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ブラック ブック  作者: さだきち
追憶の切先と次元の迷路

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第三章:路地裏の半分こ、二人の逃亡者


港町の片隅にある小さな食堂。そこには、日雇いの給仕として忙しく立ち働くエルムの姿があった。


「エルム! 3番テーブルに出るよ!」

「はい!」

エルムは慣れた手つきで調理場から大皿を受け取り、客の間をすり抜けて食事を運ぶ。懸命に働く彼の姿は、どこにでもいる実直な少年そのものだった。


「おい、エルム。これお前の剣か?」

調理場の男が、壁に立てかけられた古びた剣に手を伸ばそうとした。

「ダメ!! 触らないで!」

エルムの切実な、悲鳴に近い叫びに、男は思わず気圧された。

「え? ああ……悪い、そんなに大事なもんだったか」

「すみません……すぐにどかしますから」

エルムはそそくさと剣を抱え、誰の目にも触れない物陰へと隠した。その手は微かに震えていた。魔剣が放つ冷たい拍動を、自分以外の誰にも感じさせてはならない。


店は繁盛し、皿洗いや掃除に追われているうちに、夕闇が街を包み始めた。

「おい、エルム! もうあがっていいぞ」

主人の声に、エルムは額の汗を拭って歩み寄った。


「ほら、今日の駄賃だ。いつも助かるよ。明日も来るか?」

「ぜひ、お願いします!」

エルムが弾けるような笑顔で答えると、主人は目を細めて続けた。

「日雇いじゃなくて、いっそ正式にうちで働く気はないか? お前がいると本当に助かるんだ」

「……ありがとうございます。でも、ご迷惑をおかけするわけにはいかないので」

「迷惑なもんか。まあ、ゆっくり考えておきな。じゃあな」


主人の温かい言葉を背に、エルムは買ったばかりの食料と剣を抱え、いつもの路地裏へと急いだ。家を持たない彼にとって、そこが唯一の寝床だった。


いつもの路地裏に辿り着くと、そこには先客がいた。暗闇の中、一人の少女が膝を抱えてうずくまっている。

「どうしたの? こんなところで」

エルムの問いかけに、少女はびくりと肩を揺らした。

「あ……ごめんなさい。お邪魔、でしたか?」

「邪魔なんて……僕だって、ここに居ていいか分からないくらいだし。……え? 君、もしかして目が見えないの?」

「ええ……。でも、慣れてるから……」

「そう。大変だね」


エルムは彼女の隣に腰を下ろし、紙袋からパンを取り出した。

「そうだ。パン食べる? このパン、大きすぎて一人じゃ食べきれないから、半分あげるよ」

そう言って、エルムは焼きたてのパンを半分にちぎり、少女の手のひらにそっと乗せた。


「ありがとう。優しいんだね……」

「名前は?」

「わたしはサヤ。あなたは?」

「僕はエルム。よろしくね」


サヤは、エルムが傍らに置いた「大きな鉄の塊」の気配を感じ取った。

「大きな剣……剣士なの?」

「まさか! 剣なんて振れないよ。でも……ずっと持ってなきゃいけないんだ」

「そうなんだ……。なんか、あなたには似合わないね」

「そう思う? ……ごめんね、上手く言えなくて」

「ううん。私だって、言えないことばっかりだし……」


二人の間に、不思議な沈黙が流れる。お互いに血生臭い「秘密」を背負いながら、それを追求しない優しさがそこにはあった。

「気にしなくていいよ。……リンゴ、食べる?」

エルムはナイフでリンゴを二つに割った。

「ふふふ、嬉しい。何でも半分こだね」


サヤはリンゴをかじりながら、少しだけ身体をエルムに寄せた。

「ここで寝ているの?」

「そうだよ。行くところがないから」

「私も、隣で寝てていい?」

「僕に断る必要なんかないよ。……ああ、星が綺麗だ」

エルムが空を見上げ、ふと口にしてから、しまったという顔をした。

「あ、ごめん。見えないんだっけ。本当に、ごめん」

「ううん、気にしないで」

サヤは穏やかに微笑んだ。その表情に、エルムもようやく顔をほころばせた。


「……ありがとう。エルムも、微笑んだね」

「えっ、どうしてわかるの?」

「なんとなく、空気で。……あなたと一緒でよかった」


過酷な運命に翻弄される少年と、自らの力に絶望した盲目の少女。

冷たい石畳の上、狭い路地裏で寄り添う二人は、分かち合ったパンとリンゴの温もりを感じながら、泥のような眠りについた。

明日、何が彼らを襲うとしても、今この瞬間だけは二人にとって救いだった。


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