動

作者: 中吉藤黄

  「美化運動」



 どこまでもゆっくり進んで行くトラックの助手席で、荻野はサイドミラーとバックミラーを交互に見て、さらに振り返る。

「こんなにゆっくりでいいんですか?」

 何台もの車が追い抜いて行くのを荻野は横目で見る。抜いて行く車の運転手が、もれなく、どんな奴が運転しているのか見てくるからだ。

「速かったら仕事にならないだろ」

 大きなハンドルを片手で持ちながら三村はシートに全体重を預けて言う。

「それにしても遅すぎないですか?」

 荻野が窓の外を見ると、中年女性が漕いでいる自転車が過ぎ去った。

「いいんだよ。あっ、あそこ行くぞ」

 三村はそう言うとハザードランプを点け、左側にトラックを寄せる。ゆっくりだったトラックがさらにスピードを落とす。

「さあ、行って来い」

 三村は荻野に向かってあごを突き出す。荻野はため息交じりに、はい、と小さく言ってドアを開けて飛び降りる。着地と同時に重い駆け足で車道と歩道の境目に行き、ゴミ袋をふたつ、持ち上げるとそのままトラックの荷台に投げ込んだ。

「もう足が疲れましたよ」

 助手席に乗り込んだ荻野は両方のふくらはぎを揉みながら言う。

「まだはじまったばかりだぞ。若いんだから大丈夫だ」

 三村はたばこに火を点け、煙を大きく吐き出す。

「あのゴミ、持って行っていいんですか?これ、ゴミ収集車ではないですけど。それにうちって、福祉関係の会社、ですよね?」

 荻野の両手は太ももまで上がっている。

「いいんだよ。ゴミの日は明日だぞ。一日も早く出してるほうが悪い。猫やカラスに荒らされたら、まわりの住民に迷惑だろ?福祉には変わりない」

 三村はたばこを持った手で缶コーヒーを開ける。

「そもそも、これってなにやってるんですか?」

「町のゴミを拾ってるんだ」

「仕事、ですよね?」

「当たり前だろ。福祉って言ったってボランティアでやるほど、おれは人間ができてねえよ」

 三村は笑いながら煙を吐き出す。コーヒーとたばこの匂いが運転席に広がる。

「でも、ゴミ収集は専門のところがありますよね?」

「だから、そいつらは決まった曜日と場所があるだろ?地域によって。おれたちは、この町全部をきれいにするんだ」

「なんのためにですか?」

「会社と自分のためさ」

「町のためじゃなくて、ですか?」

「結果的に町のためになるんだったらそれでいいだろ?町のゴミを回収することで、誰かがいやな思いをするか?この町の誰かは良かったってきっと思うだろ?それに、誰かのため、っていうのが重要なんだ」

「どういうことですか?」

「目に見える人だけじゃなく、目に見えない人のことも考えてるだろ?誰かのため、って。みんながみんな納得することなんて社会には存在しないんだ。でも誰かが、最悪ひとりでも、納得するのならそれで良いと思わないか?」

「……はあ」

 荻野は三村を見ることなくサイドミラーでトラックのうしろを走っている軽自動車を見つめる。ハザードランプはとっくに消してあるのに、このスピードのうしろを走るなんて物凄く気が長いか運転が下手かどっちかだな、なんて思う。軽自動車はすぐにウインカーを出し、トラックを抜いて行った。

「ほら、またあったぞ」

 三村はあごをしゃくりあげる。荻野は小さくため息を吐き、ドアを開けた。

「このトラック、車高があるから疲れるんですよね」

 助手席に乗るたび、おっ、という声を漏らす。

「若いんだから大丈夫だ」

 三村はそう言うと細い目つきで前を見つめた。


 トラックは決して大きいとは言えない町を隅々走る。ただ、大きくはないと言ってもそれなりに時間はかかる。スピードも出ていないし。住宅街やオフィス街、大通りから路地裏まで、隈なくまわりながらいろんなゴミを拾っては荷台に投げ込んだ。

「たしかに、これだけ拾えば町はきれいになりますね」

「そうだろ?」

「このゴミはどこに持っていくんですか?」

「それは会社の指示次第だな」

「まだ決まってないんですか?」

「確定ではないな。まあ、俺は大体わかるけどな」

「三村さん、この仕事長いんですか?」

「まあな。おまえは入ってどれくらい経つ?」

「二週間くらいです」

「そうか。じゃあ、まだわからないな」

「なにがですか?」

「いろいろだよ」

 三村はかすれた音色の口笛を吹く。なんの曲なのか荻野はさっぱりわからない。正確な年齢は知らないけれど、自分の親くらい歳の離れた三村が奏でる曲は、名前を訊いてもおそらくわからないだろう。

