第五章:逆時計の鼓動、沈みゆく王国
王城に足を踏み入れると、そこには「生命のしずく」を持つ者の帰還を祝福するように、衛兵たちが整然と列をなしていた。
親衛隊長シファに導かれ、イゾルデは謁見の間へと通される。彼女は正面まで進み、優雅に女王の前で膝をついた。
「イゾルデよ……この度の働き、大儀であった。表を上げよ」
「ありがたきお言葉にございます、女王陛下」
立ち上がったイゾルデは、至宝の詰まった箱を差し出した。女王はそれを手に取ると、瓶の中身を確かめ、口角を歪めた。
「ふふふ……これで、ヴァルガス様が復活なさる」
その名を聞いた瞬間、イゾルデの背中に冷たい戦慄が走った。「え……? 今、なんと?」
困惑する彼女の前に、上等な装束に身を包んだ一人の紳士が現れた。
「あ、あなたは……レイドール!」
かつてバレルと共に会食したあの男だ。女王は平然と「生命のしずく」をレイドールへと手渡した。
「頼みましたよ。これをヴァルガス様に……」
「ご苦労様、イゾルデ殿」
レイドールは不敵に微笑むと、しずくを手に悠然と立ち去っていった。イゾルデがふと女王の手元を見ると、そこには不気味な「黒本」が握られていた。
「その者を処刑せよ」
「はっ!」
女王の冷徹な号令と共に、シファと親衛隊がイゾルデの両腕を掴んだ。
「ちょっと、待ってよ! どうなってるの!?」
引きずられていくイゾルデは涙を流し、必死に訴えた。だが、廊下に出た瞬間、シファが消え入りそうな小声で囁いた。
「……もう、この国は終わりよ」
「え……? シファ、どういうこと?」
「逃げるのよ……!」
その時、行く手を阻むように三人の近衛兵が立ちはだかった。
「おや、シファ殿。そっちは処刑場ではありませんが? 外へ出られるおつもりかな」
男たちの肌がみるみるうちに黒く変色し、指先から長い爪が伸びる。魔物に成り果てた彼らの爪が、閃光となってシファたちの心臓を貫いた――。
「……そういうことね」
冷徹な判断が、イゾルデの恐怖を塗り替えた。彼女は懐から「逆時計」を取り出す。
「カチリ」とスイッチが押された瞬間、世界が巻き戻った。
「――シファは右! あんたは左!」
イゾルデの鋭い怒号が飛ぶ。死の未来を知る彼女の指示に、シファともう一人の親衛隊員が即座に反応した。
二人は魔物の爪を紙一重で捌き、逆にその腕を断ち、腹を貫き、首を斬り落とした。返り血を浴びながらも、シファが叫ぶ。
「さすがね、イゾルデ! 急ぐわよ!」
三人は廊下を駆け抜け、城門へと急ぐ。さらに六人の親衛隊員が合流したが、頭上からは矢の雨が降り注いだ。
「そっちは左! あんたは右! ……一旦止まって! ――今よ、進んで!」
イゾルデの「予知」に近い指示が、死の雨の中を縫うように親衛隊を導く。ついに城門を突破した彼女たちの視界に、見慣れた赤い馬車が飛び込んできた。
「バルド! ゴドリック!」
無事だった二人の姿に、イゾルデの目から涙が溢れた。彼女は二人に抱きつき、すぐさまシファの檄が飛んだ。
「急いで! 船まで…すぐそこよ!」
親衛隊と赤い馬車は港に用意された快速船へと雪崩れ込み、追撃を振り切るように出港した。
水平線の彼方には、追っ手の軍船が数隻見える。
「……追ってくるわね」
「大丈夫よ。これだけ離せば逃げ切れる。王国で一番早い船だから……特等室はないけれどね」
シファが自嘲気味に笑った。イゾルデは震える声で尋ねる。
「……これから、どうするの?」
「魔法教会には連絡してある。……その先は、わからないわ」
親衛隊とイゾルデ一行を乗せた船は、暗雲が立ち込める大海原を、光なき明日へと向かって突き進んでいった。




