秩序の終わり
【称号】
二条院優介:ギルティ
京山緑:託された者
真田一馬:逆ギレ撤収者
長月紅葉:戦犯回収係
「ありがとう、もう大丈夫。」
しばらく後、そう言って緑が顔を上げた。涙の跡はまだ頬に残っているけれど、その瞳はもう前を向いていた。
「……無理しなくていいぞ」
優介が静かに声をかける。
けれど、緑はかぶりを振った。
「いいの。やらなきゃいけないこと、いっぱいあるから」
ぬいぐるみを胸元に抱いたまま、少しだけ視線を落として言葉を継ぐ。
「優介……ゆみさん、殺されてるのよね?」
「ああ。間違いないだろう」
優介はゆみの体に膝をつき、改めて検分を始める。
首には明確なロープ痕。そして、頸部の皮膚には吉川線――圧迫によって皮膚が変形し、シワが寄った典型的な死後の兆候。
「首にロープの痕があるし、吉川線もある。死因は頸部圧迫による窒息死。時間的には……本当に少し前、ここ一時間以内だろうな」
言葉に、緑の表情がわずかに引き締まる。
「金貨と銀貨は?」
「確認する」
優介は立ち上がり、部屋の隅に据えられた金庫の前にしゃがみ込む。
ダイヤルを回し、鍵を開け、中を覗き込む。
「……金貨が、ない。銀貨は……まだ残ってるが」
「半貨は?」
緑がすかさず問う。
優介は金庫を一瞥してから、再びゆみの元へと戻る。
「……ゆみさん、ちょっと失礼する」
静かにそう言って、彼女の冷たくなった身体をそっと抱き上げる。
背後に隠れていた金庫の奥の壁に、手を伸ばす。
ゆみの指を添えて、静かに押し当てる。
ピピっと音がして鍵が開き、扉がスライドする。
「……ない。半貨も、消えてる」
沈黙が落ちた。
ぬいぐるみを抱いたまま、緑は目を伏せる。
誰かが、ゆみを殺し、金貨と半貨を奪っていった――
その事実が、ゆるぎなく突きつけられていた。
これは……やばい。
半貨の情報、俺ら以外にも持ってる奴がいる。
金貨を調べれば誰でも気づくチャンスはある。
だけど……これは偶然なのだろうか。
いや、それ以上にーー
もう……手段を選ばない段階にまで来てしまっているのか。
「ゆみさんをみつけたこと、晃に伝えに行く。……ちょっとだけ待っててくれ」
そう言って、優介は軽く息を吐き、部屋を出ていった。
「……わかった」
私はうなずいて、ドアが閉まる音を聞いた。
しん、と静寂が戻る。
室内には、もう誰の息遣いも感じられなかった。
冷たくなったゆみさんが、そこに横たわっている。
私は、そっとぬいぐるみを胸に抱きしめて、ベッドの傍にしゃがみ込んだ。
覚悟してた。……はずだった。
だけど、いざ目の前でこうして“終わって”しまうと、心のどこかが、きゅうっと音を立てて崩れていく。
――やっぱり、だめだ。
犯人に怒りがないわけではない。だけど、自分にそれを咎める資格があるとも思えない。
ただ、ただ、息をするのが苦しい。
私はそっと立ち上がり、部屋を出た。
少しだけ、空気を吸いたかった。
重たい扉が軋む音を立てて閉じる。
廊下には誰もいない。薄暗く、冷えた空気だけが静かに流れている。
と、その時、背後から声がした。
「よう。……探したぜ」
びくりと肩が跳ねた。
振り返ると、そこにいたのは――真田一馬。そして、長月紅葉。
それを理解した瞬間だった。視界がぐにゃりと歪んで、平衡感覚がなくなった。
――え?
何が起きたのか、理解する前に体が吹き飛んでいた。
腹のあたりに鋭く重い衝撃。思いっきり蹴られたのだと気づいたのは、床に転がってからだった。
「……っ、ぐ……!」
声にならない呻きが喉を突く。ぬいぐるみが手からこぼれ、床を転がった。
頬を冷たい床に擦りながら、必死で身体を起こそうとした。
その足元に、黒い靴がにじり寄ってくる。
「嬢ちゃん、さ――」
聞き覚えのある、軽く笑うような声。
「――半分の白金貨、俺にくれよ」
その一言で、頭の奥に鋭い警鐘が鳴った。
――狙われた。
狙われたのは、私。
油断してた。完全に、油断してた。
ゆみお姉ちゃんの白金貨が奪われた。
それが、何を意味するか、わかっていたはずなのに。
もう、このことを誰が知っててもおかしくない。
もう、この館は変わってしまったんだ。
今までみたいに言葉だけじゃ通じない。
暴力が、支配するフェーズに入った。
わかってたのに。わかってたくせに――私は、甘かった。
きっと誰だって、私を狙う。
だって私は、小さくて、軽くて、無力に見える。
私だって、もし逆の立場だったら、きっと私を狙う。
そういう場所なんだ、もう、ここは。
「……っ」
返事はしなかった。
ぬいぐるみを拾い上げる、緑はぎゅっと拳を握りしめ、真田を、まっすぐに睨みつけた。
真田が、私の顔を覗き込んだ。
「……なんだ、その目。生意気な目してんな」
言うなり、拳が振るわれた。
視界が揺れて、床に叩きつけられる。頬に鈍い痛み。
世界がグラグラと傾いた。
「大人の怖さってやつを、ちゃんと教えてやらなきゃな」
――ダメだ、このままだと殺される。
必死に体を起こしながら、ぬいぐるみを胸に引き寄せる。
中に隠したスタンガンに指を伸ばし、そっと構えた。
真田が、こちらに歩み寄ってくる。
一歩、また一歩。迷いも警戒もない、まるで獲物に近づく肉食獣のような足取りだった。
痛みで震える体をどうにか抑えながら、私は視線を逸らさずにじっと彼を見つめる。
あと数歩。――今、この瞬間しかない。
いまだ――!
