第五章:草原の寺院、聖域に刺す影
そこは、街の喧騒から遠く離れた草原の只中に建つ古い寺院だった。歴史の重みを感じさせる石造りの建物は、陽光を浴びて神聖な輝きを放っている。次元を越えたエルムとサヤは、身寄りのない孤児として、この静かな聖域に保護されていた。
「暖かいスープができたわよ。食べるかしら?」
世話係の女性が、レンズ豆と鶏肉をじっくり煮込んだ、湯気の立つボウルを運んできた。
「ありがとうございます……僕らなんかのために、申し訳ないです」
「あら、やだ! そんなに謝らなくていいのよ。子供は食べて大きくなるのが仕事なんだから。サヤちゃんも、無理せずゆっくり食べてね」
女性の優しい言葉に、サヤも小さく頭を下げた。窓からは心地よいそよ風が吹き込み、礼拝堂には街からの参拝者が置いたお布施の硬貨が鳴る音が時折響く。
スープを啜りながら、エルムが静かに話しかけた。
「良かったね、サヤ。食事も、暖かいベッドもある。……ずっと、ここにいたい?」
サヤはスプーンを止め、伏せられた瞳の奥で何かを見つめるように答えた。
「エルムは、ここにいたいの?」
「サヤは違うの?」
「……私は、師匠を裏切ってこの刀を盗んできた。もう後戻りはできないの。ヴァルガスのところへ行かなきゃ」
「……死体だって噂の、あの男を斬るために?」
二人の間に、スープの湯気越しに複雑な沈黙が流れた。
「僕、何も協力してあげられなくてごめん」
「ううん、エルムは優しすぎる。……もし魔剣の呪いが解けたら、どうするの?」
「……いつまでもここにお邪魔するわけにはいかないし、街で働けるところを探すかな。サヤ、君も一緒に……」
「え?」
「……ううん、なんでもないよ」
エルムは照れ隠しににっこりと笑った。
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しかし、寺院の奥深くにある司祭の私室は、礼拝堂の平穏とは無縁の空気に包まれていた。
机の上には、エルムから「解呪」のために預かった魔剣が鎮座している。司祭の手には、無惨な大火傷の痕があった。魔剣の柄に触れようとし、拒絶された代償だ。
司祭の背後の本棚には、一冊の「黒本」が隠されている。黒本党——その末端には、かつての立場を維持したまま潜伏する者も少なくない。
「ふーむ……。ヴァルガス様の下へ運ぶにも、この剣の気性は荒すぎる。……レイドール様に相談すべきか」
夜が更け、世話係の女性も帰路についた頃。誰もいない礼拝堂の扉が、音もなく開いた。
奥から出てきた司祭が、闇の中に立つ人影に声をかける。
「……こんな夜分に、礼拝者ですかな?」
「魔法教会から来た討伐隊だ」
男は懐から書状を取り出し、月光の下でそれを示した。短髪に黒い布を巻き、鋭い眼光を放つ眼帯の男——カイエンだった。
「討伐隊?」
「そうだ。先週、この地の領主が死んだという報告がある。……お前の仕業だな」
司祭は低く、不気味に笑った。
「ふふふ……あんな民を苦しめる領主を殺して、何が悪いというのです?」
「……お前、司祭がそれを言ったらおしまいだぞ」
カイエンの声が冷たく響く。瞬間、司祭の体がどろりと黒く染まり、衣服を切り裂いて異形の魔物へと変貌した。
カイエンは無造作に腰のレプリカを抜き放つ。
「ん? あれ……その剣……」
魔物の複眼が、カイエンの持つ魔剣のレプリカに釘付けになった。
「なんだ? この剣を知っているのか?」
カイエンは静かに剣を構えた。
偽りの聖域が剥がれ落ち、月夜の草原に、血と鋼の匂いが立ち込め始めた。




