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金色の螺旋  作者: 亜薇
第六章 妖霧立つ森
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四.訣別の痛み

 身体が……酷くだるい。力が入らない。何か、冷たい物の上に横に為っているような気がするが、『気がする』だけだ。

 生きているのか、其れとも既に死んでしまったのか……そんな判断さえつかない。此処が何処なのか、分かるはずが無い。

――私は、何をしていたのだ……?

 麗蘭は、自分の途切れた記憶を懸命に呼び起こそうとしている。何と戦っていたのか、何故意識が飛んでいたのか、さっぱり分からない。

「麗蘭、麗蘭!」

 頭の上の方で、誰かが自分のことを何度も呼んでいる。聴き覚えの有る声だ……自分よりも大人びていて、凛とした少女の声。

「麗蘭、大丈夫? しっかりして!」

 自分を心配して、気遣ってくれる優しい声。こんな心地良い声を忘れる等、在り得ない。思い出せ、思い出せと、麗蘭は目を開けぬまま幾度も強く念じる。

「麗蘭!」

 ようやく、麗蘭はぱちっと目を開ける。彼女を呼ぶ少女が声を上げつつ、肩を揺さ振ったのだ。

「……瑠璃か」

 瑠璃……風友の孤校で学んでいる、麗蘭と同じ孤児の少女。艶やかな黒髪を一つに束ねた、誰よりも優美な容貌の……麗蘭にとって初めての友人。

「瑠璃、私は如何どうして気を失っていたのだろうか……」

 深く息を吐き、麗蘭は瑠璃の手を借りてゆるゆると身体を起こす。瑠璃は数瞬驚いた表情を見せるが、直ぐにまた優しく笑んで、麗蘭の髪をそっと撫でた。

「私たちは麝鳥じゃちょうの群れに襲われて、何とか二人で逃げて来た。麗蘭が私をかばってくれて、神力で消し飛ばしてくれたんだ」

 そう……言われてみれば、確かそうだった。二人で弓の稽古をしていた際大きな妖気を感じ、麗蘭が独りで走り出した。瑠璃は孤校の風友に知らせに行ってから、麗蘭が戦っている森に駆けつけて……加勢してくれた。

麝鳥じゃちょう共は?」

「もう居ないよ。麗蘭がたおしてくれた」

 にっこりと笑む瑠璃は、何時いつもと何も変わらない。特異な力ゆえに友達が一人も居なかった麗蘭を受け入れ、どんな時でも味方でいてくれる。自分よりも遥かに大人で、美しくて優しい……大切な友人だ。

「……瑠璃、肩を怪我しているのか?」

 ふと、瑠璃の左腕から血が滲んでいることに気付く。麝鳥じゃちょうの爪でやられたのか、大きな切傷が走っている。

「手当てせねば……」

「ごめんね、ありがとう」

 麗蘭は瑠璃の着物の肩を落とし、自分の右手を傷口に触れるか触れないかの位置に持ってゆく。呪を唱えると、眩しい光が瑠璃と麗蘭を包み、みるみるうちに傷が塞がってゆく。

……そう、修行中に怪我をすると、何時もこうしてお互いの傷を治癒し合っていた。二人の力の属性は共に『白』。同じであるが故に、反発し合うことなく術を掛け合うことが出来た――気がする。

 傷を閉じた後、麗蘭は自分で持っていた手拭てぬぐいで、瑠璃の腕に付いた血を綺麗にいてやる。元通り、白く肌理きめ細やかな瑠璃の左肩が露わに為る。

――瑠璃の左肩には……何か印が無かっただろうか?

