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金色の螺旋  作者: 亜薇
第六章 妖霧立つ森
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二.異形の群れ【1】

 悠遠の昔……神代かみよと呼ばれていた時代から、妖異たちが命を繋いできた魔山、琅華ろうか山。妖の巣窟である恐ろしい山に、「琅華」などという美しい名を付けたのは、何処の誰で何時のことであったのか、知る者は最早誰も居ない。

 何世紀もの間、人がほとんど足を踏み入れていない幽寂ゆうじゃくの山は、太古に神々が創りだした其のままの麗観を保っている。真黒い大樹は鬱蒼と茂り、高々と天をく。湿り気の有る土も黒、所々している苔も黒。一年を通して四季の別が無く、色彩が絶無ぜつむであるのは、此の地に根差した有機物全てが闇に属する為……或いは、単に外界からの陽光が入らぬ為なのかもしれない。

 聴こえ来るのは何処かに在る水簾すいれんの清音と、飢餓に苦しむ妖が吐き出す、ぞっとするような唸り声。加えて突如として始まる、心を失った妖たちの共食いが生む……怪音。風が少しも立たず、葉擦れの音が聴こえぬ様もまた、普通の森とは様相をことにしている。

 妖気をふんだんに含む白霧が満ち広がり、立ち入る者の視界を塞ぐ。視覚だけでなく嗅覚や聴覚をも麻痺させ、進むべき道を失わせて行き迷わせ、強制的に歩みを阻む。

 耐性を持たず、自分の周囲に結界を張ることの出来ない只人ただびとは、此の毒霧どくむの中では生きられぬ。瘴気しょうきに毒されて死ぬか、精神を侵されて狂うか、或いは妖獣の餌と為って食まれるか、いずれかの道を辿る。運が無ければ、入山してほんの四半刻程も生きていられないやもしれぬ。

 そして今は妖気に加え、更に性質の悪いの悪神の気が立ち籠めている。斯様かような状態の山を越えようとする等、命を投げ捨てる行為にも等しい……麗蘭や蘢のような、類稀なる神力を備えた神人でもなければ。または魁斗のような、神と魔の眷属でもなければ。

「早速お出迎えか」

 白銀しろがねの刃で一刀の下、魁斗は突如現れた血虎けっこの首をねる。胴と離れた状態で尚、暫く呻き声を発していた醜い頭に刀を突き刺し、息の根を止めた。

 麗蘭は怪物の死体に近付き見下ろして、穢れに触れないよう注意しつつ気を探る。

「やはり……血に黒の気が混ざっている」

――それも、白林に下りて来た妖がはらんでいたものよりも……濃い。

「ちっ……本当に酷いな、虫酸むしずが走る気配が溢れてる」

 魁斗は舌打ちして血振りし、納刀する。山に入ってからというもの、彼はずっと不快げに零している。どうやら本当に、黒神の気を感じるだけでも不愉快らしい。

「僕も……何だか好きに為れそうにない。麗蘭も、やっぱり此の気が嫌いなの?」

 黒神を直接知らない蘢にも、生ける者をほふり尽くすという邪神の力は恐ろしく感じられる。本人を目の前にしているわけでもないのに、其の気だけで身体が強張り萎縮させられてしまう。

「……嫌いというより、身体が受け付けないようだ。瑠璃と初めて会った時、倒れて立ち上がれなく為った程だからな」

 言葉通り、麗蘭は先程からずっと自分の腕を抱いて震えを押さえており、顔を蒼白にしている。

「……顔、真っ青だぞ。寒いのか?」

 少しだけ身を屈め、魁斗は下方から麗蘭の顔を覗く。

「あ、いや……大丈夫だ。ちゃんと結界は作れているし」

 身体の周りに神気の膜を作り、有害な気を遮断する。難易度の高い術ではないが、時間と共に神力を消費する。そして、麗蘭は更に高度な隠神術も用いている。妖の山では此れを用いなければ、直ぐ様敵の標的と為ってしまう。

「魁斗は結界を張っていないようだが、其の状態でよく平気で居られるな」

 麗蘭が見たところ、彼は邪気に対し鬱陶うっとうしそうな反応を示してはいるが、身体的には何ともなさそうにけろりとしている。

「……俺は特殊な体質らしくて、神気や妖気には種を問わず耐性が有るんだ。嫌いな気は嫌いだが、具合がおかしくなることは無い」

 其の答えに、麗蘭も蘢も感心して声を上げそうに為る。どんなに強い神人でも、気の属性に依って戦いを左右されたり弱点に為ったりすることを考えると、魁斗のような特性を持つとすれば其れだけで優位に立てる。

「初めて会った時からずっと隠神術を使っているけれど、特別な力を気取らせないため?」

「結局、今まで一度も……魁斗の気を感じたことがないな」

 妖を斬り捨てている時でさえも、魁斗は隠神術を使いこなして完全に気を消している。彼の術はかなりの集中力を要するため、戦う時に保つことは至難の業。実際今の麗蘭が突然やろうとしても、恐らく不可能であろう。

