第五章:灰と再起の境界
静まり返った中庭に、数人の衛兵たちが恐る恐る足を踏み入れてきた。
カイエンは瞬時に腰を低く落とし、レプリカの剣を鋭く構える。眼帯の奥に宿る眼光が、冷たく彼らを射抜いた。
「い、いや、違うんだ! 待ってくれ!」
先頭の衛兵が、震える両手を上げて必死に叫んだ。
「俺たちはただ金で雇われていただけだ! あんな化け物に忠誠心なんてありゃしない、本当だ!」
周りの衛兵たちも、救いを求めるように大きく何度も頷いた。
カイエンは数秒間、彼らの顔を観察したあと、ゆっくりとレプリカを鞘に収めた。そして懐から、皺の寄った一枚の書状を取り出し、彼らに見せつけるように広げた。
「魔法教会から派遣された討伐隊だ。領主の討伐は完了した。只今を以て、この館は封鎖する」
衛兵の一人が代表して書状の内容を確認すると、観念したように息を吐いた。
「……俺たちは、どうすればいい?」
「そうだな……」
カイエンは顎に手を当てて少し考えたあと、短く命じた。
「とりあえず、館にある『黒本』をここに全部集めてこい」
衛兵たちは弾かれたように散らばり、館内の至る所に隠されていた黒本の回収に向かった。
その間にカイエンも食堂へ戻り、先ほど領主が自慢げに置いていった一冊の黒本を手に取った。
再び中庭に戻ると、中央には衛兵たちが運び出した黒本が積み上がっていた。カイエンはその山の頂上へ、手にしていた最後の一冊を無造作に放り投げた。
「よし。これを焼く」
カイエンの指示で、衛兵たちが慌ただしく館内から油の樽と、火のついたトーチを運び出してきた。時を同じくして、牢から解放された地質学者の男も、ふらつく足取りで中庭へと姿を現した。
黒本の山に油が撒かれ、トーチが投げ込まれる。
激しい火柱が上がると同時に、傍らに転がっていた領主の死体もまた、呪われた本と共に業火に包まれた。
燃え盛る炎を眺めながら、カイエンは隣に立つ衛兵に尋ねた。
「……ここで、この本を作っているのか?」
「輪転機などの印刷施設なら地下にありますが……」
「念のため、この建物も解体して焼き払え。地下室も、跡形もなくな」
「それは……魔法教会の決定でしょうか?」
カイエンは無言で頷いた。そして、呆然と立ち尽くす学者に歩み寄る。
「残念だが……炭鉱もこの町も封鎖だ。お前の待っていた監査官なんか、もう来ないぞ」
カイエンは冷たく言い放つと、手に持っていた書状を学者に突き出した。
「え……? 私に、どうしろというのです?」
学者が戸惑いながら書状を受け取る。
カイエンは再び衛兵に向き直った。
「黒本は、どれくらい流れている」
「既にかなりの部数が、販売ルートを通じて外部へ出回っています……」
それを聞いたカイエンは、再び学者を見た。
「お前はこいつらから話を聞いて、黒本の流通ルートや販売状況を詳細にまとめろ。そして、この書状を持って魔法教会に報告に行け」
「な、何で私がそんなことを!」
「黒本を完全に始末したことを伝えろ。情報提供で協力すれば、教会もお前の話に聞く耳を持つはずだ」
カイエンは少しだけ声を和らげ、学者の肩をぽんと叩いた。
「あの資料も持って行け。ここを詠唱石の鉱山として再開させたいんだろ?」
「あ……」
学者の目が、初めて正気を取り戻したように輝いた。カイエンは周囲の衛兵たちにも視線を送る。
「お前らも、この学者に協力してやってくれ」
衛兵たちは力強く頷いた。その中の一人が、立ち去ろうとするカイエンの背中に声をかける。
「あんたは……どうするんだ?」
カイエンは足を止めなかった。
「俺か? 俺はローゼンバーグへ行く」
それだけを言い残すと、カイエンは自らの報酬が入った革袋を抱え、一度も振り返ることなく炭鉱の町を去っていった。
背後では、禍々しい黒本の山がパチパチと音を立てて灰に帰していた。




