四.剛なる将星【1】
琅華山を挟んで宿敵、大国茗の隣に位置する白林。どの街よりも国際情勢に敏感な此の街は、現在恐らく、聖安中で最も緊張が高まっている街であろう。
十数年前の大戦でも、堅固な城壁が幾度も街を守り、茗軍の侵略を免れた。茗と聖安に挟まれ白林の西に聳える魔の琅華山もまた、敵軍を阻む自然の巨壁と為った。
しかし山を越えずとも、迂回し進軍してきた茗軍に依って何時襲撃されるとも分からない。実際、先の戦では街への侵入は阻止出来たが、国境の防衛線を破られ城塞南方より聖安国内への侵攻を許してしまったのだ。
麗蘭たちが訪れた時、白林には既に厳重な警戒態勢が敷かれていた。白林軍だけでなく禁軍からも国境守備の大部隊が編成され、城塞や南の防御線に配置されつつある。
そうした状況の中、街は当然緊迫した空気に包まれており、街からの出入りも厳しく制限されている。蘢が気付いたように、城門付近に民間人が少ないのは其のためであった。
蘢が持つ上校の階級章で入城した麗蘭たちは、優花を休ませるため一先ず宿を探して入ることにした。旅人は殆ど居ないとはいえ軍人が多く滞在しており、満室の宿が多かったが、以前軍務で数度訪れたことのある蘢のお蔭で、手頃な宿を直ぐに取ることができた。
街の中央辺りに位置する宿に麗蘭と優花を残し、蘢は独り白林城へと赴く。目的の一つ目は、聖安を出国するに当たり、紫瑤に御座す恵帝に宛てて報告のための文を書くこと。そしてもう一つは、丁度白林に訪れている上官、瑛睡公に会うこと。
聖安禁軍の頂点に立つ上将軍瑛睡は、来るべき大戦に備えて軍備を増強しつつ、帝国領内各地の軍事的要衝を視察しているという。蘢は彼に会い、此れまでの旅の報告をすることに加え、彼から最新の情報を得ようとしていた。
城壁と同じ鼠色をした煉瓦を積み重ね、三層構造で築かれた白林城は、華美の一切を除いた重厚さで如何にも軍事要塞といった外観を持つ。白林が属する采州の政治や軍事の中心であり、白林総督を兼ねる采州候の居城ともなっている。
城に入った蘢は、早速瑛睡公への目通りを申し出た。上将軍は直ぐに其れを許し、自分が執務を行う室へと蘢を通させた。広々とした明るい室の奥で、卓に着いて何か書き物をしていた公は、入口に蘢が現れると手を止め、嬉しそうに彼を招き入れた。
「お久し振りです、閣下」
蘢は慎み深く礼をして丁寧に挨拶する。胸に傷を負っていることを、敢えて隠そうと努めながら。
「待っていたぞ。おまえらしき上校が城門を通ったと聞いたからな」
手にしている筆を硯の上に置くと、瑛睡は目尻に皺を寄せて笑い掛ける。由緒正しい大貴族の生まれを感じさせる気品と、帝国の大将に足る剛胆さを兼ね備えた壮齢の上将軍は、我が子のように目を掛けている蘢との再会を素直に喜んでいた。
「おまえに伝えたいことがあるのだ。呼ばずともおまえなら、私が居ると知れば自分から来ると思っていた」
自分の方へと蘢を手招きした瑛睡は、近付いて来る彼を見て僅かに眉を曇らせた。
「……怪我をしたのか? 動きがぎこちない上に、神気が大分落ちている」
「……不覚を取りました」
苦い笑みを零し、頭を下げる蘢。
「気取られぬよう注意しているようだが、私に見破られるようでは未だ未だ甘いぞ。しかし、命が無事で何より」
瑛睡は微笑しつつ、黒黒とした口髭を指で撫で付けてから、側に在る椅子に座るよう蘢に向かって合図をする。蘢が席に着くと、自分の身体を椅子ごと彼の方へと向けた。
「見たところ相当な深手だな、誰にやられた?」
「……茗の青竜上将軍です」
其の名を聞いた途端、瑛睡は僅かに目を見開き険しい顔をしたが、やがて何か納得したように深く頷く。
「……姫君は、麗蘭公主はご無事であろうな?」
「はい、共に此の白林まで。宿屋にてお待ちいただいております」
其の答えに安堵したのか、瑛睡は息を吐きもう一度頷いてから、顔を上げて蘢を真っ直ぐに見る。蘢は上官の訊かんとする内容を汲み取り、静かに話し続ける。
「公主殿下の……光龍の神気により居場所を探し当てられ、泉栄を出た後に襲われました。殿下の御名前を既に知っており、明らかに、殿下を拐かそうとしておりました」
「……金竜の邪眼を得てからというもの、様々な人外の力を手にしたと言うからな。人一人を探し出すなど容易いことなのかもしれん」
腕を組み、ますます難しそうに顔を顰めて言う瑛睡。
「閣下は確か、青竜と対峙したことがお有りでしたね?」
「……大戦中に二度、互いに大将として見え戦い結果は一勝一敗。但し、金竜を縛する前……未だ『四神』や『青竜』などと呼ばれる前の話だ」
以前、蘢が瑛睡や他の誰かから聞いた話によると、青竜が金竜と戦い封じたのは今から八年程前で停戦後のこと。他の三人と併せて『四神』という呼称で呼ばれるようになったのは、其の少し後のことだという。
