第一章:三色の境界、仮面の食卓
大陸の物流を支える要衝、魔法教会の管理下にある「鋼鉄の関所」。
ここでは今、オズワルドの指揮による厳戒態勢が敷かれていた。高純度の詠唱石を流出させた疑いのあるドワーフ、バレルの行方を追うためである。
その関所のすぐ手前にある、薄暗い宿場町の酒場。
隅のテーブルを囲む、奇妙な三人連れがいた。
「……なるほど。あんたも『生命のしずく』を探しているってわけか」
バレルはフードを深く被り、髭を震わせながら目の前の美しい女、イゾルデを見据えた。
「ええ。アンテ・ロームの枯れ果てた空き瓶ならいくつも見たわ。けれど、私が求めているのは『生きた』しずく。……あなたは、その保存法を知っていると言ったわね?」
イゾルデは、この無愛想な職人が持つ情報に確信を持っていた。天空人の末裔である彼女の伝承にのみ残る「ある場所」――そこへ至るには、職人の知識が必要だった。
「俺の師匠、プロメ様が遺した知識だ。プロバンス大公国の精霊工学を使えば、中身の鮮度を数百年保つ『器』が作れる。アンテ・ロームの樹液を、不滅の霊薬に変える保存法だ」
バレルはそこまで言って、隣に座る物静かな紳士、レイドールを盗み見た。
「……で、あんたは? 黙って聞いてるだけだが、何者なんだ?」
レイドールは優雅にワインを傾け、穏やかな笑みを浮かべた。
「お気になさらず。私はただの旅の隠者に過ぎません。不老長寿の噂には興味がありましてね……。プロバンス、という名は初めて聞きましたが、非常に興味深い」
レイドールの内側では、冷徹な計算が始まっていた。ヴェネリア王国が「生命のしずく」を追っている事実。そして、このドワーフが持つ精霊工学の鍵。
(利用価値は十分だ……。今はまだ、果実が熟すのを待つとしよう)
「俺は、師匠が設計した船がある港へ行かなきゃならねえ。だが、あそこの関所は魔法教会の犬どもが目を光らせている。俺一人じゃ通り抜けられねえんだ」
バレルの悩みに対し、イゾルデは静かに立ち上がった。
「私についてきなさい。……あなたの知識が本物なら、通行証くらい私が用意してあげるわ」
---
関所の検問は、かつてないほど厳重だった。
数人の執行官が馬車の一台一台を調べ、人相書きと照らし合わせている。
バレルの背中に冷たい汗が流れた。あと数歩で、自分の顔が白日の下に晒される。
「止まれ! 出自を証明するものを出せ」
執行官の制止に対し、イゾルデは無言で懐から一枚のメダルを取り出し、突きつけた。
そこには、ヴェネリア王国の女王から授かった「黄金の百合」の紋章が刻まれていた。
「……ヴェネリアの特使か! これは失礼いたしました」
執行官たちは即座に居住まいを正し、深く頭を下げた。女王の紋章は、魔法教会の権限をも上回る、大陸で最も格式高い通行証の一つである。
「後ろの二人は、私の客人よ。異論はあるかしら?」
「いえ! 通れ! 道をあけろ!」
兵士たちが一斉に退き、道が開かれる。バレルはイゾルデの影に隠れるようにして、そしてレイドールは足音一つ立てぬ優雅さで、難攻不落の関所を悠々と通り抜けた。
「助かったぜ、イゾルデ。……あんたがそんな大層な身分だとは知らなかった」
関所を越えた先の街道で、バレルが安堵の息を吐く。
「私は私の目的のために、あなたが必要なだけよ。行き先は同じ港でしょう?」
イゾルデは、自分だけが知る伝承の地――「プロバンスの隠し工房」がその港の近くにあることを、二人には決して明かさなかった。
レイドールもまた、微笑みを絶やさぬまま、静かに二人を見守っている。
「ふむ……ヴェネリアの紋章、そして失われた工学。素晴らしい会食でした。この縁には、感謝しなければなりませんね」
三人は、お互いの本当の正体も、背負っている悪意も、秘めたる宿命も知らぬまま、夕闇の迫る港町へと向かって歩き出した。
後にこの大陸を焦がす三つの炎が、今はまだ、穏やかな夜風に吹かれているだけだった。