 自分でも何故だか分からぬが、そんなおかしな考えが麗蘭の頭をもたげる。

――何か……何かが在ったのではなかったか? 自分と瑠璃の関係を一変させてしまうような……何かが。

 今、目の前にしている瑠璃の美しい肩には、何も無い。何も無いのだから、こんな考えが浮かぶこと自体が奇妙なのだが、如何どうにも引っ掛かる。

「麗蘭?」

 左肩を見詰めたまま動かない麗蘭を、瑠璃は不思議そうな顔で見やる。

「いや……何でもない」

 言ってはみたものの、何か言いたそうなところは顔に出てしまっている。麗蘭は元来、自分にも他人にも正直な人間なのだ。

「じゃあ、行こうか。風友さまが心配なさっているに違い無いよ」

 瑠璃と同時に、麗蘭も立ち上がる。足元が覚束おぼつか無くて、よろめきそうに為った所を瑠璃が腕で支える。

「無理しないで、ゆっくりね」

「あ……ああ」

 きらりと輝く、瑠璃の笑顔。彼女と出会って未だ数か月しか経っていないが、本当に何時も助けられてばかりで、麗蘭は嬉しくも……少しだけ歯痒はがゆい。

 先刻麝鳥じゃちょうを蹴散らしたのは瑠璃ではなく麗蘭だという話だったが、何だか信じ難い。武術に秀でているのも瑠璃で、神術も瑠璃の方が一段上だったはずだ。

 好意に加えて憧れと、羨望。瑠璃に抱くのは何時もそうした感情のみだったように思う。

――いや……何か他に……私が瑠璃に対して抱いている心情は、他にも有ったのではないか。

 目覚めてからというもの、如何して疑念が次々に出て来るのだろう。倒れて頭を打ち、記憶が曖昧に為っているのだろうか。

 手を瑠璃に引かれて、孤校の方へと歩き出す。阿宋山の森は穏やかで、麝鳥じゃちょうの大群が現れ戦ったこと等夢のように感じられる。

 麗蘭の歩調に合わせて進む瑠璃は、暫く何の言葉も発しない。後ろをぴたりと付いて行く麗蘭も無言のままだ。次第に重く為ってゆく空気の流れを変えるため、何かしら話そうと口を開くが、先に声を発したのは瑠璃だった。

「麗蘭……私に言いたいことが有るのでしょう? 隠さず教えてくれない?」

 唐突な質問にまれ、麗蘭は答えを失う。思わず、何のことだか分からない振りをしてしまう。

「言いたいこと……?」

 すると、瑠璃が突然足を止める。麗蘭の右手を握る手に力を篭め、先程までとは異なる声音で言い放つ。

「分かってるのよ、貴女が私のことを本当は如何思っているのか……妬ましく思っているんじゃなくて? 貴女の態度からは時々そう見えるけれど」

「何を言って……」

 背後に居る麗蘭の方を向くこと無く、彼女のものとは思えぬ言葉を浴びせかける。

「妬……ましく……私が、瑠璃を……?」

 繰り返し言ってみると、胸の奥につかえていたものの正体が分かった気がする。瑠璃の言う通り……麗蘭は彼女と共に過ごすうちに、徐々に嫉妬を覚えるようになったのだ。

 自分と同等、或いは自分以上の才能や神力を授かりながら、周りの人間と溶け込めずずっと独りだった自分とは異なり、孤校の子供たちに好かれた瑠璃。自分よりもずっと強く美しく、決して道を間違えない、高潔な瑠璃。

 唯一自分を認めてくれる風友も、直に自分から離れ……瑠璃だけを見るようになってしまうのではないか。天帝の神巫女であるはずの自分が、そうではない瑠璃に全てにおいて負けている等、在って良いはずが無いのではないか。

 焦燥……そして、憤り。浅ましいと思いながらも、麗蘭は醜い感情を抱くことを止められない。

「私は……おまえを……妬んでいる」

 言わされた訳でもないのに、麗蘭は心の内をするすると漏らしてしまう。此方こちらを向いた瑠璃は、魅惑的な美貌を満足げに歪ませて、麗蘭が見たことの無いような笑顔を見せた。

「やっと素直に為ってくれたのね……じゃあ、もう一つ答えてくれる?」

 人の心等見透かしてしまうであろう、澄んだ紫水晶の瞳は麗蘭の双眸そうぼうを捕らえて離さない。

「私の左腕には……何が有る?」

 言ってはいけない、言うべきではない。口に出してしまえば、待ち受ける未来は目に見えている。互いが其の身に、其の魂に背負った宿ゆえに従わなければならない運命は、決まり切っている。