「ほら、あったぞ」

 三村は口笛を中断し、あごをしゃくりあげる。

「……どれですか?」

 荻野は窓に顔をひっつけて探すが、それらしいものは見当たらない。

「あれだよ。……見えないか?あの、自転車」

 三村が指差した先には後輪のつぶれた自転車が街路樹をつぶすように斜めになっている。

「……あれ、持って行っていいんですか?」

「いいんだよ。あれ、ずっとあるから」

「そういうのって業者があるんじゃないんですか?」

「さあな。まあ、あったとしてもおれたちのほうが先に見つけたからな」

「いいんですか?」

「仕事だからな。おれたちは慈善事業をやっているわけじゃない。ビジネス、だ。そんなことじゃ生き残れないから、覚えとけ」

「……はあ。でもあれ乗っけるの大変ですよ。手伝ってもらえますか?」

「若いんだから大丈夫だ」

 三村はそう言うと、たばことハザードランプを点けた。荻野は今日一番のため息を吐き、自転車の元へと向かい、なんとか荷台に乗せた。

「さすがに疲れました……。生まれてはじめてですよ、自転車を持ち上げたの」

「良かったじゃないか」

「なにがですか?」

「人生なにごとも、はじめて、からはじまるんだ」

「どういう意味ですか?」

「そのうちわかるさ。よし、じゃあ、飯でも食うか?」

「……はい」

「今日はあんまり時間ないから、コンビニな」

「わかりました」

 三村ははじめてトラックのスピードを上げて、近くのコンビニへと入って行った。三村はパンをふたつと缶コーヒー、荻野は牛丼とおにぎりふたつとお茶を買った。

「よく食べるな」

 三村はパンふたつをすぐにほおばり、コーヒーを飲む。

「よく動いてますから」

 荻野は嫌味を込めて言う。

「おれも若いころはよく食べていたけどな。今そんなに食ったら、すぐにもたれるよ」

 三村は荻野の嫌味に気づくことなく、背もたれを少し倒してたばこに火を点ける。荻野は煙が来ないように三村のほうへ背中を回して牛丼を食べる。

「ああ、悪いな。たばこは吸わないのか?」

「はい」

「最近のやつらはあまり吸わないよな。時代の流れ、かな」

「三村さんもやめたほうが良いですよ」

「たばこ吸ったほうがかっこいいだろ?」

「そうですか?」

「そりゃ、そうだろ」

 三村は煙を細く長く吐き出す。眉間にしわを寄せて遠くを見つめる顔に、荻野は苛立ちを覚えた。


 トラックはまた町をゆっくりと走り出した。この町のことをあまり知らない三村でさえ、通ってない道はないのではないかと思うくらい隅々まで。

「あっ、あそこにありますよ」

 荻野は空き缶がたくさん捨てられている小さな山を指差した。

「ああ、あれはだめだ」

 三村は一瞬だけ目を細める。

「どうしてですか?」

「あれは、ちゃんと拾ってくれる人たちがいるからな」

「拾う人たち?」

「おまえも見たことあるだろ?空き缶をつぶしてたくさん自転車やリヤカーに乗っけている人たち」

「……ああ。えっ、あの人たちのぶんは取らないんですか?ゴミ収集や自転車は取るのに?」

「まあ、法人と個人の違いかな」

「どういうことですか?」

「それが社会だ。暗黙のルールと言うかなんと言うか」

「よくわかんないですね」

「まあ、二週間じゃわからないさ。あっ、あそこにあるぞ」

 三村は荻野にサインを出す。荻野はすっかり重たくなった足を動かし、飛び降り、また車に飛び乗る。

「このゴミ、どうするんですか?」

 空き缶以外、町に落ちているゴミは片っ端から拾ったため、さすがに大きな荷台も埋まってきた。ゴミ袋に入ったものから、自転車、弁当のカス、ビニール袋、雑誌新聞、軍手や片方だけの靴下など、道に落ちているものはほとんど拾った。はじめはリサイクルかと思った荻野も、少しばかり様子が違うことに気づきはじめた。

「捨てるよ。ゴミだから」

 三村は当たり前のように答える。

「どこにですか?」

「だから言っただろ、上が決めるって。それが会社ってもんだ」

「……そうなんですか」

 荻野は三村の顔を横目で見る。よく見ると顔じゅうにしわが刻まれている。思ったよりも年齢が上かもしれない。目線をハンドルを握る少し黒ずんだ指先に移すと、荻野は三村の予想年齢を少しだけ上げた。

