10-5
カフェでお茶を楽しんだ後、三人で店を出ると、空は美しい茜色に染まっていた。
湖面が夕陽を反射して、きらきらとオレンジ色に輝いている。
「わぁ……綺麗……」
思わずまふゆがため息をつくと、リリアが「ねー!ちょっと映えスポット探してこよーよ!」とシャノンの腕を引いた。
「ちょ、ちょっとリリア、引っ張らないでよ!」
「シャノちゃんも行くよー!まふゆんはここで待ってて!」
あっという間に、二人は楽しげに駆け出し、角を曲がって見えなくなってしまった。
ぽつんと一人残されたまふゆは、手すりに寄りかかりながら、美しい湖の景色を眺める。
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。でも、ふとした瞬間に、三人の顔が浮かんで胸が苦しくなる。
「……一人か?」
不意にかけられた声に、まふゆの肩がびくりと揺れる。
振り返ると、そこには夕陽を背にしたレオンハルトが立っていた。
「レオンハルト……!びっくりしたぁ……」
「はは、すまん。あまりに綺麗な夕焼けに見惚れていたから、声をかけるのを躊躇ってしまってな」
そう言って笑うレオンハルトは、いつも通り頼もしい兄のようでありながら、どこか違う雰囲気を纏っているように見えた。
「ちょうどよかった。少し、話がしたかったんだ」
「う、うん……」
告白の返事を催促されるのだろうか。まふゆが身構えていると、レオンハルトは穏やかな声で言った。
「いや、返事を急かすつもりはないんだ。ただ、お前に伝えておきたくてな。……ゆっくり、考えてくれればいい。俺はお前の気持ちを、ちゃんと待ちたいと思ってる」
「レオンハルト……」
彼の優しい言葉に、緊張していた心が少しだけ解けていく。
その時だった。
湖から、不意に強い風が吹き抜けた。まふゆがかぶっていた白いリボンのついた帽子が、ふわりと宙に舞う。
「あっ!」
「危ない!」
まふゆが手を伸ばすより早く、レオンハルトが帽子を掴もうと身を乗り出した。しかし、勢いがつきすぎたのか、体勢を崩してしまう。
「わっ!?」
「うおっ!?」
咄嗟にまふゆを庇うように抱きしめたレオンハルトごと、二人は柔らかな芝生の上に倒れ込んだ。
どくん、と心臓が大きく鳴る。
レオンハルトの腕の中にすっぽりと収まり、彼の鼓動が直接伝わってくる。
「だ、大丈夫か、まふゆ!?」
心配そうな声に顔を上げると、至近距離に彼の真剣な青緑色の瞳があった。
そして────
顔を上げたその拍子に、二人の唇が、ふに、と柔らかく重なった。
「────っ!?」
時間が、止まる。
触れた唇は、驚くほど柔らかくて、温かかった。
何が起こったのか理解できず、まふゆの思考は真っ白に染まる。
レオンハルトもまた、大きく目を見開いて固まっていた。
先に我に返ったのはレオンハルトだった。彼は慌てて体を離すと、まふゆを助け起こす。
「す、すまん!事故だ!その、わざとじゃ……!」
「う、ううん……!うちこそ、ごめんなさい……!」
お互いにしどろもどろになりながら謝罪する。まふゆの顔は、きっと夕焼けよりも赤く染まっているだろう。
心臓は今も早鐘を打っていて、熱い涙が滲んできそうになる。
レオンハルトは、落ちていたまふゆの帽子を拾い、そっと被せてくれた。その指先が、わずかに震えている。
「……すまない。でも……」
彼は一度言葉を切り、真剣な瞳でまふゆを見つめた。
「……俺は……嫌じゃ、なかった」
その言葉に、まふゆの心臓がまた大きく跳ねる。
何も言えず、ただ俯くことしかできない。
その時、二人は気づいていなかった。
少し離れた物陰から、その光景を呆然と見つめる一つの影があったことに。
「……レオンハルト、様……と……まふゆん……?」
リリアだった。
シャノンとはぐれてしまい、まふゆを探しに戻ってきた彼女の目に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。
敬愛する王子と、大切な友達の、口付け。
それが事故だと分かっていても、リリアの胸には、鉛を流し込まれたような重い痛みが広がっていく。
楽しかったはずの修学旅行が、一瞬にして色を失ったように感じられた。
リリアは踵を返し、音を立てないように、その場から静かに走り去った。
まふゆもレオンハルトも、彼女の存在にも、その胸に芽生えた小さな亀裂にも、まだ気づいてはいなかった。




