呪いの王女
双子。
その存在は忌まわしき生き物の象徴である。その理由は、気の遠くなるほど遠い昔、それこそ創世神話の時代まで遡る。
無から、唯一無二の最高神が生まれたそのすぐ後、同じ道を通って全ての悪と、全ての闇を司る双子の邪神が生まれた。急いで道を閉ざした最高神だったが時既に遅し、世界には善と悪、光と闇、表と裏の両方が誕生してしまった。それから幾度も最高神は邪神と戦いを繰り返し、世界は数多の破滅と再生の末、現在に至るとされている。
「……ですから、ミグナ様は、闇の御子として青月の晩、父なる悪と、母なる闇の元へお還りにならなければなりません」
小さな塔の、それまた小さな部屋の中、乳母のジーナはそう私に告げた。高窓から入ってきた風のせいだろうか、部屋の隅に申し訳程度に灯っていた明かりが小さく揺れる。
「ええ、分かっているわ。ありがとう、ジーナ」
私は、とても穏やかにその言葉を受け入れることができた。覚悟はとうの昔にできていた。
不思議なことだが、私には生まれた時から意識というものがあったのだ。生理現象には逆らえないものの、「ああ、また生まれたんだ」なんて心のどこかでぼんやりと考えていた。言葉が理解できるようになってくると、ジーナとその旦那様―――塔を守る騎士様―――の会話が聞こえてくるようになった。そうして私は、再び手に入れた生を十になった年で散らさねばならないことを知ったのである。どうして私だけ、と荒れた。しばらくは恐ろしさに眠れぬ日々が続いたし、全てを拒絶したこともあった。――――それでももう、過去のことだ。
ジーナは、耐えきれないといった様子で私を強く抱きしめた。とくんとくん、という心の臓の音に心地よさを感じていると、肩口に温かな涙が滲む。
塔のどこか、おそらく廊下とかかなり近い場所だと思うのだけれど、良く知った女の子の泣き喚く声が聞こえてくる。ジーナの娘、私と同じ年のアイシャだ。私が死ぬことを受け入れられないで、さっき彼女のお父様に連れられてこの部屋を出ていった。
アイシャの綺麗な鳶色の目が、赤く染まらないといいのだけれど。
「……ミグナ様が王族ではなかったらと、ずっと思っておりました。そうすれば双子であっても殺されることはなかったでしょうに……!」
「ジーナ、そんなこと言ってはだめ。私は殺されるんじゃないの。還るだけよ」
諭すようにいった私に、ジーナはまた大粒の涙を零した。
ジーナに体を委ねながら、私は自分によく似た姿を思い浮かべた。
片割れのユグナは、第一王女として生きている。
私が闇に還った次の日、国民に初めてお披露目されるらしい。
一度も会ったことのない姉は、きっと私の存在すら知らないのだろう。叶うならば、自分が双子であったことなど知らずに幸せであってほしいと思う。
私の世界はこの塔だけで、それは小さな世界だったけれど、幸せだった。
ジーナがいて、ジーナの旦那様がいて、アイシャがいて。
もう、いいじゃないか。充分じゃないか。そう、何度も何度も自分に言い聞かせてきた。
私は、全てを、諦めたのだ。
明かりの油がなくなって、消えかかった頃、青みを帯び始めた月が浮かんだ。
「ねぇジーナ、塔の下にくちなしを植えてくれないかしら?」
「くちなし……ですか?」
「ええ、前にジーナが持ってきてくれたでしょう、くちなしの花。私、あの花の香りが一番好き」
ジーナが以前持ってきてくれた、東の国から薬用として輸入したくちなしという花は、本当にいい香りだった。そして、甘い、どこか懐かしい気がしたのだ。
泣き疲れたアイシャが、簡素なベッドの上で眠っている。
アイシャも、初めてくちなしを目にしたと時は香水にしたいなんて言ってはしゃいでいた。
「私、初めて外に出るのよ。最初で最後なの。一番好きな花が、地に咲いているところを見たいわ」
「……分かりました、明日夫に頼んでみましょう」
「我がままを言ってごめんなさいね」
ジーナは、困ったように、それでいて今にも泣きだしそうに笑った。
*
初めて出た外の世界は、くちなしの強烈なまでの香りに包まれていた。ジーナが約束を違えず、植えてくれたのだろう。夜の暗闇の中で、小さな白い花がゆるゆると咲いている。
私を森の池に連れていくのは神官達で、もうジーナもその旦那様も、アイシャもいない。それでも、クチナシを一輪髪に挿せば、三人が側にいるみたいに感じる。
花を手折る私を、神官達は訝しげに見ていたけれど咎めることはなかった。十になるまでの邪神の子は、その加護を受けた存在だ。信仰心の厚い神官達は言葉すら交わしたくないのだろう。
城を出た先で目隠しをされる。聞いてみると、一番若い神官が嫌そうにぼそぼそと答えた。
どうやら闇と悪に私が還った後、城まで戻ってこないようにするためらしい。道を見せてはいけないのだそうだ。
籠に乗せられ丸一日。
視界を遮っていた布が外されると、目の前には美しい湖が広がっていた。煌煌と輝く青白い月が湖面に映り、辺りの静寂さが一層際立っている。
キンと、冷たい空気の張ったような感覚に、私は目を閉じた。
湖の中へと、一歩を踏み出す。夏が近いといえまだ青月だ。ひんやりとした水が肌にまとわりつく。
私は幸せだった。
小さな世界を作り上げてくれた三人を思い浮かべ、最後にもう一度、自分にそう言い聞かせる。
足に着けられた重りは、ひとたび顔を覆うと、二度と上がってはこれなかった。
さざめいていた波紋がすべて消えた後、夜空を映した湖面には一輪のくちなしの花が浮かんでいた。
【花言葉】
くちなし(山梔子):私は幸せ
自分は幸せだと言い聞かせなければ狂ってしまっていたミグナ。花言葉をモチーフの悲劇を書いてみたかったので……