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金色の螺旋  作者: 亜薇
第四章 紫蘭に捧ぐ
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三.黒の君主

 夢見ゆめみの力を宿せし姫君は、悲しい哀しい夢を見た。

 彼女の大切な誰かが深く傷付き、其の周囲の者もまた、悲嘆に暮れると同時に己の無力さを呪う。辛く……苦しい夢だ。慈愛に満ちた姫にとっては、余りに辛く苦しい光景である。

 しかし傷を負った「大切な誰か」が何処の誰なのかは、彼女には判らなかった。夢に出て来る人物ははっきりと「誰」と判ることも有れば、顔の無い人形ひとがたであったり人影だけであったりと区々(まちまち)なのだ。今回は朧げな人のかたちのみ、という場合であった。

 少し前まで、姫は「誰かが死ぬ夢」に悩まされていたのだが、其の「誰か」とは違うことは何となく分かる。昨夜の夢に現れたのはまた別の「誰か」で、彼女のことを知っている「誰か」だったように見受けられた。

『……君、紫蘭しらんの姫君』

 夢境の青年は、姫のことを幾度も幾度も『紫蘭の君』と呼んでいた。未だかつて、彼女は其の美称で直接呼ばれたことはない。

――紫蘭、『変わらぬ想い』……か。何と美しいこと。

 花がたとえて表す、ある種幻想的な意味合いを思い浮かべ、姫君は他愛たあいの無い喜びを覚えた。姫でなくとも、女ならば誰しも……『変わらぬ想い』『貴女を忘れない』、そのような想いを受け満たされたいと、願わぬはずがない。

――私に左様な想いを向けてくださる方が居るということ? そして其の方が傷付き、苦しんでいらっしゃるの?

……姫には遠い昔から、想い続けている少年が居る。心の片隅にいつも在り、母の存在と同じく自分を勇気付けてくれる大切な大切な少年であった。

 茗の女帝に依って此処に幽閉される少し前、宮殿で出会った高貴なる少年。彼もまた、強大な王国の支配者となる定めの王子であり、誰よりも美しく強く、そして優しかった。

 さらりと流れる金糸きんしの髪に、澄んだ海青うみあおの瞳を持つ、まるで神話に出てくる美神を想起させる程の美しさ。十年近く経った今、彼は成長し……天界の神々さながらの美貌を誇っていることだろう。

――私を『紫蘭』と呼ぶあの御方が、青年と為った彼であったのなら……

 此れ以上の至福はないと、姫は思った。しかし夢見は、「誰か」が大怪我を負って激痛に耐え煩悶している所だったのだ。

――彼であって欲しい、けれど一方で、彼であって欲しくない。

 行き着いたのは、そうした曖昧で都合の良過ぎる願いである。

 姫は……蘭麗は、小さく息を吐いた。下げていた視線を再び上げて、窓の外を物憂げに見やる。長い睫に縁を彩られた瞳は、何時ものように何千里と離れた祖国を見詰め始める。

 灰色の雲で覆われた空からは、今朝早くよりしとしとと弱い雨が降り続いている。既に夕方近くと為っていたが、朱い太陽が姿を現す気配は一向に無い。

 数ヶ月前珠帝が此の恭月塔を訪れた際、蘭麗は彼女の言動から事態が良からぬ方向へ進んでいることを感じ取った。十六年間隠し通してきた聖安最大の秘密、第一公主麗蘭の存在を知られたという、信じ難い確信を得てしまったのだ。

 あれから珠帝が蘭麗に接触することは無かったし、蘭麗が外の情報を得られる手段は相も変わらず皆無のまま。本物の世継ぎではないと知られてからも、蘭麗に対する扱いは変わらなかった。

 停戦の為に差し出された人質。そして、姉から敵の目を逸らす為のおとり。珠帝が麗蘭の存在を疑い始め、半ば真実と信じてしまっている以上、後者としての役割は無くなったも同然。前者についても、再び戦が始まれば果たせなく為るのは必至である。

 だからといって、他のことは何も出来ぬ。此処に閉じ込められ身動きを許されぬ状況では何の役にも立たぬ。

――いっそのこと……

 怖しい考えが脳裏に過ぎる。此のまま生きていても、聖安や母、そして姉の足枷にしか為らぬ自分等、いっそ消えて無くなった方が良いのではないか、と。

 久方振りに夢で再会した母恵帝は、姉が遠くない未来に蘭麗のもとへやって来ると断言した。其れが真となるならば尚更、此のままではいけない。此のままで良いはずが無い。自分とは違って他に代えの利かぬ姉に、此処にやって来る等という危険を冒させる訳にはいかない。

 蘭麗は椅子から立ち上がり、少し離れた所から窓辺を見た。彼女が何時も外を眺めている窓は人一人が十分通れるほどの大きさで、頑丈な格子がめられてはいるものの、木製である。長年塔に押し込められて弱った蘭麗の身体では、何か居室に在る物を使って叩き壊す等ということはあたわぬだろう。だがその気になれば、身にたたえた強い神力で波を作り出し破ることは出来よう。

