VS長月紅葉(前編)
【称号】
二条院優介:護衛騎士
京山緑:狙われた幼女
真田一馬:略奪者
長月紅葉:護衛騎士
優介が静かに言った。
紅葉もまた、一歩を踏み出し、真正面からその言葉を受け止める。
お互い、もう言葉は必要なかった。
足音ひとつ立てず、紅葉が滑るように距離を詰める。
視線はブレず、獲物を狩る獣のように、わずかな隙を狙っている。
優介は構えない。
ただ重心をわずかに落とし、紅葉の出方を見据える。
その目は冷たく、深く、感情を沈めきっていた。
刹那――
紅葉の蹴りが飛ぶ。
低い軌道で、足首を狙った素早い一撃。先制にして威嚇、踏み込み封じの技。
優介はその動きを正確に読み、踵を半歩引いてそれを紙一重で躱す。
風が靴底をかすめ、床に残る音だけが虚しく響いた。
紅葉の目がわずかに細くなる。
次の瞬間には、回し蹴り。
横薙ぎに打ち込まれる、ためらいのない動き。
だが――優介はもうそこにはいない。
重力を殺すように腰を落とし、真横へ滑るように身を捌くと、その流れのまま紅葉の死角へと回り込む。
「……悪いな」
低く呟いたその声とともに、肘打ちが紅葉の脇腹へ鋭く打ち込まれる。
呻き声ひとつ、紅葉の口から漏れる。
だが、倒れない。
即座に体を捻り、反撃の膝蹴りを繰り出す紅葉――
肘打ちは確かに届いた。だが、それだけだった。
紅葉はほんの一歩だけ後退すると、すぐに体勢を整える。
表情は変わらない。口を一文字に結び、涼しい目でこちらを見ている。
その無言の静けさが、逆に圧を生む。
――動きを見てから反応しても、間に合う。
そう思っていたはずなのに、次の攻撃は、意識よりも早く飛んできた。
肘を跳ね除けた勢いのまま、紅葉の右膝が迫る。
「――ッ!」
間一髪、前腕で受けたものの、重さが乗っていた。
骨に響く衝撃。思わず一歩、後退する。
「……遅い」
初めて、紅葉が口を開いた。だが、その声に感情はない。
事実を伝えるだけの、切り捨てるような声音。
言葉の直後には、拳が飛んできた。
直線の突き。その単純さゆえに、速い。
優介は腕をクロスさせて受け止めるが、勢いを殺しきれず、床を滑るようにして体が流された。
紅葉の足音が、すぐに後を追ってくる。
追ってくる紅葉に合わせて放たれた優介の蹴りは、紅葉の足払いによって軌道を逸らされた。
返すように伸びた肘は、わずかに空を切る。
間を置かず、紅葉の体が沈む。
低く、滑るような踏み込み。床板を鳴らさず詰め寄ると、無駄のない手刀が腹を狙って突き出された。
優介は身体を捻ってそれをいなす。が、次の瞬間、紅葉の左足が支点となって回転する。
反転と同時に放たれた回し蹴り。二段目の動きだ。
腕で受けた衝撃に、優介の足元がずれた。
体勢が揺らいだ瞬間を逃さず、紅葉の膝が脇腹を抉るようにめり込む。
「ぐっ……」
押し込むような蹴り。
反撃の隙も与えず、紅葉は優介の目前に肉薄していた。
刹那、肘が振るわれる。
それを受け止めようとした優介の腕を、紅葉はすり抜けるようにかわした。
体ごと沈み込み、空いた胴へ拳を突き刺す。
音が鈍く響いた。
服越しに拳が食い込み、優介の肩がわずかに揺れる。
苦痛に顔を歪めながら数歩、後退。
追いはしない。紅葉は構えたまま、変わらぬ無表情で次を見据えていた。
「はぁ? なんでお前がそんな動きできんだよ……!」
戦況を横で見ていた真田が、苛立ち混じりに叫ぶ。
「金持ちのガキが、のほほんと育ったボンボンがよ……紅葉と互角とか、ふざけてんのかよ……!」
優介は一瞥もくれず、低く静かに言い放つ。
「……ああ、だからこそ危険な目に遭いやすいからな。護身術のひとつやふたつは、必須科目だ。――俺は、戦えないなんて一度でも言ったか?」
二人の打ち合いは、静かに、しかし鋭く続いていた。
