第五章:草原の眠り、孤独なる再始動
レイドールの行方は途絶え、エルムとサヤは空間の裂け目へと消えた。
カイエンは魔法教会からの新たな指令を受け取るべく、次なる連絡所を目指していた。
眼前に広がるのは、どこまでも続く広大な草原だ。爽やかな風が草の海を揺らし、暖かい日差しが孤独な旅人を包み込む。長旅の疲れからか、カイエンは導かれるように草むらへと横たわった。
まぶたを閉じると、風の音に混じって、失われた日々の記憶が蘇る。
かつて、カスティエルと呼ばれていた頃。彼は父ドラグニールの広く大きな背中にしがみつき、大空を飛んでいた。
ドラゴンの口の形では人間の言葉を話せない。だが、父は思念を送り、愛する息子に語りかけた。
『カスティエル、怖くはないか?』
「全然! 僕もお父さんみたいに生まれたかったな。こんな大きな翼が欲しいよ!」
雲を突き抜け、下界を見下ろす風景に目を輝かせる息子に、父は微笑むように答えた。
『……ふふふ。私は一年のうち、たった三日しか人間になれん。お前が羨ましいよ。カスティエル、平和な時代に鋭い爪や翼は必要ない。お前は、もっと大きな自由という名の翼を広げ、誰も見ていない明日の世界を見るのだ……』
父の深い声が耳の奥で反響する。カイエンはその温かな記憶を抱きしめるように、深い眠りに落ちていった。
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記憶の針は、修行の日々へと進む。
静寂の里「霞ノ社」の近く。巨大な崖の上から、若者たちが今まさに巨大な岩石を突き落とそうとしていた。
リクセンの教えは、技術を超え、精神の極致に至る。見えぬものを見、聞こえぬものを聞き、運命すらも捉える心。その高みへ到達できた者は、ごく僅か。
片腕を失ったカイエンは、崖の下でただ独り、抜かぬ刀を携えて立っていた。
「カイエンの奴、大丈夫か?」
「案ずるな。潰される寸前に『影足』で消えればよい」
そして、轟音と共に岩が落とされた。
しかし、カイエンは動かなかった。回避する気配すら見せない。
「まずい、死ぬぞ!」
見守る者が戦慄した瞬間、巨大な岩石が空中で鮮やかに両断された。断面は鏡のように滑らかで、音もなくカイエンの両脇へと転がった。
「……斬れぬものを、斬る……!」
カイエンは回避の『影足』ではなく、極限の一撃『壱の太刀』を選択したのだ。それは、生涯にどちらか一つしか選べぬ、不退転の決意の証だった。
直後、カイエンはリクセンの寝所に呼ばれた。
病床のリクセンの傍らには二人の弟子が控え、その前には布に包まれた一振りの剣が置かれていた。名工としても名高いリクセンが、病の身体に鞭打って仕上げたものだ。
カイエンが布に手をかけようとしたとき、リクセンの鋭い声が飛んだ。
「待て。それを見るには、相応の覚悟が必要だ」
「覚悟……?」
「覚悟ができたのなら、見るがよい」
カイエンが震える手で布を取り払う。
そこに現れたのは――かつて、自らの手で父を殺めたあの「魔剣」だった。
「――っ! あ、ああああああ……!!」
その悍ましい造形、忌まわしい記憶。カイエンは過呼吸に陥り、胃の底から込み上げる嘔吐感と戦いながら、床に這いつくばった。
「……それは本物ではない。私が精巧に模した偽物だ。だが、どうだ? 手に取れるか。……その剣は今、主の下へ帰りたがっている」
「うぐあ、あああああ……ッ!!」
カイエンは絶叫し、血の滲むような思いでレプリカの柄を握り締めた。汗と涙に塗れながら、彼は震える腕でその呪われた形を掲げた。
「師の……御心……しかと、受け取りました……」
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ハッと目を覚ますと、辺りは既に黄昏に包まれていた。
草原を渡る風は、あの夢の中と同じように穏やかだ。
カイエンは起き上がり、腰にあるレプリカをそっと握ってみる。
今はもう、何の動揺も感じない。この剣はもはや呪いではなく、宿命という名の道標に過ぎない。
カイエンは静かに立ち上がった。
そして、闇に染まっていく草原の道を、再び一歩ずつ歩み始めた。その背中には、父が語った「自由の翼」は見えない。だが、運命という鎖を断ち切るための、鋭い切先が宿っていた。




