第一章:偽りの帰還、死せる者の名
強大な連合軍という刃を突きつけられたリングベル王国の王城には、逃げ場のない死の気配が暗雲となって立ち込めていた。
城門の頂、眼下に広がる広大な平原を二人の男が見つめている。
「永らく続いたシュタインベルグ王国との同盟……。それが無残に破られ、カベナルなどと手を組むとは。どうして、こうなった……?」
リングベル王、セオドア・A・リングベルは、現実を受け入れられぬように力なく呟いた。
「大丈夫です、王よ! 一万とはいえ、我が国の騎馬隊は大陸最強と謳われた精鋭。必ずや勝利を手にしてみせます!」
大将軍ラング・スタイルズが、裂帛の気合で王を鼓舞する。確かにリングベルの騎馬隊は、良馬と最高級の装備を揃え、過酷な訓練に耐えた兵士たちの質は他国の追随を許さない。
だが、迫りくる連合軍十万。それは最強の矛を容易く飲み込む絶望の濁流に他ならなかった。
そんな、静かな悲鳴を上げるような城下町を、一人の男が歩いていた。
短髪の頭に黒い布を巻き、鋭い眼光を放つ片目の男。
「あーら? これはこれは。ようこそ、絶望の町へ」
路傍のカフェのテーブルにいたイゾルデが、皮肉めいた笑みを浮かべて男に話しかけた。
「何しに来たの? こんな時に。シュタインベルグに宣戦布告されたのは知ってるでしょ? のこのこ現れるなんて、いい度胸ね」
「シュタインベルグに行きたいんでな……」
男——カイエンは足を止めることすらなく答える。
「待って、待ってってば!」
イゾルデが椅子を蹴って駆け寄り、後から鎧姿のゴドリックとバルドも続く。
「どうやって国境を渡るつもり? 戦場になるのよ?」
「……リングベルが勝てばいいんじゃないか?」
「どうやってよ!?」
カイエンは面倒くさそうに立ち止まると、一度だけ背後を振り返った。
「そういえば、お前ら……」
「ああ、名前ね。私はイゾルデよ」
「ゴドリックと申す」
「俺はバルドだ」
「……カイエンだ。じゃあな」
それだけ言い残し、カイエンは再び王城へと歩き始める。
「ちょっと! どうやって勝つのか教えなさいよ!」
「お前らに話してもしょうがないだろ。王に会いに行くんだ」
「……いいわ。じゃあ私に任せて。この国には少し顔が効くのよ」
「奥方、よろしいのですか?」
バルドの問いを、イゾルデは鋭い一瞥で制した。
「だまらっしゃい! ……この男、ただ者じゃないわ。少し賭けてみることにする。ふん、ついてらっしゃい!」
イゾルデが先頭に立ち、男たちを従えて王城の門へと進む。厳戒態勢を敷く衛兵たちが槍を突き出したが、イゾルデが懐から「黄金の百合」の紋章を見せると、兵士たちは驚愕して敬礼し、重厚な門が開かれた。
門をくぐると、慌ただしく指揮を執っていた大将軍ラングが迎えた。
「おお、イゾルデ殿……。ヴェネリア王国の援軍が絶望的だと聞いて落胆しておりましたが……。失礼、こちらの方は? ヴェネリア王国の方ですか?」
「違う。関係ない」
カイエンが口を開いた。ラングがいぶかしげに眉をひそめる。
「……それでは、どちら様かな?」
「ドラグニールの息子——カスティエルが来たと。それだけ、王に伝えてくれればいい」
その名を聞いた瞬間、ラングの顔から血の気が引いた。
「ま、まさか……! ドラゴン王国の……!? あ、はい! ただいま、ただいま確認してまいります!」
ラングは鎧を鳴らし、転がるように城の奥へと走っていった。
「あなた……一体……」
イゾルデは絶句し、カイエンを見つめている。
カイエンは空を見上げ、独り言のように静かに吐き捨てた。
「カスティエルは死んだんだ……。だが、今だけ生きてもらう」
かつての悲劇の王子の名を背負い、カイエンは王城の静寂へと足を踏み入れた。




