第二章:禁忌の目覚め、紅の倉庫
王と王妃が不在となったその日、城内は異様な喧騒に包まれていた。
主の帰還に備え、下働きの者たちは朝から城中の清掃に追われていた。中庭の掃除を終え、額の汗を拭いながら戻ってきたエルムに、一人の衛兵が声をかけた。
「おい、お前。この鍵をやるから、北倉庫の掃除も頼むぞ」
「はい、わかりました。掃除してきますね」
エルムは素直に頷き、渡された古びた鉄の鍵を受け取ると、城の隅にある薄暗い倉庫へと向かった。
エルムが立ち去るのを見届けた別の衛兵が、鍵を渡した男に呆れたように声をかける。
「いいのか? あんな子供を一人で入れちまって。また侍従長にどやされるぞ」
「いいだろ別に、掃除くらい。……俺はあそこが苦手なんだよ」
「なんだ、そのガタイで怖がりか?」
笑い飛ばす同僚に対し、男は顔を引きつらせて小声で返した。
「そうじゃない。……声が、聞こえるんだよ。あそこから」
「はあ? 馬鹿なこと言ってねえで、さっさと自分の持ち場に戻れ。あとでちゃんと鍵を回収しとけよ」
同僚は鼻で笑い、忙しそうに去っていった。残された男は一度だけ倉庫の方を振り返り、嫌な予感を振り払うように反対側へと歩き出した。
その頃、エルムは埃の舞う倉庫の中で一人、黙々と箒を動かしていた。
窓の少ない室内は昼間でも薄暗く、ひんやりとした空気が肌を刺す。床の掃き掃除を一通り終えたエルムは、隅に高く積み上がった荷物の裏を掃除しようと、木箱に手をかけた。
――ガタガターン!
無理に動かそうとした拍子に、バランスを崩した箱の山が凄まじい音を立てて崩れ落ちた。
「あ……あちゃあ、やっちゃった……」
エルムは溜息をつき、散らばった荷物を一つずつ元の位置へ戻し始める。その中に、蓋が外れて中身が飛び出した箱があった。
中から現れたのは、これまで見たこともないほど見事な装飾が施された一本の剣だった。
エルムはその美しさに目を奪われ、泥のついた手で汚さぬよう、鞘の部分を両手で丁寧に持ち上げた。箱に仕舞い直そうとした、その時だ。
『違う!』
「な、なんだ……!?」
突然、頭の中に直接響き渡った怒号に、エルムは飛び上がった。周囲には誰もいない。
『そこじゃない! 柄を握るんだ、柄を……!』
「え……あ、柄?」
『そうだ、柄だ。それを握れ!』
抗いようのない威圧感に気圧され、エルムは吸い寄せられるように右手を伸ばした。
指先が冷徹な金属の柄に触れた瞬間――。
エルムの全身を、雷に打たれたような衝撃が駆け抜けた。
「あ……が、あ…………!」
体中の筋肉が強張る。エルムの瞳から光が消え、視線は虚空を彷徨う。白目を剥き、よだれを垂らしながら、少年は自身の意思とは無関係に鞘から剣を引き抜いた。
「う……うお、おおおおおおおあああああ!」
それは少年の声ではなかった。腹の底から響く、飢えた獣のような咆哮。
倉庫から響き渡った絶叫に、先ほどの二人の衛兵が色をなして駆け込んできた。
「何事だ! エルム、どうした!?」
返ってきたのは、言葉ではない。
白目を剥いたエルムが、風のような速さで衛兵に斬りかかった。
「くっ!」
衛兵が咄嗟に剣で受け止めるが、子供とは思えぬ凄まじい衝撃に腕の骨が軋む。大男であるはずの衛兵が、木の葉のように弾き飛ばされ、壁に激突して崩れ落ちた。
「貴様、エルムか……!? 止めろ!」
もう一人の衛兵が躊躇なく斬りかかる。しかし、エルムは常人離れした動きでその刃をかわすと、返す刀で衛兵の首を真横に薙いだ。
鮮血が噴き出し、衛兵の首が宙を舞う。
「ひ、ひぃ……が、ああああっ!」
立ち上がろうとしたもう一人の衛兵の胴体を、エルムの振るう魔剣が深々と切り裂いた。断末魔の悲鳴が倉庫に虚しく響き、冷たい床が赤く染まっていく。
返り血を全身に浴びたエルムは、血の海の中で狂気的な恍惚の表情を浮かべた。
「アハ、あはははは……!」
少年は獣のような雄たけびを上げると、魔剣を握りしめたまま、稲妻のような速さで倉庫を飛び出していった。
その後に残されたのは、かつてこの少年に優しく接したであろう、二人の無惨な骸だけだった。




