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異世界に行ける可能性は微粒子レベルで存在している  作者: Lemuria


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もうひとつの白金貨

【称号】

二条院優介:託す者

水島芹香:満たされた心

 優介は廊下を進み、芹香の部屋の前で立ち止まる。ドアを軽くノックした。


「芹香、いるか?」


「ゆ、優介!? ちょ、ちょっと待ってね!」


 室内から、慌ただしく動く物音と、布の擦れる音が聞こえる。ついでに、深呼吸のような息遣いも漏れ伝わってきた。


 数秒後、ドアの鍵が回り、カチャリと音を立てて開いた。


「は、入って!」


 開けられたドアの向こうに立っていた芹香は、どこか緊張したような面持ちだった。頬をこわばらせながらも、精一杯の笑顔を浮かべている。


 その様子が少し可笑しくもあり、同時に申し訳なさを誘った。


「……元気そうだな」


 優介がそう声をかけると、芹香は照れたように目を伏せながら、こくんと頷いた。


「うん。この前は……ありがとう」


「……ずいぶん素直じゃないか。やっぱり、まだ調子悪いんじゃないか?」


 そう言いながら、優介は軽く手を伸ばし、芹香の額にそっと手を当てた。


「ひゃっ!?」


 驚いたような声を上げた芹香だったが、嫌がる素振りはない。むしろ、どこか緊張したまま固まっていた。


 手のひら越しに、芹香の額の温もりがじんわりと伝わってくる。さっきより、ほんの少し体温が上がったようだった。


「……やっぱり、少し熱あるかもな」


 優介は穏やかに言って、ゆっくりと芹香の手を取った。


「ちょっとだけ、目を閉じて深呼吸してみろ。緊張してると、体温も上がるから」


「え……う、うん」


 芹香は戸惑いつつも、優介の言葉に従って目を閉じ、呼吸を整えようとする。彼女の肩がわずかに上下するたび、張っていた空気が少しずつやわらいでいくのが伝わってきた。


「いい子だ。そのまま、もう一度。ゆっくり、吸って──吐いて」


 静かに言葉を重ねるたびに、芹香の呼吸は深く、一定になっていく。優介は手を離さず、そのまま静かに、落ち着いた声を続けた。


「目を閉じたまま、頭の中で思い浮かべてみて。白い部屋にいる自分。何もない、誰もいない、安心できる場所だ」


「……うん……」


「ゆっくり歩いて、そこに腰を下ろす。壁にもたれて、目を閉じて──なにも考えなくていい。俺の声だけを聞いて」


 芹香の表情から、緊張の色がすうっと抜けていく。まぶたは閉じたまま、呼吸も穏やかになっていた。


「大丈夫。怖くない。少しだけ、俺の話を聞いて。目を閉じたまま、うなずけるか?」


 ……こくん。


 芹香の首が、小さく縦に動いた。


 優介は少しだけ姿勢を変え、芹香の前にしゃがみ込む。


 彼女のまぶたはぴくりとも動かず、呼吸はすでに静かに、深くなっていた。肩の力が抜け、全身がわずかに沈んでいる。


「……いいぞ。そのまま、何も考えなくていい。時間も場所も、全部忘れていい。今、ここにあるのは俺の声だけだ」


 数分のあいだ、優介は途切れず言葉をかけ続けていた。

 呼吸、意識、身体の感覚──すべてが静かに沈んでいくのを確認しながら、さらに深く導いていく。


 優介の声が、一つひとつゆっくりと、彼女の意識に染み込んでいく。


「気づいてるか? もう周りの音が聞こえなくなってる。ベッドの感触も、空気の匂いも、どうでもよくなってきてる」


 芹香の指先がわずかに動いた。けれど、それは意志ではなく、力が抜けた結果の無意識の反応だった。


 ──反応閾値の低下。深度レベルC。あと一段。


「大丈夫、怖くない。俺の声はちゃんと届いてる。だから、安心して。もう少し深く、心の底まで降りていこう」


 少し間を置いてから、優介は、意図的にゆっくりとしたトーンで続けた。


 いくつかの暗示をゆっくり繰り返しながら、優介は慎重に、意識の階段を降ろしていった。


 部屋の静けさに溶けるようにして、芹香の身体からは徐々に緊張が抜けていく。


「……三つ数えると、お前は完全に落ちる。過去も、記憶も、全部素直に思い出せるようになる。いいな?」


 ──こくん。


「一……深く、深く」


「二……周りの音も、記憶も、俺の声に溶けていく」


「三……もう、全部預けていい」


 芹香の表情から、わずかに力が抜けた。


 何かを手放したような、すべての緊張から解放されたような顔。


 ──反応閾値は、Aに到達。術式完了。



 優介は静かに息を吐いた。

 ここまで来れば、ある程度の暗示にも耐えられる。必要なのは、慎重さと明確な指示だ。


「芹香、俺の声が聞こえているか?」


 こくん、とゆっくり頷く。


「これから、ちょっとしたお願いをする。怖いことじゃない。お前の部屋の金庫、覚えてるな?」


 再び、小さく頷く。


「その中に、スライド扉があったはずだ。普段は気づかないくらい、目立たない仕掛けだ。……わかるか?」


 数秒の間ののち、芹香は確信を持つようにうなずいた。


「そうだ。今から、そこを開けて、中にあるものを取り出してくれ。右手で、ゆっくりと」


 言葉に合わせるように、芹香の体がゆっくりと動く。

 催眠下でも動作にぎこちなさはなく、むしろ余計な迷いが抜けているぶん、滑らかだった。


 彼女の指先が金庫の奥の仕掛けに触れ、わずかな機械音とともに、壁の一部がスライドした。

 その中から、彼女は慎重に、透明のケースに収められた“半貨”を取り出す。


「……それ、俺に渡してくれ」


 優介が静かに言うと、芹香はためらいなく手を伸ばし、白金の半貨を彼に差し出した。


 受け取った瞬間、優介はその形状を確かめて、ほんのわずかに息を吐いた。

 右側の半貨だった。自分の持つ左側と、ぴたりと噛み合う形だ。


「……これで、1枚になる」


 優介はポケットから自分の半貨を取り出し、芹香の半貨と合わせる。

 完全な円が形を成し、中央の文様が一続きになったことを確認すると、再び芹香の手に戻した。


「……これ、元の場所に戻してくれ。そして、このことは全部忘れていい。ただし──」


 優介は少し声を落とし、慎重に言葉を繋げた。


「明日の夜、21時ちょうどに、思い出してほしい。それまでの間は、何も気にしなくていい。いいな?」


 芹香の意識に、そのまま深く染み込むように、優介は念を込めて暗示をかけた。

 言葉の一つひとつを丁寧に、静かに、心の奥に沈めていく。


「忘れていい。今のことは、全部しまっておく。明日の21時になったら──自然に、全部思い出す」


 芹香は、何の抵抗も見せず、静かにうなずいた。

【獲得称号】

水島芹香:操られし者 ← NEW

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