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金色の螺旋  作者: 亜薇
第三章 竜の化身
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四.思わぬ再会

 日が落ち行く頃、暗く為り掛けた森の中。麗蘭は弓を構え、矢の先を眼前の化け物に向けている。物の怪との距離は、凡そ一丈※。

 真っ赤な毛を逆立て、右の前足を一歩だけ出し臨戦態勢を取っている虎のような獣。全体を見れば虎だが、雄牛の角を生やして豚のような鼻を持ち、血の如く赤い毛並みの血虎けっこというぞっとするような異形いぎょうである。

 四本足で立っているにもかかわらず、頭の位置は麗蘭と同じ程。彼女の強い神気に警戒しているのか酷く気が立っており、虎と豚を掛け合わせたような奇妙な声で醜く呻いている。

 自分よりも大きな体躯の化け物を前にして、麗蘭は全くひるまない。血虎の眉間に狙いを定め、かい※の間少しも手足を動かさない集中力は凄まじい。ほんの僅かだけ口を開いて呪を唱え神力を籠めると、鉄拵てつごしらえの矢尻に白光が集まり始めた。

 おぞましい妖は一際大きな奇声を発し、いよいよ麗蘭に飛掛からんと地を蹴って駆け出した。慌てること無く絶好の一瞬を見極める麗蘭は、矢の根が存分に神力を纏わせ、血虎を貫くのに丁度良い位に距離が縮まるまで引き付ける。そして十分だと感じた瞬間、勝機を逃さず一気に弓を引くと、神力によって強さと速度を上げた聖なる矢が、化け物の両眼の間を射抜いて後頭部を貫通した。

 耳を塞ぎたくなる程大きな絶叫を上げて、血虎がずしんと横に倒れる。邪悪な其の身が打ち込まれた神気の強さに耐え切れなかったのか、矢傷の部分から火が起こり、瞬く間に炎に包まれ焼き尽くされていく。

 たった一本のか細い矢で、自分よりも大きい身の丈の妖を打ち倒す。此れが神巫女である麗蘭の、邪を破る強大な力の片鱗であった。

「流石、感服したよ」

 構えていた弓を下ろした所に、剣を持ったまま蘢が歩いて来る。銀色の刀身からは血が滴っており、彼もまた、近くで妖を倒して来たところだった。

「僕が漸く一頭倒す間に、君は剣を使わずに三頭も倒してしまったんだね」

 麗蘭に近付き過ぎず、剣を地面に刺す。少しとはいえ返り血を浴びてしまった為に、彼女に近付くことを躊躇っているのだ。不浄な妖の血は麗蘭にとって毒となるのだから。

「蘢、大丈夫だ。自分の肌に直に浴びなければ害には為らない」

 再び弓を背負って蘢に笑い掛ける。彼は頷きはしたがやはり気にしているようで、剣を濡らした血を懐紙で拭き取って鞘に納め、血の付いた上着を脱いだ。随加を出る時から、彼は再び軍服ではなく庶民の目立たない服を身に付けている。

「向こうに川が在ったから、清めて来るよ」

「ああ、分かった」

 蘢が見えなくなると、麗蘭は溜め息をつく。

――妖を倒すことなら、何とか力に為れるようだ。

 随加では蘢に助けられてばかりだった。殆ど何も出来ず、其ればかりか足を引っ張ってしまった自分が情けなく悔しかった。 

 だがこうして陸路を行くことになった今、妖と戦う機会も増えてくる。幼い頃から自分の使命として行って来た妖退治であれば、自信を持って彼の助けと為れるだろう。

 実際、随加を発ってからの三日で二回、妖と遭遇した。蘢の発案で街道を避けて森の中の道を進んでいる所為も有るが、其れにしても多い気がしている。はっきりとは分からないが、麗蘭の神気に引き寄せられたことが原因だろう。

 彼がそんな提案をしたのは、茗側に自分たちの動向を知られているのを恐れてのことだった。玄武の生死がはっきりとは分からず、光龍の存在が何処まで割れているのかも分からない。更に、随加で遭遇した謎の殺人者のことも気になる。

