第三章:ミレーナ湖の静寂と禁呪の火種
魔法教会の執行官オズワルドは、今日も執務室の片隅で、崩れそうな呪文書の山と格闘していた。古びた羊皮紙の匂いとインクの香りが充満するその一角は、教会の厳かな雰囲気とは裏腹に、混沌とした熱気に満ちている。
「よう、オズワルド、やってるな。相変わらず机が汚ねえなあ。少しは片付けろよ」
同僚の執行官が呆れたように声をかけ、床に散乱した巻物や書物を拾い上げた。
「うるさい! 気が散る!」
オズワルドの怒声に、同僚は「やれやれ」と肩をすくめて数冊を棚に戻すが、その途中で一枚の古い絵を見つけ、手を止めた。
「ほう……ミレーナ湖か。美しい場所だな」
「北東からの風、そして新月から数えて十三日目だ」
オズワルドは、手元にあった別の古びた巻物を同僚の眼前に突き出した。それを見た同僚の顔から、一瞬で余裕が消え失せた。
「これは……ハイエイシェント(高位古代魔術)!? 冗談だろ、半径六・五キロを焼き尽くす禁呪中の禁呪じゃないか。ホシはどこだ?」
「ブランベック公国。ドラゴン王国崩壊後、覇権争いに血眼になっている辺境の小国だ。奴らがこの力を手に入れれば、大陸の勢力図が塗り替わる」
オズワルドは鋭い眼光を向けた。
「この巻物の在り処を突き止めるのに苦労したぜ。尻尾を掴んだのは、今朝だ。条件が揃う『十三日目』――つまり、決行は明日だ」
「明日だと!? お前バカか、ミレーナまでどれだけ距離があると思ってるんだ!」
「今、動ける奴は何人いる?」
「……三、四人といったところだが」
「すぐに馬車を手配しろ! 緊急招集だ!」
オズワルドの号令とともに、執行部隊は砂煙を上げて街道を駆け抜けた。
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翌日。静かな林を抜けた先に、水面が神秘的に煌めくミレーナ湖が広がっていた。予言通り、北東から心地よい風が吹き抜ける。
湖のほとりには、ブランベック軍の将軍、公国の高官、そして老獪な魔術師が立ち尽くしていた。
「先生、まだでしょうか?」
「ふふふ……将軍よ、慌てるでない。この風、まさに十年に一度の好機。失敗は許されんぞ」
魔術師の指示で、高官が触媒となる品々を並べ、最後にまばゆい光を放つ「詠唱石」を取り出した。
その瞬間だった。
「動くな! そのまま!!」
茂みからオズワルド率いる五人の執行官が躍り出た。
「魔法教会だ! 禁呪の行使を現行犯で押さえさせてもらう!」
「ちくしょう、なぜバレた……!」
観念した高官の手から、オズワルドは問題の詠唱石を没収した。
「領主様は無関係だ。これは私が独断で企てたことだ」
将軍が前に出て抗弁するが、オズワルドは冷ややかに鼻で笑った。
「現場を押さえた以上、調査に行かないわけにはいかないな。……後の釈明は教会の地下で聞こうか」
執行官たちが手際よく三人の腕を縛り上げる中、一人の同僚が没収した詠唱石を虫眼鏡で覗き込み、驚愕の声を上げた。
「こ、こ、こ……これは!!」
「なんだ、どうした?」
「純度九十七%……! オズワルド、こんな代物、一体どこで作った!? 赤本に収められている『ニュークリアブラスト』でさえ、純度六十%もあれば封じられる。ハイエイシェントにしても八十%あれば十分だ。九十七%なんて、正気の沙汰じゃない!」
オズワルドは友であるドワーフ、バレルの工房を思い浮かべた。彼の作る石が、こうして戦火を広げるための禁呪の器として利用されようとしている。
「これは、使い方によっては世界を終わらせかねない危険な代物だな……」
街道に停まった二台の馬車は、捕縛した者たちと、あまりに美しく危険な石を乗せ、夜道へと消えていった。