「出来るだけ面倒な事を避けようと、魔界を出た頃から暫く気を付けていたら……何時の間にか保てるように為っていた。其れなりに時間は掛かったがな」

「……そうか、慣れが必要なのだな」

 納得して大きく頷いた麗蘭は、早速実践してみようと決めていた。必要の無い時でも術を使い続けていれば、徐々に自然な状態にまで持っていけるはずだ。

「とにかく、此の山は毒でしかない。早いところ目的の物を見付けて、抜けてしまおう」

 そう言って、魁斗は森奥の更に深い所を指し示す。白く濁った霧が濃く為っており、先が全く見えない。

「あちらからより強い力を感じる。茗の方角を見失わずに進んで行こう」

 此れ以上気分が鬱屈とするのを避けようと、魁斗は朗らかに言う。

「しかし……どちらを向いても同じ景色で、あっという間に迷いそうだ。先程から蘢が木に印を付けているのは、其れゆえだろう?」

「うん、こう霧が酷いと見えにくいけど……やらないよりは良いはずだよ」

 麗蘭が気付いた通り、森に入った時から、蘢は小刀で木の幹に傷を付け目印にしている。

「其れから、役に立つかは分からないけど、一応地図も探してきた。昔の武人や修験しゅげん者が使っていたものらしくて、何処まで正確かは怪しい」

 流石、蘢は抜け目がない。だが彼の言う通り、人ならざる妖異が犇くこの山では、人が作った地図等頼りないと言わざるを得ない。

 他に方位を知る手掛かりと為りそうな物は、霧がやや薄い所で梢から僅かに見える陽の位置くらいである。

「あとは、妖気や神気の流れをみて……というところか」

「そんな難しそうなことが出来るのは、君と魁斗くらいだろうね」

 会話を交えながらも集中を途切れさせること無く、三人は奥へ奥へと進む。途中、妖に数度出会ったが、いずれも襲い掛かられる前に麗蘭が矢を射掛け倒した。樹々や霧に潜んでいる所を気で察知し、姿を見せた瞬間に射抜いてしまうのだ。

「素早いな。しかも矢を一本も無駄にせず、全て一射いっしゃたおしている。俺たちが何もしてないみたいに見えるじゃないか」

 鮮やか過ぎる腕前に、舌を巻く魁斗。彼女の射撃を既に見慣れているはずの蘢も、視界が悪い霧の中如何どうやって狙いを定めているのか、不思議で仕方が無い。

「麗蘭、無理してない?」

 気遣わしげな蘢の問いに、麗蘭は大きく首を横に振る。

「大丈夫だ……もしきつくなったら、ちゃんと口に出して言う。此の邪気だらけの山では、強がりも言っていられないからな」

 背負い込まずに、苦しい時は仲間に頼る。そう決めた麗蘭は、心の底に溜まっていた何かから解き放たれ、吹っ切れたような笑顔で答える。堅く生真面目なのは相変わらずだが、ほんの僅かだけ雰囲気が柔らかく為ったようだ。

 優花と別れ、支えを失った麗蘭を案じていた蘢だったが、彼女の澄んだ面持ちを見て、幾らか安堵した。

――優花との別離で、何か感じられるものがあったのだろうか。

 胸を撫で下ろすと同時に、蘢は気を引き締める。今の状況下で、足を引っ張る可能性が有るのは自分なのだと。

 妖の山においては、破邪の力こそが生き残る鍵と為る。妖気を読む力も、妖を討つ神力も、麗蘭と魁斗に比べ明らかに劣っている自分……しかも今は、胸に負った傷のために剣を振るのがやっとときている。

 魁斗の戦力はかなり期待出来る。万一麗蘭が危険に陥ったとしても、彼ならば屹度きっと守り切れるだろう。しかし自分自身の身は、自分で守らなければならない。命懸けで麗蘭を助けると決めてはいるものの、そう簡単に死ぬわけにはいかないのだ。胸の内に秘めた彼の人への想いと、幼き頃からの夢のために。

 先を歩いていた麗蘭が、ふと歩みを止める。其れに合わせて魁斗と蘢も立ち止まり、感覚を研ぎ澄ませて忍び寄る妖の影を探らんとする。

「僕の気の所為だと良いのだけれど……物凄く、数が多くない?」

 困ったように笑みながら言う蘢に、魁斗が首を振る。

「いや……気の所為じゃないぞ。しかも四方から集まってくる感じがする」

「其れって……囲まれたってことかな」

 魁斗と蘢は、それぞれ刀剣の柄に手を掛ける。麗蘭もまた、弓に矢を番えて未だ見えぬ敵の大群に備える。

「殆どの妖気は然程強くはない……だが、一つだけ、大妖たいようが居る」

 そう言って目を細める麗蘭は、力強く弓を引き絞る。隠神術を用いながらも何とか矢に神気を纏わせ、未だ姿すら見えていない敵に向けて躊躇い無く放つ。

 一直線に飛んでゆく神矢に依って、霧が掻き分けられて光を成し、幽暗ゆうあんの森を僅かな間だけ明るく照らす。想像以上に近くまで迫っていた醜悪な獣たちの姿が垣間見え、麗蘭の一矢いっしに顔面を貫かれた黒猪くろいのししが血を吹き上げて倒れた。

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