第三章:紅の馬車と逆行する時計
夕闇が迫る街道を、真っ赤に彩られた豪華な馬車が進んでいた。
引いているのは、一点の曇りもない毛並みを誇る見事な白馬。その両脇を固めるのは、兜と重厚な鎧に身を包んだ二人の屈強な男たちだ。
「ねえ、奥方ぁ。この方角で合ってるんですかねえ?」
大きな斧を背負った若い兵士、バルドが退屈そうに尋ねる。
「どうしたのバルド? お腹が空いたの?」
赤いドレスを纏った美しい女性――イゾルデが、馬車の中から鈴を転がすような声で返した。
「お前、さっき食べたばっかりだろ」
ハンマーを担いだ義兄のゴドリックが呆れたように言うと、バルドは不満げに頬を膨らませた。
「また二人して俺を子供扱いして!」
「わははは! まあそう言うな。さっさと用を済ませて戻ったら、またあのチキンを食おう。酒も最高だぞ!」
「そうだよな、兄貴! やっぱ兄貴は話がわかるぜ!」
「ちょっと、ゴドリック! 前! 検問所らしきものが見えたわよ。着いたわ、ちゃんとして」
イゾルデの叱咤に、二人は表情を引き締めた。
真っ赤な馬車が検問所の前で停まると、ゴドリックが威厳たっぷりに咳払いをした。
「うぉっほん! ヴェネリア王国、女王の勅命を受けたイゾルデ様が参られた! 門を開けよ!」
門がゆっくりと開き、現れたのは先ほどの五人組だ。
「また変な奴らが来たなあ。どうなってんだ今日は……」
「面倒だ、さっさと殺そう。四人も七人も変わらん。まとめて消すぞ」
五人の肌が変色し、鎧が地面に転がる。禍々しい魔物の姿を目の当たりにしても、イゾルデは動じなかった。
「おやおや、黒本党かい? 苦労しそうだねえ……」
「行くぜ、兄貴!」「おう!」
バルドとゴドリックが、爆発的な踏み込みで五体の魔物へと突っ込んでいく。
だが、魔物たちの速度も尋常ではなかった。
三体の魔物が前に出て、バルドの右側にある完全な死角を突く。鋭い爪が彼の喉元へ迫る。同時に、ゴドリックも両脇から挟み込まれた。
「しまっ……!」
一瞬にして、二人の精鋭が血飛沫を上げて倒れ伏した。
それを見届けたイゾルデは、眉一つ動かさずに溜息をついた。
「……やっぱり、こうなるわね」
彼女は懐から、複雑な歯車が露出した懐中時計のような装置――『逆時計』を取り出し、天面のスイッチを押し込んだ。
――カチリ。
世界が歪み、光が逆流する。
気がつくと、バルドとゴドリックは再び検問所に向かってダッシュしていた。二人には「今死んだ」という自覚はない。だが、イゾルデの瞳には先ほどの光景が克明に刻まれている。
「バルド! 右よ!」
「えっ!? ……おおおっ!」
間一髪、バルドは右死角から飛来した爪をかわし、逆に斧を横一閃に叩き込んだ。魔物の肉が裂ける。
「なっ、何故わかった……!?」
魔物が困惑した隙に、今度はゴドリックが左肩を深く突き刺された。
――カチリ。
再び、時間が巻き戻る。
「バルドは右! ゴドリックは左よ!」
イゾルデの鋭い叫びが飛ぶ。
今度はバルドが右の魔物を薙ぎ払い、ゴドリックが左から来た爪を完璧に受け流して、魔物の頭部を巨大なハンマーで粉砕した。
「そんな……馬鹿な……!」
予測不能の動きに動揺する魔物たちを、二人の兵士は容赦なく蹂躙した。
ゴドリックがもう一体の頭部を叩き割り、間髪入れずにバルドが女の魔物の頭を真っ二つに割る。
さらにゴドリックが残った一体の膝を粉砕して無力化し、そこへバルドの斧が振り下ろされ、首が宙を舞った。
わずか数分の間に、魔法教会の討伐隊を葬り去った五体の魔物は全滅した。
イゾルデが持つ『逆時計』。それは精霊工学が到達した、失われた過去の遺産。
二分間だけ時間を巻き戻すその力は、敵の初見殺しの攻撃を「予知」へと変える。
「奥方! 相変わらず冴えてますね!」
血振るいをしたバルドが誇らしげに笑う。
「でしょ?」
イゾルデはいたずらっぽく微笑み、時計を懐に収めた。彼ら二人には記憶がない。ただ「奥方の指示通りに動けば勝てる」という盲目的な信頼があるだけだ。
「さあ! 倉庫を探すわよ!」
イゾルデの号令と共に、真っ赤な馬車は死体の転がる検問所を通り抜け、不気味な静寂に包まれた旧倉庫街へと進んでいった。




