第五章:虚無の幻視、鋼鉄の墓標
地下深く、陽光の届かぬ聖堂の祭壇に、一躯の死体が横たわっていた。
周囲を囲む三人の聖職者が、狂気的なまでの集中力で祈りを捧げ呪文を紡ぐ。
「ささやき……」
「祈り……」
「詠唱……」
「念じろ!!」
死体がぼうっとした燐光に包まれ、やがて目を焼くほどの眩い光が溢れ出す。だが、光が霧散した後に残されたのは、依然として物言わぬ冷たい肉の塊だった。死体は死体のまま、微動だにしない。
落胆の溜息とともに、数人の男たちが死体を豪奢な棺へと移し替える。
「……またも失敗か」
「ひ、ひいいっ! お、お許しを、ガルディス様!」
祈りを捧げていた一人が悲鳴を上げる。黒本党の幹部、ガルディスの右腕が、不気味な銀色の光沢を放つ金属へと変色していった。
金属の肉体は瞬時に巨大で鋭利な斧の形へと変貌し、無慈悲に一閃される。
「ぎゃあああ!」
三人の聖職者の首が、熟した果実のように弾け飛び、石畳の床をゴロゴロと転がった。
返り血を浴びたまま、ガルディスは棺の前に片膝をつき、深く頭を垂れる。すると、棺の中から、死者であるはずの魔術師ヴァルガスの思念が、直接脳内へと流れ込んできた。
『ガルディスよ……やはり、《レイズアッシュ》程度の呪文では私の肉体を蘇生させるには足らぬようだな』
「申し訳ございません、ヴァルガス様。私の不徳の致すところです」
『ふふふ……謝罪などせずともよい。やる前から分かっていたことだ。やはり「生命のしずく」でなければ、魂を肉体に繋ぎ止めることは叶わぬらしい』
「レイドールが現在、鋭意探索中でございます」
『レイドールならやり遂げるだろう。待っていればよい』
ヴァルガスの声には、死しているとは思えぬほどの冷静さと、不気味な愉悦が混じっていた。
『しかし……この意識だけの状態というのも悪くはない。私は今、精霊世界を旅することができるようになったのだ』
「精霊世界、でございますか?」
『そうだ。ここより遥かに魔力が濃く、この世のルールなど一切通用せぬ世界だ。そこには、実に高度な知性を持つ生命体が棲んでいる』
「……非常に、頭が良いと?」
『話にならぬな。お前の理解を超えている。ガルディスよ、この世の者は「考えてから行動し、失敗する」。お前たちが「成功」と呼ぶものも、別の角度から見れば必ず「失敗」を含んでいる。だが、あちらの世界では、最初からすべてが見えている。行動することは、すなわち選択すること。成功か失敗かではない。選択するという行為そのものが、成功となる世界なのだ』
「……さっぱり、わかりませぬ」
愚直なガルディスが正直に答えると、棺から微かな笑い声が漏れた。
『であろうな……。私はこの世界を、その高みにまで引き上げたいのだ。すべての者が変わらねばならぬ』
「ヴァルガス様であれば、必ずやその望みを達成されるでしょう。この世界はあまりに魔力が薄すぎます」
『ふふふ……魔力が薄い、か。お前はそう思うか。だが、それは違う。この世界よりさらに魔力が薄い……もはや魔力が存在せぬ世界すらあるのだ』
ガルディスは絶句した。魔力のない世界など、彼にとっては虚無も同然だったからだ。
「それは……何もない、虚無の世界でしょうか?」
『そんなことはない。むしろこの世界より、さまざまな物で溢れかえっている。燃料で走る自動車、目に見えぬ高速無線通信、宇宙開発、核ミサイル……そして世界を繋ぐコンピューター。魔力なき理のみで構築された世界だ』
「……何をおっしゃっているのか、想像もつきませぬ。そのような物が溢れる世界が、なぜ滅びぬのですか?」
『面白いものだ。だが、その世界は脆い。この世界の羽虫一匹でも、その世界に入り込めば、魔力という毒に耐えられず瞬時に破滅するだろう。それほどまでに、清浄で、かつ脆弱な世界なのだ』
ガルディスの背筋に冷たいものが走った。目の前の主は、もはやこの世界の住人ではない別の何かへと変質している。
「やはり、ヴァルガス様は偉大です。その知見はもはやこの世界を超越しておられる。必ずや、この世界をヴァルガス様の望まれる姿に変えてみせましょう」
『まあまあ、慌てるな。私が肉体を手に入れたなら、そのようなこと造作もないことだ』
「ははーっ!!」
ガルディスは平伏した。
暗闇の聖堂は、死者の夢と、次元の境界が混ざり合った不気味な光で満たされていた。




