第一章:未達の書簡、戦乱の胎動
魔剣とエルム、そしてサヤ。すべてを目前にしながら、指の間からこぼれ落ちるように失ったカイエンは、半ば呆然としながら暗闇の寺院を彷徨っていた。静寂が支配する回廊に、彼の重い足音だけが虚しく響く。
ある一室の扉を開くと、そこには忌まわしい「黒本」が並ぶ本棚があった。カイエンは無造作に燭台の蝋に火を灯すと、棚から黒本を手に取り、その炎を押し当てた。
パチパチと音を立てて燃え上がる黒本をテーブルの上に置き、それが完全に灰と化すまで、彼は無表情に見守った。
ふと、そのテーブルの引き出しに目が留まる。引き出すと、そこにはまだ発送されていない書簡が数通収められていた。
「……宛先がない。どうやって届けるつもりだったのか」
カイエンは眉をひそめながらも、一通ずつ封を切り、その内容に目を通し始めた。
書簡には、黒本党の幹部——ジゼ、カミラ、レイドール、ガルディス——という、そうそうたる面々の名が記されていた。
しかし、内容は拠点の近況報告や資源の調達状況、各地の政治情勢の考察に終始しており、肝心の幹部の正体や居所に繋がる情報は乏しい。
だが、最後の一通に目を通したとき、カイエンの眼光が鋭く光った。
「ジゼ、か……」
そこには、幹部の一人であるジゼが、列強諸国の一つ「カベナル王国」の評議会に黒本を浸透させ、政治的に掌握を進めているという報告が綴られていた。
「カベナル王国といえば、最近妙に勢力を伸ばしている強国だな……」
カイエンは独りごち、さらに読み進める。そこには目を疑うような戦略が記されていた。カベナル王国が同じく大国のシュタインベルグ王国と同盟を結び、巨大な連合軍を編成しているというのだ。
「これが本当だとしたら、兵力は十万をくだらない。一体何を企んでいる……」
さらに手紙を読み解くと、シュタインベルグ側には小国「リングベル」の領土という見返りが用意されているらしい。
リングベル。領土こそ小さいが、肥沃な大地に恵まれ、農作物や家畜の宝庫である。それだけでなく、近代兵器の燃料となる油田や、魔法技術に欠かせない「詠唱石」の鉱山まで有する資源の要衝だ。
「シュタインベルグが攻め込むなら、険しい岩山に囲まれた盆地から一気に平野へなだれ込む形になるだろう。だが、リングベルの兵力はせいぜい一万程度。十万の軍勢にあの平原から来られたら、ひとたまりもない。確かにシュタインベルグにとっては美味しい話だが……」
国家規模の略奪。その裏で糸を引く黒本党の影。
読み進めるカイエンの手が、ある一文で止まった。
『魔剣の管理は当方の手に余る。よってレイドール様へ引き渡す。まずはピーティンという町にいるカミラに預け、そこからレイドール様へ——』
「……ピーティンか」
その町は、シュタインベルグ王国を越えたさらに向こう側にある。
カイエンが今いるこの寺院からは、リングベルを通り、シュタインベルグを抜け、気の遠くなるような距離を移動しなければならない。リングベルに辿り着くだけでも、何日もの強行軍が必要になるだろう。
だが、カイエンの瞳には、先ほどまでの虚無感はなかった。
「カミラ、そして魔剣……。逃がしはしない」
彼は次なる目的を胸に刻むと、夜の冷気が立ち込める寺院を、足早に立ち去った。