 しかし格子戸を破壊出来たとて、其処から逃げ出せるかと言えば不可能である。此処は七層にもなる高い塔の最上階であり、窓の下は湖畔あるいは緑の草原、森が広がっている。降りてゆくことは至難の業で、そもそも此の居室には下へと垂らせるような縄すら無い。

――けれど、窓を破れば……墜ちることは出来る。

 絶望へと至る道に足を踏み入れ、己の存在を害と見なし始めた哀れな姫。彼女がふと思い立ったのは、そんな悲しい考えであった。

 此れまでは「死」等思いも寄らなかった。生きてさえいれば母や姉、祖国の役に立ったし、むしろ生きていなければならなかったのだから。ところが今となっては違う。逃げることも、倒すべき珠帝に報いることも出来ぬ自分が為すべきことは何なのか、考えに考えた末行き着いたのは「死」という「逃げ」であった。

 珠帝によって揺さぶられ、此処から出してやると言われればいずれは籠絡ろうらくされてしまうやもしれぬ。母が守れと言った誇りを失い、裏切り者としてそしられることになるやもしれぬ。先日珠帝と対峙してからというもの、其のような恐れも彼女を襲う不安の一つと為っている。 

――そう為る位なら、いっそ。

 己の誇りを失い愛すべき者たちの重荷と為る位なら、死んだ方が未だましであると、蘭麗は心から思っている。

――……なのに。

 姉を信じて待てという母の言葉や、最後に会って久しい麗しの『黄金の公子』、そして未だ顔も見たことのない美しい姉。囚われの身であるが為に、見ること聞くこと、出会うこと訪れること叶わなかった多くの……素晴らしきものたち。其れら全てが、蘭麗を此の辛く厳しい現実に繋ぎ止めて放さないのだ。

「……私は、弱いわ」

 御簾の向こう側にも、誰も居ないことを気で感じ取っていた蘭麗は、小夜さよく鳥の如き声で呟いてみる。

「終わろうと思えば、何時でも終わらせられる。あの蒼い湖に一度身を投げたなら……容易く幕は下ろせるのね」

 そんな簡単なことが出来ないとは、自分はなんと脆弱な人間なのだろう。そう思うと同時に、造作無いことならば……もう少しだけ待ってみても許されるのではないか、希望を求めても良いのではないか、という甘えた考えが浮かんでくる。

 幕引きは未だ早い。是か非かは判然とせぬが、蘭麗は結局そう結論づけた。

 大きな格子窓の側へと戻り、優雅な身のこなしで腰を下ろす。先刻までと同じく湖畔を越えた彼方を眺め見ると、何時の間にやらそぼ降っていた小雨が上がっていた。

「……寂しいの?」

 余りにも突然に、誰も居らぬはずの御簾の向こうから声がした。驚いた蘭麗は自分の耳を疑い、思わず椅子から再び立ち上がっていた。

 少年……いや、少女であろうか? どちらとも取れぬ、高めの幼い声。だがいずれにせよ、たった一言で快いと蘭麗に思わせる程、其の声は甘やかで透明で……艶めいている。

「誰? 其処にいるのは」

 蘭麗は、厳しいとまでは行かないが多少の警戒心を以て尋ねる。自分の動揺を、御簾の向こうの何者かに悟られぬよう注意しながら。

 此の居室に入るのを許されているのは、蘭麗をばくしている珠帝本人と其の配下紫暗しあん、そして数人の侍女だけである。囚われ人と言えど皇族である自分の部屋に無断で入ってくる等、たとえ無垢なる子供であっても言語道断。珠帝も当然其れ位のことは心得ており、室の外で昼夜監視している兵にも言い聞かせてあるはずだ。

「……もう一度聞くわ、貴方は何方?」

 目を凝らし、蘭麗は御簾越しに小さな人影を見る。同時に感覚を研ぎ澄ませ、子供の気の種を感知しようと試みる。

――茗の……珠帝の差し金でなければ、妖の類かもしれない。

 此の恭月塔は蘭麗を奪い返されぬようにと、紫暗をはじめとする強者等によって厳重な警備が為されている。中でも最も堅牢な此の部屋に、何の騒ぎも起こさず容易く滑り込む等、人の業では有り得ない。

「……無礼をお許しを、優しき姫君。だが、僕の姿は貴女自身の御目で確かめるがよろしかろう」

 頭に響いてくる、聞く者に心地良さを与える声。最初蘭麗が想像したよりもずっと大人びて落ち着いてはいるが、間違い無く子供のもの。耳触りの良い声なれど、皇女である自分に対し「御簾から出て直接顔を見せよ」等と、無礼極まりない。ところが奇妙なことに、蘭麗には少年の言う通りにするのが良いことであると思えたのだ。彼女は我知らず、そろそろと御簾の方へと歩き始めている。