 此の辺りの森は然程さほど深くはなく、人里までも其れ程遠くはない。故に出現する妖も大した強敵は居ない。蘢と麗蘭は、こうして茗側に見付からないことを最優先に経路を考えていた。

 日の光を受けながら頭上を仰ぐと、枝葉の隙間からやや赤く染まった空が見えている。目を瞑り、彼女の側を通り過ぎていく澄んだ風や、葉と葉が重なり合う音、優しく呼び合うように鳴く虫の音を感じようとする。先程まで空間を澱ませていた邪気は既にもう、感じない。妖を倒したことで滅したようだ。

――もっとしっかりせねば。私は神巫女なのだから。加えて今や、此の国の……公主なのだから。

 自分を信じて貫く。再会した母から学んだ言葉は、麗蘭を勇気付けると共に焦らせている。彼女は理想を高く高くに置き過ぎているのだ。公主であると知ってから、自らがあるべき姿や為すべきことを、より難しく考えるようになっている。

――神巫女は守り、導く者。人々を脅かす人ならざる悪意を退け、光をもたらす者。公主は聡く、力強き者。誇り高く毅然として、皆に希望を抱かせる者。

 麗蘭は焦燥していた。自分には欠けているものが多過ぎると。天才と呼ばれる蘢と出会い、玄武と対峙し、彼等と自分を並べることで、焦りが更に強まった。

 そしてこうして苦悩していることさえも、彼女の心を掻き乱している。孤校を出る前優花は、悩みが有って当然だと言ってくれた。しかし果たして其れで良いのだろうか? 確かに自分は神ではない。神巫女と雖も只の人間に過ぎない。だが、其のことに甘んじていても良いのだろうか?

 彼女の前世の神巫女たちは、五百年毎に降され人界を守って来た光龍たちは、もっともっと偉大だったのではないだろうか? 神の如く聡明で、自信に溢れた完璧な人間だったのではなかろうか?

 次々と、際限なく生まれ出る不安、懸念、憂慮。そうした思いが、一層自分を弱く小さくしてゆくのに気付いている。しかし、止められない。

――情けない。

 大きく深く息を吐いて俯く。

――此処のところ、溜め息ばかりだな。人前では気を付けなければ。

 やがて、蘢が戻って来た。剣を腰に差しながら、早足で此方に向かって来る。

「お待たせ。此処から少し歩けば泉栄だよ、日が暮れる前に急ごうか」

「あ、ああ」

 蘢の前で弱々しい顔をしていないかと心配になり、不自然にも口角を上げておく。彼は気にするなと言ってくれてはいるが、此れ以上自分のことで気を遣わせたくはない。

 他愛のない世間話を交わしながら、再び森の中を歩き出す。蘢は何となく、麗蘭の口数がいつもより少ないことに気付いている。

――何か、一人で抱え込んでいるのだろうか?

 直感的に勘付いたとはいえ、蘢は敢えて其れを伝えない方が良いと心得ている。麗蘭はそういう人間で、ほんの少しばかり難しい少女なのだと。

 そしてそんな彼女の性質が、彼女の背負った宿を考えれば致し方のないことなのだということも、蘢はよくよく理解している。

 敬愛し忠誠を誓う主君の前で、彼は麗蘭を守ると誓約した。しかし命を投げ出し彼女を危機から救うことは出来ても、重い使命を肩代わりすることは出来ない。

――では、僕は、如何すれば良いのだろう? 如何すれば本当の意味で、麗蘭の力に為れるのだろう?