「其の後戦場ではない所で一度だけ、邪眼を持った奴を見たことがあるが、纏う神気や力の性質が完全に変化しまるで別人のようだった。元より化け物染みた強さだったが、金竜を得たことで異なる次元へと足を踏み入れてしまったとでも言うべきか」
其処まで言うと、瑛睡は溜め息をついて首を傾げる。
「しかし妙だな。此の時期、青竜は国内で軍務に掛りきりだろうに、直々に聖安までやって来ていた……ということは、公主であるかは別として『光龍』が我が国に居られることを知っていたのではないか? 何故、知り得たのだろう?」
開戦を控え、今の瑛睡のように国内の視察や禁軍の統率で忙殺されている状況は青竜とて同じはずだ。其れにも拘らず、自ら聖安までやって来たということは、余程の理由があってこそ。恐らく「光龍を探せ」という珠帝の命があってこそだと、瑛睡は推測している。
「私も其処が解せないのです。随加で海賊の残党を殲滅するためだけに遣わされたとは、余り思えない」
確かに随加の時は、姿を見られずに短時間で確実に数十人を殺さなければならないという厳しい条件が有った。しかし複数人でもって当たらせれば、態々青竜を使わなくとも為せたはずであろう。光龍を追わせていて、近くに居た青竜を下手人に選んだと考える方が自然である。
「公主殿下には都にお隠れいただき、私だけが任務を続けるというのはやはり、難しいでしょうか?」
あと少しで茗、というところまで来て今更麗蘭に帰れと言うのは、彼女を酷く傷付けることだと分かってはいる。しかし彼女の安全、聖安の未来を考えた時、此のまま旅を続けて良いものか、蘢は不安に為ったのである。
そもそも瑛睡は、麗蘭を旅立たせることを最後まで反対していた。彼女を行かせる位なら自分が行くとまで言い張り、恵帝にも強く訴えていた。ゆえに蘢は、彼女が光龍であると知られ青竜までもが出てきた今、瑛睡なら屹度旅を中断させる方に賛成すると考えていた。ところが意外にも、彼は首を横に振ったのだった。
「第一公主の麗蘭さまには、いずれ女帝として登極していただかなくてはならない。蘭麗さまではなく、麗蘭さまに。麗蘭さまが一子であられる以上、其れは何が有ろうと守らなければならん」
聖安の皇家には、古くから続く珍しい慣例が有る。一番始めに生まれた皇子、または皇女が必ず帝位を継ぐというものだ。
此れは数世紀前、帝位を巡って起きた深刻な内乱を省みて生まれたもので、第一子に身体的・精神的な異常が有る場合を除き、頑なに守られてきた。此の数百年の間殆ど例外無く一子継承であったため、帝に相応しく無い愚王が立つことは有れど、継承権争いは起きたことが無い。
「だが麗蘭さまの場合は事情が違う。今まで大半の臣下や民たちは蘭麗さまこそが一の姫と信じている……其処に、真の一子であられる麗蘭さまが現れれば、如何為る?」
「……麗蘭公主を女帝に押す者と、麗蘭公主が第一子であられるのを認めない、蘭麗公主を押す者とで、二分されるでしょう」
九年もの間敵国に幽閉されているとはいえ、蘭麗の悲劇的な生い立ちに同情し、彼女を支持する者は多い。麗蘭の存在を知った時、そうした者たちが黙っていないであろうことは想像に難くない。
本人たちが望まずとも引き起こされる、何としても避けるべき骨肉の争い。其れは至極、簡単に訪れる未来なのだ。
「我が国の平穏を此れ以上乱すこと無く、麗蘭さまを公主として国内外に受け入れさせるためには……やはり其れなりの段階を踏んでいただかなくてはならない」
「蘭麗姫を奪還し、聖安に勝機を齎す。麗蘭公主が真に認められるには、此の難関を突破することが不可欠……でしょう?」
皇女としての正式な帰還と将来の即位のため、麗蘭を蘢と共に旅立たせることは、今此処で改めて話さずとも元より言われていたことだった。実際、旅立つ前の麗蘭自身にも其の目的は告げている。
分からない、という顔をしている蘢を見て、瑛睡は続ける。
「麗蘭さまが茗に赴き及ぶ危険と、蘭麗さま救出成功の暁に得られるものとでは割に合わない。おまえは恐らく、そう言いたいのだろう?」
蘢はやや目を細めて首肯する。詰まるところ、彼の考えは其の通りであった。紫瑤を発つ時とは、既に状況が大きく異なっているのだ。開戦が近付き、麗蘭の名と光龍であることを敵に知られ、強大過ぎる敵青竜に目を付けられ、おまけに麗蘭の助けと為り盾と為るべき蘢は大きな怪我を負った。こうした状態を踏まえると、麗蘭が受け入れられるための手段としては、別の機会とやり方を考えた方が良いのではないかと、蘢は思い始めたのである。
「青竜が接触してきたこと等は知らなかったが、私も同じ考えだった。 そしてもう一度、恵帝陛下にお考え直しくださるようお願い申し上げた。ところが陛下は、思いも寄らないことを仰った……麗蘭さまの危険を軽減する秘策が有ると」
「秘策……ですか?」
頷くと、瑛睡は椅子から立ち上がる。合わせて立とうとする蘢を制止し座らせたままにしておくと、大きな窓の傍へと歩いて行く。