「さあ、此方へ。麗しき姫君」

 少年の影と、抗い難い魅惑的な声に操られるかのように、蘭麗は自ら進み出る。垂れている簾の端に手を掛けると、すっと横に押しやって向こう側を見た。

 少し離れた所、一つしかない出入り口と御簾の丁度真ん中辺りに、少年が独り立っている。彼が伏せていた顔をゆっくり上げてゆくと、其処には凄絶なる美貌が在った。

 肩を覆い隠す程長い黒髪は、黒檀こくたんの如き闇色。瞳は正しく、比類無き輝きをたたえる黒曜石そのもの。其れらとは対照的に白く光る滑らかな白皙はくせきの肌は特に、人の子の其れとは明らかに異なる幽玄美を放っていた。身に付けた上質な衣もまた、あてなる紫紺しこんを基調とした珍しい意匠いしょうで、彼にぴたりと良く似合っている。

「な……!」

 蘭麗は思わず口を覆い、漏れ出た驚嘆の声を隠そうとする。未だ幼い、十歳を少し過ぎた頃の子供の姿をしているが、此の美しき者はほんの一瞬で……只の一目いちもくだけで、相手の思考を奪う程の魔力を有している。

「寂しいの? 可愛い蘭麗姫」

 少年とも少女とも見分けが付かぬ其の子供は、姿だけで言えば蘭麗よりもずっと年下に見える。しかし紡ぎ出す言葉はまるで、自分よりか弱い、傷付いた蘭麗を優しく慰めるかのように発せられた。

――寂しい? 私が?

 公主としての使命や存在価値、国の行く末や自らの弱さ等、考え込んでいることは山のように在ったが、自分の孤独を真っ直ぐに見詰めたことは、意外にも無かったかもしれない。

 目の前に立つ謎の少年に指摘されるまで気付かなかったが、彼女は確かに、心細かったのである。此の敵地から今後も出られず自分の生きる意味が分からなくなれば、何時かは皆に忘れ去られてしまうのではないかと。ゆえにああして、自分がすべきことを必死に考えていたのだ。

 己が心奥を読まれ言い当てられ、更には少年の優れた造作と人離れした様相に呑まれていた蘭麗は、やがてはっとして居住まいを皇女の其れに正す。

「私は聖安帝国が公主、清蘭麗」

 穏やかさの中に凛然たる気高さを含んだ声で、言い放つ。すると少年は、理知的なかおにぞっとする程見目の良い、優美なる微笑を浮かべて答える。

「尊き姫よ、僕のような者には……人からも妖からも忌み嫌われ、災厄とおそれられる禍禍まがまがしき者には、貴女さまに申し上げて良い名等在りませぬ」

――やはり人ではない。かといって、妖でもないらしい。

 少年の言葉を聞いて蘭麗は確信する。彼女程気を読み取るのに長けた者が、此処に来るまではっきりと判別出来ずにいた理由は、少年が気を持たぬことにあった。

 妖は妖力を持ち、神人は神気を纏う。神人でない只人ですら、多少の神気は其の身に持ち合わせているもの。ところが眼前の少年からは、どの種の気配も見出すことが出来ぬ。此の居室に入ってきたことに彼女が気付けなかったのも、何も感じなかったからというのが真実である。

 見掛けの歳に似合わぬ泰然たいぜんとした調子からも、実年齢はずっと上であることを思わせる。『人ならざる者』であれば、斯様なことは珍しくないという。

 人ならざる者、それも、妖ではない。となれば残る選択肢は魔族か神となるのだが、本人が気と力を隠している以上、蘭麗にはどちらか見分けることは能わない。

 毅然とした態度を崩さぬよう気を付けながらも、彼女の表情には困惑した色が滲み出ている。人を超越した少年は其れを見逃さず、顔を綻ばせて穏やかに笑う。

「其のように、お気になさることはございませぬ。僕は貴女の心の澄んだ輝きに魅せられ、此方に寄せられた取るに足らぬ童に過ぎませぬ。卑小な此の身が、御身の為に僅かでもお役に立てればと思い、参ったまで」

 涼やかなる美しさを備えながらも、少年の笑顔は柔らかく優しいもの。頬を緩めると白い肌に少しの紅色が差し、人の子のものと同じ無邪気さが表れる。聡い蘭麗は、其れが少年の魔性かもしれないと用心し、心に高く堅い砦を築いて身構える。

「……今日は此れにて。また近いうちに罷り越すことをお許しください」

 彼女の心を見通したのか、少年は一端身を引くことに決めたらしい。丁寧に頭を下げると、どういう術式なのか力なのか、其の姿を薄れさせ半透明にさせ、終いには完全に消し去ってしまった。

 少年が居なくなっても暫くの間、蘭麗は彼が立っていた場所をじっと見ていた。あっという間に煙が消えるが如く居なくなってしまったので、何となく狐につままれたような気がしないでもない。

 漆黒を帯びた端麗なる少年の恐るべき正体を、姫は知る由も無い。彼が明かさぬと決めているうちは、とても知ることは出来ないだろう。彼に……『黒の天子てんし』に支配出来ぬものは存在せず、叶わぬ望み等も有りはしない。彼の君は、今や『兄君』である天帝すら凌ぐ絶対的な力を有しているのだから。

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