 蘢もまた、麗蘭には分からぬよう考えていた。自らの出来ること、為すべきことを。彼女が主君の娘御だから、祖国の世継ぎだから、尊ぶべき神巫女だから、等という義務的な理由からではない。共に旅するうちに、麗蘭という少女の険し過ぎる道程を、手助けしたいと思い始めていたのだ。

 木立を通り抜けると、ぽつりぽつりと低い屋根の家が建っている其の先に、泉栄の町が見えた。





「済まないね、今日は一杯なんだよ」

 麗蘭と蘢がその日の宿を探し始めて、三軒目。何処も満室ということで断られてしまった。

「此の人だけでも良い、一人分の部屋だけでも何とか為りませんか?」

 蘢は亭主に向かい麗蘭の方を手で示しながら、彼女の部屋だけでも確保しようと頼み込む。自分は野宿でも何でも全く構わないと思っていたのだから。

 亭主は視線を落とし、台上の帳簿をちらりと見てから再び首を横に振る。

「すまん、如何しても空いていないんだ。使用人の部屋まで解放しているんだが満杯で」

「……宿代は沢山有るんだけど、其れでも?」

 蘢の言葉に、亭主は彼の目を見やり少しだけ黙考するが、やはり肯んじなかった。

「分かりました、無理言って申し訳ない」

 柔らかく笑むと、傍らの麗蘭に目配せして踵を返す。惜しいことをした、という顔を見せながら、亭主は二人が出て行くのを見送った。

「……参ったなぁ、今の宿で全部か」

 宿を出た処で、蘢は落胆した声を出した。此んな小さな町で宿屋が何処も埋まっている等と、余りに想定外のことだった。

「蘢、私は野宿でも構わ……」

 皆まで言わせぬうちに、蘢が大きく首を横に振る。

「金は有ると言っても、どの亭主も迷う素振りすら見せなかった。此れは何か事情が有るのだろうね……」

 此の泉栄は小さな町で、軍の施設も貴族の屋敷もなく、民家と小さな商店が立ち並ぶだけの長閑な町。宿屋が満室で、金を多く払うと言っても取り合ってくれないとなると、何かが怪しい。しかし既に夕日が沈み掛け、辺りは暗くなり始めている。先ずは泊まれる場所を探すことが先決である。

「宿が無いとなると、泊めてくれる民家を探すしか……」

 言い掛けた麗蘭は、突然目を細めて首を傾げる。

「如何したの?」

「此の気は……!」

 気、と聞いて、蘢も不審な気配を感じ取ろうと意識する。だが、特に妙なものは感知出来ない。気の察知では、やはり神巫女である麗蘭の方が一段上なのだ。

 麗蘭は辺りを見回し、気を感じた方向へと慌てた様子で走り出す。普段冷静な彼女が訳も話さずに走り出す等、余程のことが有るのだろう。とにかく蘢は、彼女の後を付いて行くしかない。

 宿屋の在る比較的大きな通りを出て、店や民家の並ぶ小さな路を駆ける。仕事帰りの男たちや遊びから帰る子供たちと擦れ違いながら、町の中心から遠ざかって行く。狭い町なので、ほんの少し走れば周囲の景色も変わってゆき、建物が減って田圃たんぼや畑だけという風景になる。

 やがて田畑の間を通っている一本の道の向こうに、大きな屋敷が見えてくる。どうやら麗蘭はあの館を目指しているようだ。

 其の道を、屋敷の方へと歩いている一人の少女が居た。彼女の姿が見えてから麗蘭は走る速度を上げ、肩で風を切って行く。

「優花!」

 走りながら、麗蘭が声を張り上げた。背後から呼ばれた少女は反応し、立ち止まってくるりと振り返る。

「麗……蘭?」

――やはり、優花だったか。

 麗蘭は優花の前まで来ると足を止め、僅かに荒れた呼吸を落ち着ける。遅れること無く付いて来た蘢も麗蘭の後ろで止まり、初めて会う少女を見た。

「麗蘭! 麗蘭なんだね!」

 手にしていた風呂敷を落とし、麗蘭に抱き着く優花。麗蘭も彼女の背中に手を回して応え、幾度も頷く。

「ああ、ああ。久しいな……優花」

 友に見せた笑顔は、生き生きとした喜びに満ち溢れた顔。蘢が麗蘭のこんな表情を見るのは、出会ってから初めてのことであった。麗蘭が過剰に反応し急に駆け出したものだから、妖の類ではないかと心配していた彼は、ほっと胸を撫で下ろした。

