第四章:琥珀色の休息、背教者たちの誓い
山を越えた先には、陽光をいっぱいに浴びた広大な盆地が広がっていた。そこには物流の中心地らしい活気ある大きな町が根を張り、通りには無数の人々と馬車の音が響いている。
路地の角を曲がると、ふわりと香ばしい脂の焼ける匂いが漂ってきた。少し奥まった場所に置かれた椅子とテーブル。こじんまりとしているが、清潔感のある食堂が二人の目に留まった。
「ここで食べていくかい?」
マルコが問いかけると、サヤは戸惑ったように首を振った。
「え……? いえ、私は持ち合わせがありませんから……」
「大丈夫だよ。僕が少しは持っているからね。よし、決まりだ! ここで食おう!」
マルコは快活に笑うと、サヤのために椅子を引き、彼女を座らせた。
店員が持ってきたメニューは、小さな店にしては驚くほど充実していた。サヤは何も見えないため、注文をすべてマルコに委ねる。マルコもまた、外の世界の料理には疎かったが、店員に尋ねながら適当に数皿の料理を頼んだ。
「さっきの呪文……すごかったです。あんなことが、本当にあるなんて」
サヤがポツリと漏らした。
「そうだよね。すごいよね。僕も外の世界に出てさ、初めてのことばかりで毎日びっくりしっぱなしだよ」
「え……?」
「アルカディアって場所、行ったことある?」
「ごめんなさい、知りません……」
「いいんだよ、僕も詳しくは知らない。でもね、そこにマジックロッドっていう迷宮があってね。そこで三年間、修行というか、何というか……魔物を倒して、手に入れたものを売ってお金を稼いだりしていたんだ」
そう語るマルコの横顔には、どこか遠い目をするような寂しさと、逞しさが混在していた。
やがて、テーブルに運ばれてきた料理から芳醇な香りが立ち昇る。
「さあ、食べよう!」
マルコが豪快に肉にかぶりつく。サヤもスープを一口啜ると、口いっぱいに豊かな風味が広がった。
「美味しい?」
「……はい。美味しいです」
サヤの唇に、ようやく小さな、けれど本物の微笑みが浮かんだ。
「サヤちゃんはさ……なんで旅をしてるの? 一人で」
マルコの問いに、サヤは一瞬俯いた。
「いいよ、無理しなくても。話したくないこともあるよね」
「ううん……あなたになら、話せる気がします」
食事の音だけが響く短い沈黙の後、サヤはぽつりぽつりと、己の過去を紡ぎ出した。
「私のお父さんとお母さんは、殺されました……黒本党の魔物に。その時の怪我で、目も見えなくなって。でも、その魔物は師匠が討ってくれた。だから、私は師匠の弟子になりました」
修行だけが人生のすべてだったこと。けれど、師匠から「黒本の創造主」の存在を聞かされたとき、いてもたってもいられなくなったこと。
「師匠の刀を盗んで、その魔術師を探す旅に出ました。……見つけたら、斬ります。それから師匠に刀を返しに行って、どんな罰でも受けるつもりです。……泥棒の話なんて、信じられませんよね」
自嘲気味に笑うサヤに、マルコは優しく言った。
「ふふふ……一緒だね、僕たちは」
「え?」
マルコの手から、染み出るように一振りの短剣が現れた。サヤはその研ぎ澄まされた気配を敏感に察知する。
「《ツインズ》……僕も故郷からこの剣を持ち出したんだ。外に出るためにね。僕は『破戒僧』さ。もっとも、僕はもう、故郷には二度と戻れないけれど」
マルコはサヤを見つめ、静かに、けれど真剣な声で切り出した。
「お願いがあるんだけど。僕も一緒に、その魔術師を探してもいいかな?」
「え……? でも……」
「君のお手伝いがしたいんだ」
「そんな……私は、師匠を裏切った者なのに……」
「いや、借りただけでしょ? 返すんでしょ?」
「それは……そうですけど」
「じゃ、決まりだ。よろしくね」
マルコはサヤに、大きく、温かな手を差し出した。
サヤは戸惑い、少しの間をおいた後、その手をしっかりと握り返した。
「……はい。よろしくお願いします」
町の一角にある小さな食堂。
裏切り者の少女と、背教者の男。
二人は互いの掌の熱を通じて、暗雲立ち込める旅路を共に歩む誓いを交わしたのだった。




