第五章:一億分の一の確率、次元の彼方へ
カイエンは魔法教会の書状を懐に、静かな山村へと足を運んでいた。
そこで耳にしたのは、黒本党による凄惨な襲撃事件。だが、村人の話は奇妙な結末を迎えていた。
「討伐に向かう必要はない……だと?」
「ええ。目の見えない小さな女の子が、一瞬で魔物二体の首を跳ね飛ばしたんです」
にわかには信じがたい話だったが、カイエンの背筋に冷たい予感が走った。盲目の少女――その不自然な「力」に強い引っ掛かりを覚え、彼は彼女が向かったという港町へと足跡を追った。
町に入ると、昼時を過ぎても賑わいを見せる一軒の食堂が目に留まった。
カイエンは空いたテーブルに座り、運ばれてくる色とりどりの料理を口にする。繁盛の理由は味をみれば明らかだった。満足して席を立ち、代金を払いにカウンターへ向かうと、多忙を極める店主が自ら応対に出た。
「すみませんね、お待たせしちゃって」
「今日は随分と忙しそうだな」
カイエンが代金を手渡すと、店主は額の汗を拭いながら溜息をついた。
「ええ、おかげさまで。ただ、あてにしてた男の子が急に来なくなっちゃってね……人手が足りなくて、お恥ずかしい限りですよ」
「男の子?」
カイエンの眉がぴくりと動く。
「日雇いの子でね。事情は言わなかったが、よく働くいい子だったんだ」
カイエンは懐から、あの忌まわしい魔剣のレプリカを取り出し、カウンターに置いた。
「……もしかして、この剣を見たことがあるか?」
店主の目が大きく見開かれた。
「あーっ! その剣! あんた、エルムのことを知っているのか?」
「エルム……! どこへ行ったか分かるか!?」
思わず気色ばんだカイエンに、店主は困惑したように首を振った。
「いや……今朝から一度も見てないんだ。いつもなら店を手伝いに来るはずなんだが」
カイエンは即座に店を飛び出し、町中を捜索した。
やがて辿り着いた薄暗い路地裏。そこには干からびたリンゴの芯が二つ、仲良く並んで落ちていた。そこから伸びる小さな足跡。
(二人いた……? 一人はあのエルム。もう一人は……)
カイエンは慎重に、かつ迅速にその足跡を追って街道へ出た。
しかし、足跡は街道の途中で唐突に消えていた。
「どこへ消えた……」
周囲を見回したカイエンの鋭い眼光が、地面に残された別の痕跡を捉えた。
「これは……『影足』か。なぜあいつらがこんなところに」
誰かを、あるいは「何か」を狩りに来た気配。カイエンは今度はその不気味な足跡を追って街道を直走った。
しばらく進むと、道の中央に一人の男が立っていた。全身を黒装束で包み、殺気を完璧に削ぎ落とした佇まい。
「久しぶりだな、カイエン」
カイエンは答えない。ただ、抜けば一瞬で全てを終わらせる死神のような眼光で男を見据えた。
「……なぜ俺たちを追っている?」
「お前らこそ、誰を追っている」
黒装束の男は微かに笑い、肩をすくめた。
「相変わらずだな……食えぬ男だ。……『次元刀』を盗まれてな。我らの宝、取り戻さねばならぬ」
「それで少女を追っているのか」
「なに? お前、サヤを知っているのか」
「さあな……。俺が追っているのは少年の方だ」
カイエンの言葉に、男はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「無駄足だったよ。次元刀で二人とも逃げた。この先、どこへ飛んだかは分からん」
「……次元刀か。そうか、邪魔したな」
カイエンはそれだけ言うと、無言で背を向け、立ち去った。
暗闇から、息を潜めていた部下たちが姿を現した。一人が震える声で頭領に尋ねる。
「頭領……あの男は何者です? 教会の執行人には見えませんでしたが」
「……リクセン様の一番弟子だよ。奴もまた、我らが開祖の技術を継承する『壱の太刀』の使い手だ」
「あの男も!? では、サヤと同じ……」
頭領の男は、遠ざかるカイエンの背中を、畏怖を込めて見送った。
「次元刀すら持たず、自らの腕一本で『一億分の一の確率』を斬り伏せる男だ。文字通り、厄介などという言葉では足りぬ。……いいか、絶対に敵に回すなよ」
「はっ……!」
部下たちの戦慄を置き去りにし、黒装束の集団は夜の闇へと一瞬で姿を消した。




