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金色の螺旋  作者: 亜薇
第二章 蒼き獅子
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六.出撃前夜

 かくして蘢は、旅を一時中断し聖安禁軍・蒼稀上校として、随加の交易を脅かす海賊を討つことに決めた。

 彼は急ぎ紫瑤へ遣いを送り、恵帝と瑛睡公の許可を取り付ける。聖安人に害をなす、茗の海賊討伐を命ずる勅命が下ったのである。

 彼は命を受け取り直ぐに、随加より半日の距離に位置する丁陽ていように駐留する自分の水軍中隊を呼び寄せた。同時に随加総督に隊の受け入れや物資支援を依頼する等、其の鮮やかな采配を遺憾なく発揮し、短時間で出陣の準備を整える。

 其の結果、麗蘭と蘢が随加入りして後六日で、海賊討伐の手筈が整ったのだ。

「手伝うと言っておきながら、結局何も出来ずに済まない」

 出陣の前夜、遅くに宿へと戻ってきた蘢の部屋を麗蘭が訪ねる。彼と向かい合い椅子に座ると、申し訳なさそうな顔をして言った。

 世間には未だ存在を隠している麗蘭が、表立って動くわけにはいかない。蘢と共に、兵の一人として討伐に参加することにはなったものの、此の数日間は手をこまねいているしかなかった。

「いやいや、六日も待たせて済まないのは僕の方だよ。でも何とか……明日には兵を出せそうだ」

 蘢は懐から折り畳まれた紙を取り出し、卓の上に広げる。何かが書かれているのを麗蘭が覗き込むと、彼女に見えやすいよう紙の向きを変えた。

「被害に遭った商船や客船に乗っていた人々の話と、昼間斥候せっこうとして行かせた兵の報告から作った、敵の編成図だ。想像の域を出ないけどね……軍備についても触れてある」

 細かで丁寧な字で、びっしりと書かれた文字や図。麗蘭の知らない言葉も多かったが、想像で書いたとは思えない程綿密に練られている。

「数としては、然程さほど多くないと思う。二百人程度と見積もれば十分だろう」

「二百人……海賊にしては大規模なのだろうが、其れで随加軍を破ったのか?」

 蘢が呼び寄せた中隊は三百人程度。推測通りであれば、十分な数に思える。

「数が問題でないこともままあるからね……残念なのは、討伐軍で戻ってきた者がいないということだ。戦の知識が有る兵から話が聞ければ、もう少し探れたんだけど」

「己だけでなく、敵方の状況も把握することが勝利に繋がる。何某なにがしの兵法にもそうあったな」

 麗蘭の言葉に頷いた蘢は、続けてもう一枚別の紙を取り出した。

「こっちは我が軍の編成図。大きく二つに分けて、更に其れを数隻の船に分ける」

 壁に掛けてある近海図を示しながら、術策を説明していく蘢。敵の情報や味方の戦力だけでなく、地形や気候等の条件も加味して戦略を語る彼に、麗蘭は感心させられる。

「其の作戦を全て蘢が立てたのか? やはり上校ともなると、軍略に長けているな……」

 素直に感嘆している彼女に微笑すると、蘢は首を横に振る。

「まさか、経験豊富な軍師の助言をもとに立てたんだよ。其れにお褒めの言葉は、明日討伐に成功するまで取っておいて欲しいな。戦ばかりはやってみないと分からない」

 軽く息をついて、続ける。

「気掛かりなのは敵の首領だ。一体どんな人物なのか……軍法を知っていて、かなり統率力のある人間であることは確かだけれど」

「隙を突いて私かおまえが首領を倒す。今回の作戦では、其れが第一の目的だな?」

 兵力を余分に消費せず、あくまでも首領の居場所を突き止め倒すまでの時間稼ぎに用いるというのが、策の主旨。

「其の通り。出来れば捕縛したいところだけど、僕らには今後の役目もある。決して、無闇に深追いしたりしないこと」

 念押して言うと、蘢は卓に広げた二枚の図を畳み片付け始める。

「そろそろ休もう。明日は早くから準備があるからね」

「……ああ、そうだな」

 彼に倣い麗蘭も席を立つ。此の数日間、色々駆け回って疲れているであろう蘢の部屋に、少し長居してしまったことを後悔しつつ。

――無理を言って作戦に加えてもらうのだ。足手纏いにならぬよう、私も最善を尽くそう。

 妖討伐以外で大規模な戦いに参加するのは、麗蘭にとっては此れが初めてのこと。幾分緊張するものの、彼女は彼女なりにやるべきことを遂行するのみだ。

 覚悟を秘めた目で蘢を見る。麗蘭の心情をみ取ったのか彼もまた、決意に満ちた瞳で応えた。



          






 茗に続く海路より少し東に逸れた、小さな島。随加より軍船で半刻ほど航行した位置に浮かんでいる其の島こそが、海賊達の本拠地。聖安と茗の丁度堺辺りの公海上に在る為、どちらの国の支配下にも入っていない。

