第二章:兄の残響、揺り籠の魔剣
街道沿いの活気ある宿場町。その喧騒の下、冷たく湿った地下室に黒本党の隠れ家はあった。
部屋の奥には、魔剣がその体から離れぬよう、厚い布で椅子に括りつけられた少年——エルムの姿があった。かつて未来を夢見た瞳は、今はただ、床の一点を虚ろに見つめ続けている。
「あら、かわいい……たまらないわね、その絶望した顔」
カミラが艶めかしい手つきでエルムの頭を撫で、その青白い頬に唇を寄せた。
「そういうのが好みか?」
傍らのソファに深く腰掛けたジゼが、心底興味なさげに鼻を鳴らした。「そんなガキ、さっさと殺して剣だけ奪えばいいものを」
「ふふふ……何も分かってないのね、あなた」
「ああ、生憎とな。そっちは俺の仕事じゃない」
ジゼは苛立ちを隠すように足を組んだ。平原で五万の兵を失った今、カナベル王国へ手ぶらで戻るわけにはいかない。しばらくはこの隠れ家で息を潜め、時機を待つつもりだった。
「この剣、私たちには持たせてくれないのよ。……お兄ちゃんの怨念かしらね?」
「お兄ちゃんだと?」
ジゼの問いに、カミラは愉悦に満ちた笑みを浮かべ、かつて世界を震撼させた「食人樹」の昔話を始めた。
「食人樹はかわいい植物よ。鋭い触手で毒液を注入し、獲物を『赤ん坊』まで若返らせるの。人間が赤ちゃんに戻るのよ……なんて愛おしいことかしら。その無垢な体をパクっと食べて、甘い体液をチュウチュウ啜るの。うふふふ……」
「ふっ、おぞましいな。……で、それがどうした」
カミラは踊るように指を動かし、物語を続けた。
かつて食人樹を討伐するために結成された魔法教会の精鋭部隊。その中に、最強と謳われた双子の兄弟がいた。兄は魔法使い、弟は剣士。だが、激闘の最中に弟が食人樹の棘に刺され、赤ん坊へと姿を変えられてしまった。
「それを見たお兄ちゃんはね、弟が食べられる直前に、自分を犠牲にした禁忌の呪文で食人樹を焼き尽くしたわ。……その現場に居合わせたのがヴァルガス様。あたりに漂う、弟を守ろうとする凄まじい残留思念……それを気に入って、詠唱石に封じて作り上げたのが、これよ」
カミラがしなやかな指先で、エルムの手に括られた魔剣を指し示した。
「その兄の意識が残っているのか」
「あるわけないじゃない。今はヴァルガス様が操るただの玩具よ。でも、弟を守ろうとする魂が形を変えて残っているなんて、ロマンチックだと思わない? 胸がキュンとしちゃうわ」
「……弟?」
ジゼの視線が、力なく座るエルムへと向いた。
「まさか」
「そう、あそこに座っているじゃない。赤ん坊にされた弟は、その後ローゼンバーグ王家に引き取られて育てられた……ヴァルガス様がそう仰っていたわ。本人たちに記憶なんてないはずだけど、本能が惹かれ合っちゃったのかしらね」
カミラはエルムの顎を乱暴に持ち上げ、ジゼの方を振り向いた。
「ところで、あなた暇なんでしょ? 少し手伝ってくれない?」
「俺がか?」
「本命の『ドラゴンの王子』をおびき寄せたいんだけど、変な二人組が嗅ぎまわってて困ってるのよ。女の剣士と、図体のデカい男。……邪魔なの」
「殺していいのか?」
「好きにすればいいわ」
カミラが妖しく微笑むと、ジゼはゆっくりと腰を上げた。
「いいだろう。他にすることもないしな……。肩慣らしにはちょうどいい」
不気味な静寂に包まれた宿場町の地下で、新たな追撃の牙が研がれようとしていた。