スタンガンを抜き出そうとした、その瞬間。
「ッ――!」
右手に激痛。
突如横から蹴りが飛び込んできた。スタンガンが、手から弾かれて転がる。
紅葉――あいつが、私の動きに気づいていた。
「こんな物騒なもん、持ってたのか嬢ちゃん」
真田がスタンガンを拾い上げる。私の武器、私の切り札。奪われた。
「じゃあ……試してみるか、自分の体でよ」
――やめて。
何も言えないまま、私の腕が押さえつけられた。
次の瞬間、スタンガンのスイッチが入る乾いた音が響いた。
「――あ゛ッ!!」
喉が裂けるような悲鳴が、勝手に漏れた。
骨の奥まで、電流が這いずり回る。
頭の中で何かが弾け、視界が真っ白に染まった。
動けない。
痛い。痛い。痛い。
心臓が跳ね、肺が息を吸えずに痙攣する。
体が勝手に引きつって、床に爪を立てるしかできなかった。
「へぇ、けっこう効くじゃねぇか」
真田の声が遠くで笑っている。
舌が痺れて、うまく動かない。涙が勝手にこぼれて、床に落ちる音がした。
息がうまく吸えない。脳が酸素を求めて暴れている。
腕も脚も、痙攣して自分の意思を失っていく。
まるで他人のものみたいに、手足が勝手に引きつって跳ねる。
息を吸おうとしても、喉が詰まり、何度も咳き込んだ。
視界が滲んで、床が斜めに歪んで見えた。
それでも私は、唇を噛み、必死に意識をつなぎとめた。
悲鳴が響いた。
優介は胸の奥を何かが鋭く引っかいたように感じ、反射的に振り返った。
緑――。
名前を叫ぶ間もなく、廊下を全力で駆け出す。耳に血が集まり、鼓動がうるさい。視界の先、扉の向こうに、小さな影が崩れているのが見えた。
嫌な予感が、全身の毛穴から噴き出す。
「緑ッ――!」
その名を絞り出すように吐いた時、真田がこちらを振り返った。
「……チッ。もう戻ってきやがったか」
舌打ちと同時に、わずかに身構える気配。しかし、すぐには退かない。まるで挑発するように、緑のそばから一歩も動かない。
優介が一歩踏み込もうとした瞬間――
「それ以上はダメ」
ぴしゃりとした声が遮った。
紅葉だった。真田のすぐ前に立ち、寸分の隙も見せずに優介の進路を塞ぐ。
その目は冷たい。感情を切り捨てた、機械のような視線。
優介の眼が、紅葉の後ろにちらと視線を滑らせた。
床に倒れたままの緑――身動きひとつしない。唇が震え、小さな手がかすかに動いていた。
怒りが、音もなく腹の底で煮え立つ。
喉の奥から言葉が滲み出た。
「お前……緑に、何をした?」
低く、抑えられた声。
だが、張り詰めた空気がそれだけで軋んだ。
真田は片眉を上げ、気だるそうに肩をすくめた。
「何だよ、仲良しか。小娘がちょっと蹴られたぐらいで目くじら立てんなよ。俺はただ、話がしたかっただけだぜ?」
優介の拳がわずかに震える。
紅葉が一歩、さらに前へ出た。
「警告よ。それ以上近づかないで」
紅葉が短く告げた。
その声には、感情が一切なかった。命令を実行するだけの、冷たい機械のような声音。
優介は立ち止まる。
睨みつけるように紅葉の視線を受け止め、口を開いた。
「……邪魔をするのか」
「仕事よ」
それきり、二人は黙った。
沈黙が、張り詰めた糸のように空気を支配する。
その間を割るように、真田が口を開く。
「おいおい、何その顔。マジになっちゃってさ。そんなにお嬢ちゃんが大事か? もしかして、そういう趣味――」
その瞬間だった。
優介の体が一瞬ぶれたかと思った刹那、
鋭く、一直線に真田の喉元を狙って足が振るわれた。
――が、その一撃は届かない。
紅葉の足が、寸分違わぬ軌道で横から叩き込まれ、優介の蹴りを完全に打ち消した。
「ヒィッ……!」
真田が短く悲鳴を上げ、数歩後ずさる。
紅葉はその場から動かないまま、淡々と、静かに言った。
「いいのね? 警告はしたわよ」
「ああ。手合わせ願おう」
【獲得称号】
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