8-5
午後の授業の始まりを告げるベルが鳴り響く。
まふゆはセリウスと共に、重い足取りで教室へと向かった。
四限目の授業は、エドウィンによる古代魔術史だ。
「やあ、諸君。席に着きたまえ」
教壇に立つエドウィンは、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべていた。
しかし、その緑の瞳が自分に向けられるたび、まふゆの背筋には氷を滑らされたような悪寒が走る。
教室には、ミカゲの空席だけがぽっかりと空いている。エドウィンはその空席に一度だけ視線を走らせると、何事もなかったかのように口を開いた。
「今日は少し趣向を変えて、特殊な魔導機の実習を行おうと思う。これは白檻会が新たに開発した試作品でね。使用者の魔力と精神を同調させ、特定の補助魔術の効果を飛躍的に高めることができる」
エドウィンが掲げてみせたのは、手の甲に装着するタイプの、複雑な文様が刻まれた銀色の魔導機だった。
白檻会、という言葉に、まふゆの心臓がどきりと跳ねる。
(エルフの命を、また……)
まふゆは唇を噛みしめるが、周りの生徒たちは「すごい」「どんな効果なんだ?」と興味津々で、その邪悪な背景に気づく者はいない。
「今回は、身体能力を一時的に向上させる魔術を、この魔導機を介して自分自身にかけてみよう。ただし、この魔導機は精神状態に大きく左右される。心が乱れていると、効果が安定しないどころか、思わぬ副作用が出る可能性もあるから、注意するように」
エドウィンはそう言うと、一人一人に魔導機を配り始めた。
まふゆの番が来た時、彼は身を屈めて耳元で囁いた。
「大丈夫だよ、まふゆ君。これは人体実験済みの安全なものだ。君のようなアルビノエルフの貴重な命を、こんな授業で危険に晒すわけがないだろう?」
その声は優しく、気遣いに満ちているように聞こえる。だが、まふゆにはそれが蛇の舌のように感じられた。恐怖で体が強張る。
「……っ」
隣のセリウスが、その様子に気づいて鋭い視線をエドウィンに向けた。
「先生。まふゆは昨日の一件で、まだ体調が万全ではありません。彼女に実習は無理強いなさらないでいただきたい」
「おや、これは失礼。もちろん、無理強いはしないよ。見学しているだけでも構わない」
エドウィンはあっさりと引き下がり、次の生徒へと向かう。レオンハルトも、前の席から心配そうにこちらを振り返っていた。
「……ありがとう、セリウスさん」
「……いや。当然のことを言ったまでだ」
セリウスはぶっきらぼうにそう言うと、自分の手の甲に魔導機を装着した。
まふゆが授業を見学することにした一方で、レオンハルトとセリウスは実習に参加するようだ。
「では、始めてみようか。魔導機に魔力を流し込み、身体強化のイメージを強く念じるんだ」
エドウィンの指示に従い、生徒たちが一斉に魔導機を起動させる。教室のあちこちで、淡い光が灯った。
セリウスも、目を閉じて精神を集中させる。
だが、彼の心は凪いではいなかった。
(僕が、もっと強ければ……)
(ミカゲばかりが、どうして……)
(まふゆの隣にいるのは、僕でありたいのに……!)
昼休みに抱いた、ミカゲへの嫉妬。自分への無力感。
そうした黒い感情が、魔導機に流れ込む魔力と混じり合う。
──その瞬間だった。
セリウスが装着した魔導機が、他の生徒たちとは比較にならないほど禍々しい紫色の光を放ち始めた。
「ぐっ……ぁ……!」
セリウスの喉から、苦悶の声が漏れる。
彼の身体を、膨れ上がった魔力が駆け巡る。
だが、それは純粋な力ではなかった。嫉妬と焦燥が増幅され、彼の理性を焼き切り、思考を支配していく。
『ミカゲはずるい』
『まふゆは僕が守る』
『誰にも渡さない』
『力が欲しい』
『もっと、もっと力を────!』
「セリウスさんっ!?」
まふゆの悲鳴に似た声が響く。レオンハルトも席を蹴立ててセリウスに駆け寄ろうとする。
だが、それよりも早く、紫色のオーラをまとったセリウスが顔を上げた。
その青緑の瞳は、普段の理知的な輝きを失い、どす黒い嫉妬の炎に燃えていた。
そして、その瞳は──まっすぐに、まふゆだけを捉えていた。
「おっと、これは……。セリウス君は、感受性が人一倍強いようだね」
教壇の上で、エドウィンが面白そうに目を細めている。
彼の計画通りに、純粋な好意と劣等感は、醜い嫉妬へと増幅され、暴走を始めていた。