 たった一月半離れていただけで、何年も会っていない気がしていた……大切な大切な、唯一無二の親友との思わぬ再会。麗蘭も、そして優花も、お互い心の底から喜んでいた。

「えっと……其方の人は……」

 先程から蘢の方をちらちらと見ていた優花が尋ねる。柔らかく微笑んだ彼と目が合うと、気恥ずかしそうに会釈した。

「彼は蘢、一緒に旅をしている。蘢、此方は優花だ。私と同門で風友さまの孤校で共に過ごした、私の親友だ」

 本人の前で親友だ、等とはっきり言ってしまうところが実に麗蘭らしい。優花は面映ゆそうにぺこりと頭を下げて、改めて自己紹介する。

「はじめまして、伯優花と言います」

「はじめまして、僕は蒼稀蘢。聖安の軍人で、今は見ての通り麗蘭のお供をしているよ」

 此の旅で、蘢が他人に本名を名乗るのは初めてだった。麗蘭と二人きり以外の時は極力名を呼び合わぬよう示し合わせていたし、必要な時は偽名を使っていた。麗蘭が優花を親友だと断言し、風友……璋元上将軍のもと学んだ同門だと紹介したことから、名を明かしても良いと踏んだのだ。

 他人に、特に異性と関わることに慣れておらず、苦手意識を感じている優花だったが、彼の爽やかで人懐っこい笑みに幾分か安心したようだ。初めはどこかぎこちなかった表情が、だんだんと自然になって来ていた。

「しかし如何して此処に? おまえ独りで来たのか?」

 麗蘭が阿宋山を出る前は、孤校を留守にする際麗蘭か風友のどちらかが残ることにしていた。山に出る妖が、孤校の子供たちを脅かしかねない為だ。麗蘭が山を出た今、風友が孤校から離れられない状態が続いているはずである。

「うん、風友さまのお遣いで、独りで来てるんだ。あのお屋敷に住んでいる紀佑きゆうさんに用が有って」

 そう言って優花は、進行方向に建っている館を指差す。外装等造りからは貴族の館という風には見えないが、かなり大きな家だった。

「昨日からご厄介になっているの。宿に泊まろうと思っていたんだけど、何処も一杯でね……ご厚意に甘えさせてもらってる」

「やはりそうか。私たちも宿を探したのだが、何処にも泊めてもらえなかった」

 麗蘭が後ろに居た蘢へちらりと振り返ると、彼も静かに頷く。

「……そうだ、私が紀佑さんに二人も泊めてもらえるようにお願いしてみるよ」

 自分に任せて欲しいと言わんばかりの優花の言葉に、麗蘭少しばかり戸惑いの表情を見せる。

「しかし……既におまえが泊めてもらっているのに我々まで厄介になっては、申し訳ないのではないか?」

「……いや、此処は優花の言う通りにするしか無いと思うよ」

 静かに聞いていた蘢が口を挟む。

「此の町は見たところ、小さな貧しい家が多い。他人を泊める余裕の有りそうな家が他に見つかるかどうかも保証がない」

 其れに加えて、蘢は一刻も早く麗蘭を休ませてやりたかった。殆ど一日中歩き詰めだったし、彼女にとっては雑魚かもしれないが妖と戦い体力を消耗している。

 そして何より、麗蘭と優花を少しでも長く一緒に居させてやりたいと思った。此処のところ何か思い悩んでいることが多い麗蘭にとっては、良い休息と為るに違いない。しかし麗蘭の言うことももっともなので、麗蘭だけ泊めてもらえるよう頼み自分は野宿をするつもりだった。

「確かにそうだが……」

 蘢の意見に納得し切れない麗蘭だったが、かと言って反論出来る程ではない。渋々頷き、優花の方へと向き直る。

「仕方ない、頼んでも良いか? 優花」

「もちろん! お願いするだけお願いしてみるよ。付いて来て!」

 優花は胸を張ると、屋敷の方へと歩き出す。手招きする彼女に従い、麗蘭たちも続いてゆく。

……西の彼方に、夕陽が沈もうとしていた。



※一丈……約3m

※会……弓を引き切り、矢が的を狙っている状態

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