第五章:百の殺意、一の直感
「じゃあ、私たちは東側の階段から昇っていくわ。それじゃ」
イゾルデが軽やかに手を振ると、バルドとゴドリックがそれに続いた。
カイエンは三人の背中を見送った後、少し考えてから下の階を探すことに決めた。
三人は既に一通り下の階を見てきたようだが、カイエンの直感は、この静寂の奥に「何か」が潜んでいると告げていた。
「ドカッ!」
上の階からドアを蹴破る荒々しい音が響く。
「何もないっすねえ」
「次いくぞ、次だ」
バルドのぼやきと、ゴドリックの冷静な促し。彼らは片っ端から部屋を検分していった。
「しっかし奥方、あの男、何者なんすかねえ?」
「只者じゃないわね。……もしあいつが先に見つけたらどうするかって? 申し訳ないけど、奪い取るしかないわね」
イゾルデの言葉に、ゴドリックが眉をひそめる。
「……そういうやり方、兄貴は嫌いですもんね?」
「いや、我々は奥方に忠義を誓う身。女王陛下からの勅命とあらば、やらねばならん」
「そういうもんなんすね。わかりました、ならぶっ殺します」
バルドの屈託のない殺意に、イゾルデは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「まあ、私だって心は痛むわよ?」
「え? 奥方が?」
「何よ、バルド。文句あるの?」
その頃、下の階の廊下を独り歩くカイエンは、ある違和感に足を止めていた。
均等に並ぶはずのドアとドアの間。一箇所だけ、不自然に距離が離れている壁があった。その継ぎ目から、微かに風の流れを感じる。
「ガチャン!」
鋼鉄の義手から銃身が突き出し、火を噴いた。
ドオン! ドオン!
至近距離から放たれた二発の衝撃。崩れ落ちた壁の向こう側には、隠された空間が広がっていた。
カイエンが残骸を踏みしめて中に入ると、そこには貴金属が飾られた棚や、純度の高い詠唱石の山、そして金貨の詰まった革袋がいくつも並んでいた。
「……何事!?」
爆音を聞きつけたイゾルデたちが、上の階から駆け下りてきた。
「あっ……!」
隠し部屋の財宝を目にした三人は、一瞬言葉を失った。
「すげー……。持ちきれねえっすよ、これ」
「……金貨の袋を三つだけ持っていこう」
ゴドリックが手を伸ばした時、イゾルデが彼の肩を鋭く叩いた。彼女の視線は、部屋の中央で一つの箱を手に持つカイエンに釘付けになっていた。
箱の表面には、「アンテ・ロームの紋章」が刻まれている。
バルドとゴドリックが即座に武器を構え、カイエンに躍りかかろうとした――その瞬間。
「待って! 待って、お願い……止めて!!」
イゾルデが両手を振り、絶叫に近い声で二人を制止した。
彼女の顔は幽霊のように青ざめ、額からは脂汗が流れ落ちている。肩で激しく息をする彼女の姿は、あまりにも憔悴しきっていた。
「ど、どうしたんすか、奥方……!?」
「いいのよ、もう……。それが『生命のしずく』よ。あんたにあげるわ……この、化け物!」
カイエンは状況が掴めなかった。なぜ今、自分を化け物呼ばわりしたのか。
彼は静かに箱を開けた。中には、小さな空き瓶がひとつあるだけだった。
「……どういうことだ。空じゃないか」
「これで五個目か……」
バルドががっくりと肩を落とし、ゴドリックが溜息をつく。
「本当に中身の入った瓶など存在するのですかね……」
「私は諦めないわよ。とりあえずここは撤収ね。でも、この財宝は勿体ないから少し見ていきましょう」
カイエンは興味を失ったように空き瓶を投げ捨て、部屋を出ていこうとした。
「お宝に興味ないの?」
「どうせ一人じゃ持てないからな」
そのまま廊下に出ようとして、カイエンはふと足を止めた。振り返らずに、彼は低い声で呟く。
「……お前ら。さっき、俺を殺そうとしてただろ」
「何言ってんだ? 何もしてねえだろ」
バルドが反論する。実際、彼の記憶の中では武器を構えたところで止められただけだ。
だが、カイエンは首を微かに振った。
「そうなんだが……何かな。お前らと、もう百回以上、殺し合った……そんな気がするんだ」
背後に戦慄が走る。
「……いや、いい。忘れてくれ」
カイエンはそのまま、暗闇の廊下へと消えていった。
「あいつ、頭がおかしいんすかね、ねえ奥方? ……って、奥方? どうしたんすか!」
バルドが呼びかける。
イゾルデは震えが止まらなかった。逆時計を使い、時間を巻き戻し、何度も、何度も、完璧な奇襲で彼を仕留めようとした。だがその度に、この男は「初めての攻撃」を本能で見切り、逆に彼女たちの喉元に刃を突きつけてきたのだ。
百回以上のループを経て、ようやく「戦わない」という選択肢に辿り着いたイゾルデ。
時間を支配していたはずの彼女は、今、自分たちを「覚えていた」男の背中に、真の恐怖を感じていた。