拳と脚が何度も交錯し、間合いと重心の探り合いが続く。
足音は吸い込まれるように静かだった。踏み込みの重さも、蹴りの鋭さも、何もかもが研ぎ澄まされている。
優介は、一撃ごとに反応を強いられていた。受け、逸らし、あるいは躱す――選択肢は多くない。
紅葉の動きは、速さよりも正確さだった。無駄がない。どの攻撃も目的が明確で、どこを狙えば人は崩れるか、熟知している。
一つひとつの打撃は決して重くはない。だが確実に身体に蓄積されていく。
正面から打ち合っていてはジリ貧だ。時間が経つほど、わずかなズレが致命傷になりかねない。
ほんのわずかに肩が揺らぐ。その瞬間を逃さず、紅葉の足が地面を蹴った。
次の瞬間には、優介の防御の内側へと入り込まれていた。
――速い。
反応は間に合った。だが、体勢が乱れる。乱れた隙を逃さず、紅葉の膝が、優介の腹に突き刺さる。肺の奥の空気が一気に押し出され、喉の奥がひゅっと鳴った。
優介表情が苦悶に満ち、足が一歩、後ろへと下がった。
まるで、前提が違う。
この女は、ただ強いだけではない。戦うこと自体が、生きる手段であるかのような、そんな精度と冷静さ。それ以上に洗練されすぎている。
護身術や武道の枠に収まらない、殺意と制圧を前提とした構えと打ち込み。
生きるか死ぬかーーそういう場所で磨かれた動きだ。
回避と牽制の合間、痛みに荒れた息を整えながら、優介が口を開く。
「……お前のそれは、CQCだな。近接格闘術。つまりは、軍人か傭兵か」
紅葉の眉がわずかに動く。
「……その両方よ。東南アジアの戦争に参加してたわ」
事実を淡々と並べる口調。その眼差しは微塵も揺れない。
優介は肩で息をしながら、血の味を含んだ唾を呑み込む。
「なるほど、納得だな。」
紅葉が逆に問い返す。
「あなたのそれは何? どう見ても、ただの護身術じゃない」
「護身術さ。ただし、俺専用にカスタマイズしてあるがな。」
「……どういうことかはわからないけど、もうやめておきなさい」
紅葉の声音は静かだった。だが、その言葉の裏には確かな警告の色が滲んでいた。
「技術は目を見張るものがある。けれど……体がそれについて来てないわ」
紅葉の目が、優介の肩の落ち方や呼吸の乱れ、わずかな足の重さを見逃さない。
「あなたでは、私に勝てない」
断言する口調に、虚勢も誇張もない。ただ、冷徹な事実の確認のように。
「その女の子なら返すわ。だから、連れて帰りなさい」
紅葉はそう言い、優介の後方でうずくまる緑に視線を向ける。
「おい、紅葉、何を勝手に――」
真田が苛立ちをあらわに声を荒げた。だが、その言葉を遮るように紅葉の鋭い視線が突き刺さる。
「……私の“仕事”は護衛って言ったでしょう」
凍るような声音だった。
「その子を持ってたら、この人は諦めない。そうなると、仕事に支障が出るの」
一切の感情を切り捨てたような論理。一見仕事優先のように見えるが、紅葉にできる最大限の譲歩であり、緑に対しての優しさだ。
優介はそれを聞き、ふっと口の端を吊り上げた。
「……気遣いはありがたいが、不要だ」
静かな、しかし怒気を含んだ声で。
「――こいつは、俺の相棒だ。手を出されたまま黙っていられるほど、できた人間じゃないんでな」
「……そう」
「あいつには絶対後悔させる。せいぜい俺から、真田を守るんだな。」
その言葉を最後に、優介は静かに目を閉じた。
ほんの数秒。それだけの静寂だった。
なのに、空気の密度が一段階、確かに変わった。
空気が重い。暑くもないのに肌が汗ばみ、喉が張りつく。
その場にいた誰もが、無意識に呼吸を浅くする。
――何かが変わる。
直感よりも速く、全身の細胞がそれを感じ取っていた。
優介の口元が、わずかに動いた。
「Code bestätigt.」
「Protocol Zone.」
【獲得称号】
なし