「……其れは……」

 此の時の麗蘭にはもう、分かっている。瑠璃の腕に刻まれたものは何で、其の印が何を意味しているのかを。

「おまえが何故答えを躊躇うのか……私には分からぬ。此の左肩に刻まれた御印こそが、私自身を示す証だというのに」

 身も心も冷え切った、つい今し方までの瑠璃とは別人のような声。此れこそが本当の瑠璃であり、自分と自分の主である天帝と永遠に敵対する、非天の巫女。黒神の命有らば、孤校の子供たちを脅かすことさえいとわない、冷酷な女。

「おまえの其れとて、同じであろう? 其れこそがおまえの正体であり、存在する意義でもある。私たちは美しき龍神に支配される、巫女という名の傀儡くぐつなのだ……」

 麗蘭の左肩を指差し、言い切る瑠璃。美しい顔からは笑みが消え失せ、なんの感情も読み取れない。心を巧みに押し隠しているのか、元より心自体を持っていないのか……分からない。

――そう。私は、神の巫女。

 紛れもない、変えようの無い事実。其の事実のために麗蘭は戦い、苦しみ、葛藤して生きて来たのだ。

――瑠璃には、『闇龍』の証が刻まれている。

 声に出さぬまま、認める。友であり姉であった彼女が、己が全てを賭けてでも消し去らねばならぬ宿敵であることを。

――瑠璃は、たおさねばならぬ敵だ。

 下げていた顔を上げ、決然とした瞳で瑠璃を見据えた時、彼女たちは阿宋山ではなく妖の山の……霧の森に居た。

 何かを受け入れたらしい面持ちの麗蘭に、瑠璃が静かに笑む。口元だけで微笑んでいる彼女を見ていると、敵同士となったあの日の記憶がありありと呼び起こされる。

――幼かったあの時、私は誓った。たとえ瑠璃であろうと……全力で戦うと。

 同時に疑いが生じる。誓いを思い出したはずなのに、如何して自分は戦おうとしないのだろう。矢をつがえて引き絞り、剣を抜いて振り払おうとしないのだろう。

 今目の前に居る瑠璃が、本物の瑠璃ではなく夢や幻の類であることに、麗蘭は何時からか気付いている。今対峙しているのは、四年前の訣別けつべつの日と全く変わらぬ姿の瑠璃であり、経た歳月を考えれば明らかに不自然なのだから。

 本物ではないと分かっているから、戦う気になれぬのだろうか。もし此れが瑠璃の……いや、彼女でなくとも敵の罠であるなら、麗蘭は戦わずして非天に敗れてしまう。黒神を斃せるのは麗蘭だけ、という天帝の言葉通りならば、麗蘭の敗北が天界側の負けに繋がりかねないのだ。

「私が敵だと認識してはいるが……戦うとなると動き出せなく為るようだな」

 心境を言い当てられた麗蘭は、ひるみそうになるところをぐっと堪える。

「気丈なのも良いが、やはり物足りぬ。私が見たいのは、おまえの美しいかおが憎しみと苦痛で歪む様のようだ」

 余裕の笑みを見せながら、愛おしげとも取れる酷薄な表情で言い放つ瑠璃。冷たい瞳の光が、彼女の麗容を一際たえなるものにしている。

「……苦しむが良い、麗蘭。其れが私の悦びと為る。そしていずれ、私の苦しむ様がおまえの悦びと為る時が来るだろう」

「瑠璃……」

 眉根を寄せ首を横に振ることだけが、今麗蘭に出来ること。

――頭では戦わねばならぬことが分かっていても、心ではそうもいかない。私は、瑠璃と戦いたくないのだ……!

 返す言葉を考えあぐねていると、にわかに霧が濃く為り始め、たちまち二人を覆ってしまう。お互い見詰め合ったままで、白霧はくむが麗蘭と瑠璃を隔てて広がってゆく。

 瑠璃だけでなく、目に見える世界全てを霧が埋め尽くした時、麗蘭はたった独りで……寂寞じゃくまくたる白い光の中にたたずんでいた。

この回は、序章「荒国に蘭」の第二章三、四話とリンクしています。

そちらもあわせてお読みいただければ幸いです。

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