第二章:朱に染まる団らん、残酷な残影
山村から少し離れた場所に建つ、平穏を絵に描いたような一軒家。そこには、互いを慈しみ合う三人の家族が暮らしていた。
「今日は、お父さんは帰ってくるの?」
幼いメイが、弾むような声で母親に尋ねた。
「メイがいい子にしてたから、きっと早く戻ってきてくれるわよ」
「もう……お母さんったら。お仕事が終わったから戻ってくるんでしょ?」
「ふふふ、そうかもね」
母親は街で買い込んだ食材の袋を抱え、メイも小さな手でパンとケーキの箱を大切に持っていた。
「メイ、重かったでしょう? ごめんね」
「ううん、重くないよ! このくらい、どうってことないもん」
「メイは本当に偉いわね」
夕暮れ時の柔らかな光の中、二人は笑い合いながら温かい家の中へと入っていった。
夜の帳が降りる頃、玄関の扉が開いた。
「お父さん、おかえり!」
メイが弾かれたように駆け寄り、父親に抱きついた。
「よしよし、メイ! いい子にしてたか?」
父親は愛娘を軽々と抱き上げ、リビングのソファへと運ぶ。
「あら、あなた。早かったじゃない」
「ああ、大きな仕事が一区切りついたからな。しばらくは落ち着けそうだ」
キッチンからは、スープを煮込む食欲をそそる匂いが漂ってくる。家の中は、ささやかだが確かな幸福に満ちていた。
そこへ、コンコンと控えめに玄関を叩く音が響いた。
「はーい、どなたかしら?」
母親が扉を開けると、そこにはマントを深く被った少女が立っていた。
「……一晩だけ、泊めていただけませんか?」
「あら。あなた、そのお目は……」
「すみません……見えなくて。ご迷惑でしょうか」
「まあ! 目が見えないのに、こんなに遅くに一人で? 早く上がって、寒かったでしょう」
母親は迷わずサヤを迎え入れた。駆け寄ってきたメイが、彼女の手にある「杖」に目を輝かせる。
「わあ、赤い杖。きれいだね!」
「……ありがとう。キリコっていう名前なの」
「キリコ? ふーん。お姉ちゃん、お名前は?」
「サヤです」
「サヤちゃん! 私はメイだよ! よろしくね!」
「大変だったな。暗い中を一人で……さあ、こっちへ来て一緒に食べなさい」
父親が優しく椅子を引き、サヤを食卓へ促した。
目の見えないサヤにとって、そこにあるのは光ではなく「音」と「匂い」の世界だった。家族の笑い声、温かいパンの香り。彼女の冷え切っていた心までが、その幸せな空気に触れて解けていく。
「サヤちゃん、ケーキ食べる? これ、メイが運んできたんだよ!」
「ええ……メイちゃん、偉いわね。いただきます」
遠慮しないで、という母親の優しい微笑みを感じながら、サヤは久しぶりに人間らしい平穏な時間を過ごしていた。
だが、その平穏は「音」もなく破られた。
ドン! ドン!!
玄関を激しく叩く、暴力的な音。
「こんな夜更けに誰だろう?」
父親が席を立ち、不審に思いながらも扉を開けた。
その瞬間、禍々しい爪が暗闇から閃いた。
「あ……」
抵抗する間もなく、父親の首が鮮血と共に宙を舞い、床に転がった。
「きゃあああああ!!」
母親の絶叫が響き渡る。恐怖で腰を抜かした母親に、メイが泣き叫びながらしがみついた。
土足で踏み込んできたのは、全身を黒い外殻に包まれた二体の魔物だった。
「ひひっ、こんな上等な家があったとはな」
「な? 言った通りだろ。金もありそうだ」
魔物たちは冷酷な目で母子を見下ろした。
「よし。サクッとこいつら殺して、金と食料をいただこうぜ」
魔物が爪を振り上げ、メイたちに飛びかかろうとした、その時。
サヤが、静かに二人の前に立ちはだかった。
「あん? 何だお前、邪魔だ!」
魔物の爪がサヤの顔面を切り裂こうと放たれる。
刹那。
――乾いた音が響き、空間が震えた。
サヤの「壱の太刀」による、目にも留まらぬ抜刀。
魔物の黒い剛腕が、紙細工のように容易く切断され、壁に突き刺さった。
「ぎゃあああああっ!?」
悲鳴を上げる暇も与えず、返す刀で銀光が閃く。
一切の迷いがない斬撃。
魔物たちは自分たちが何をされたのかも悟らぬまま、その醜悪な頭部を床に転がした。
静寂が戻った部屋に、血の匂いが充満する。
メイは、あまりの衝撃と凄惨な光景に、悲しむことすら忘れて立ち尽くしていた。彼女が向ける視線は、もはや「優しいお姉ちゃん」に向けるものではなかった。
怪物を一瞬で屠った、さらに得体の知れない「化け物」を見る、拒絶と恐怖の目だった。
「……ごめんね、メイちゃん」
サヤは震える声でそう呟くと、一家の幸せを壊してしまった自責の念に駆られ、血に濡れた玄関から夜の暗闇へと飛び出していった。