 早朝、海賊の頭領緑鷹……玄武の邸に、随加にて軍等の動きを見張らせていた部下が慌てた様子でやって来た。

緑鷹りょくようさん! 大変です!」

 下男が止めるのも聞かずに、男は頭領の部屋へと無断で入る。戸を閉め切り、朝日を遮断した暗い部屋の中で、玄武は女と共に寝台で横になっていた。

 海賊と従僕の騒々しい口論で目を覚ましていた彼は、未だ眠っている瑠璃を残して床へと下りる。

 普段なら、こんな無礼千万な部下は直ぐにでも斬って捨てたいところだ。しかし彼の血相を変えた慌て振りから、殺す前に事情位は聞いてやろうと辛抱する気になったらしい。

如何どうした?」

 頭領の機嫌が頗る悪いこと等お構いなしに、部下は膝をついて声を絞る。

「禁軍が……聖安の禁軍が来るんですよ!」

 酷く怯え、震えながら眼と口をぱちぱちさせている。玄武は聞くなりほう、と嬉しそうな声を漏らすと、部下の胸倉を掴んで無理やり立たせた。

「本当に禁軍か? ぬか喜びさせたら承知しないぞ」

 頭領が何故急に喜んでいるのか分からなかったが、男はとりあえず頷いた。

「本当ですって。二日くらい前からずっと、立派な船が泊まってるから探り入れたら、禁軍だって言うから……何人か、仲間が伝えに来たでしょ?」

 玄武は首をひねる。思い返してみれば、昨日、一昨日と何回か部下がやって来たが、彼は瑠璃との情事に夢中で会おうともせず追い返したのだ。

「で、昨晩から出航の準備をしてるって言うもんだから……案の定、俺らを討つ為呼ばれたっていうじゃないか!」

 禁軍が動くということは、女帝が許可したことを意味する。地方軍が来なくなってからというもの淡い期待を抱いていたのだが、人員に困っている聖安軍が此れ程早く軍を寄越すとは、少々想定外であった。

「数は?」

「ええっと……確か大隊ってのが二つ……」

――大隊二つ?

 妙な話だと、玄武は一層訝しむ。たかだか百人程度の賊を討つのに、二千余りの水軍を送り込むだろうか? 此れまで戦った地方軍も、多くてせいぜい五百人程度であった。此方こちらの戦力を過大評価しているのかもしれない。

 加えて、そんな人数を用意するならば何日も準備が必要なはずであるし、幾ら自分が外界から隔てられていたとて其の間に気付かなかったのはおかしい。

「其処らに余ってる商船を買い取って、大勢で攻めて来るらしいです」

「商船で? そんな話は聞いたことが無いが……」

――いや、茗と開戦に備えて少しでも戦力を温存しておきたい聖安軍のことだ。有り得ない話ではない。

「とにかく、もう今にも随加を発とうとしているんです! 早く来てくださいって!」

 玄武は男を突き放して服を着始める。倒れた男はよろめきながら立ち上がると、急いで走り去って行く。

「此れは面白いことになった……」

 久方振りに、彼を心底から楽しませる戦いが始まろうとしている。胸躍り、高揚する気分は抑え難い。

「二個大隊だなんて、本当なら圧倒的不利でなくて?」

 後ろから不意に、眠っていたはずの瑠璃の声が聞こえる。大隊等という、普通の少女はまず知り得ないであろう軍事用語の意味を解する彼女は、本当に謎だらけだ。だが玄武はもういちいち気にせぬ程に慣れてしまった。

「其れが、面白いんだよ」

 聖安を含めた数々の敵国との戦。千対五千、五千対一万といった、兵力の差で言えば不利としか言えない状況を、彼は何度も経験してきた。勝つことが殆どだが負けることもある、其の不確定さこそが戦いの醍醐味であり、彼に此の上ない歓びを与えてくれる。

 勝敗よりもそうした興奮の方をより楽しむ。此度の戦い等は猶更そうだ。正体さえばれなければ、たとえ負けたとしても自分だけ逃げおおせれば問題は無い。海賊などに、何の未練もないのだから。

「しかも相手は禁軍ときた……指揮官が誰か、気になるところだ」

 聖安禁軍の指揮官には、武人として名うての者も多い。上手くすれば一騎打ちに臨めるかもしれない。

「私知っていてよ、指揮官が誰か」

「何?」

 瑠璃は寝台から出て、驚愕する玄武に裸身のまま近付いて行く。僅かに背伸びし彼の首に手を回すと、悪戯っぽく囁いた。

「聖安禁軍、上将軍瑛睡麾下きか、蒼稀上校」

――蒼稀上校。

 敵国の一将校とはいえ、玄武も其の名だけは知っている。十代という、聖安史上最年少の若さで上校となった天才と聞く。

「くく、瑛睡が重用しているという、青二才が相手か……」

 上校の名よりも、彼が反応したのは名高い上将軍の名。玄武が未だ若い将校であった頃には既に将軍であり、戦場で見え、彼の頬に屈辱的な傷を残した英雄。

――あの『高潔な士』気取りの秘蔵っ子を殺して、英傑の鼻を圧し折ってやるか。

 何故瑠璃が聖安側の指揮官の名を知っているのか、無論多少は気になった。しかしそんなことは、此れから始まる余興を思えば取るに足らぬこと。

「瑠璃、おまえは此処で待っていろ。聖安が救国の希望と頼む、若い将校の首を持って来てやる」

 笑いながら寝所を出て行く。玄武の背を見送った瑠璃は、薄暗い部屋に独り残された。

 窓際へと歩き、閉ざされた戸を開ける。見上げれば空は好晴こうせい――一気に流れ込んでくる陽光を浴びて、玄武を溺れさせた見事な裸体が露わになる。

 感情の篭らぬ瞳……彼女唯一の主と良く似た冷たい眼差しで、外に見える碧海へきかいを見通す。玄武といる時のような、びた笑みなど一欠片も含んでいない。

「……楽しみなことだな」

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