「おいっ!」

 急に三村が怒号を車内に響かせた。荻野はからだが自然と震えた。

「どうかしました?」

 恐る恐る荻野は三村のほうを見ながら訊く。

「あいつ、危ない運転しやがって」

「あいつ?」

「あの白いトラック。事故ったらどうするんだ!」

「ああ、そっちですか」

「うん?」

「いや、なんでもないです。あのトラックどうかしたんですか?」

「あのトラックさ、会社名入ってるだろ?」

「……ああ、入ってますね」

「ああいうさ、車に会社名入ったやつが荒い運転するのが考えられないんだよな。会社名入ってるんだぞ?責任感なさすぎだろ」

「まあ、そうですね」

「ああいうのは、大抵、新人がやっちゃうんだよな」

「そうなんですか?」

「そうだよ」

「このトラックって会社名、入ってましたっけ?」

「入ってないよ」

「じゃあ、良かったですね」

 荻野はどんどん抜いて行く車たちのテールランプを見ながら言う。三村はまだあの白いトラックの文句をつぶやいていた。


 だんだんと太陽が傾きはじめ、道路を走る車たちの何台かはライトを点けはじめた。三村は相変わらずトラックを町じゅうに走らせる。

「そろそろ回り終るぞ」

「やっとですか。それにしてもたくさん拾いましたね。もう荷台、パンパンですよ」

「まあ、今日はぼちぼちだな」

「いつもこれくらい集めるんですか?」

「まあおれはな。ほかのやつならもっと少ないだろうな。この仕事は、経験、がものを言うから。どこへどの時間に行けばゴミが見つけやすいか、おれにはわかるんだ」

「……そうなんですか」

「この町は長いのか?」

「まあ、学生のときから住んでますから、そこそこですね」

「そうか。じゃあ、むかしより町のゴミが減った気がしないか?」

「まあ、そう言われれば……」

「そうだろ?これが、誰かのため、ってやつだ」

 三村は笑う。たくさんのしわがこぞって深くなった。

「じゃあ、あれ拾ったら今日は終わりだ」

 三村は荻野にサインを送った。


 「このゴミ、どこに持って行くんですか?」

 アクセルを深く踏み込む三村に荻野は訊く。

「もうすぐわかるよ」

「一回、会社に戻るんですか?」

「いいや。あと一軒、寄るところがある」

「もう町じゅう回りましたよね?」

「ゴミ探しはもう終わりだよ。次行くところは、まあ、あいさつしに行くだけだ」

「あいさつ?」

「大切だろ?」

「まあ……。誰にですか?」

「あとでわかるさ」

 三村はたばこを口にくわえたが、火を点けずにたばこをしまい、ポケットからミントを取り出し、大量に口に投げ込む。トラックは午前中に通った道を、ほかの車と同じスピードで走る。ふたりはからだを揺らし、無言で前を見つめた。

「ちょっとここで待ってろ」

 三村はそう言うと、荻野の返事を待つことなくトラックから降りた。小走りで行く三村の背中を荻野は追う。三村は徐々にスピードを落とし、小さなビルの前で立ち止まり、ポケットに手を突っ込み、そのまま顔のほうへと移動させてからビルへと入って行った。

 そこには入口に何枚もポスターが貼られていて、宅間けんいちろう、という名前と、きれいな町きれいな人きれいな想い、というキャッチコピーが書かれていて、笑った中年男性の顔が大きく載っている。政治には興味がない荻野でも、このあいだ行われた選挙で当選した人物だとすぐにわかった。引き戸になっている出入り口の隙間から、ポスターと同じ顔の人物が見えた。ポスターのようには笑ってなくて、厳しい表情をして三村と話している。三村はさっきまでとは違い、頭を何度も下げ、嘘くさい笑顔を振りまいている。ふたりはなにやら話し込み、しばらくすると三村はトラックに戻ってきた。

「あの人って、政治家ですよね」

「知ってるのか?」

「まあ、それくらいは」

「若いのに、珍しいな」

「知り合いなんですか?」

「まあ、知り合いと言えば知り合いだな。仕事上の関係だ」

「そうなんですか」

「まあ、そんなことはどうでもいい。行くぞ」

「どこにですか?」

「ゴミを捨てに行くんだ」

「どこにですか?」

「行けばわかる」

 三村はそう言うと、エンジンをかけ、アクセルを踏み込んだ。トラックは大通りをまっすぐ進んで行く。三村はハンドルを握った手でなにやらリズムを刻み、かすれた口笛を吹く。

「それ、なんていう曲なんですか?」

 荻野が三村に訊くと、三村はすぐに答える。やはり曲名を聞いても荻野は知らなかった。会話はほとんどなく、トラックは走り続ける。あたりはすっかり暗くなり、大通りを抜けると車の量もかなり減った。

「どこまで行くんですか?」

「もうちょっとかかるな」

「会社とは反対方向ですし、町からもけっこう離れましたよ」

「まあ、そうだな。寝ててもいいぞ。着いたら起こしてやるから」

 三村がそう言うと、寝る気はなかったけれどいつの間にか荻野は目を閉じていた。

「……着いたぞ。起きろ」

 からだを揺さぶられ荻野は目を開ける。

「ここはどこですか?」

 目の前には知らない町の風景が広がっている。

「となり町のとなりだ」

「となり町のとなり?こんなところでなにをするんですか?」

「ゴミを捨てるんだよ」

「えっ?会社に持って帰らないんですか?」

「そんなことしたら、あの町がきれいにならないだろ?」

 三村はそう言うと、吸っていたたばこを窓から投げ捨てた。


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