あり得ない
【称号】
二条院優介:セクハラたらし大魔神
京山緑:優介の理解者
優介の部屋に倒れ込むように戻ってきたふたりは、しばらくのあいだ、声も出せずに沈黙を保っていた。
重く沈んだ空気が、言葉を押し殺している。何かを言おうとして、けれど声にはならず、喉の奥で言葉が霧散する。呼吸は浅く、心音だけが耳の内側で響いていた。
どれくらい経ったのか。ようやく鼓動が落ち着きを取り戻し始めたころ、緑がぽつりと口を開いた。
「……私、もう二度とホラー映画見れないわ」
その声には、乾いた震えが残っていた。
優介はわずかに目を細めて、息をつく。
「安心しろ。俺もだ」
ほんの少しだけ、空気が緩む。
優介の声を聞いて、緑は少しだけ心が安らいだ気がした。
「……今日ほど、自分の記憶力が恨めしくなった日はないわよ」
緑が、皮肉めいた口調で言う。
優介も、どこか虚ろな笑みを浮かべて応じた。
「それは…心底同情する。……俺はもう、医学の概念が頭の中で壊れたぞ」
静かな間。
再び、緑の視線が揺れる。
「……一体、なんだったの? あれ」
その問いに、優介はただ首を横に振った。
「わからない。ただ――はっきりしてるのは、“あり得ない”ってことだけだ」
理屈じゃない。生物学でも、化学でも、常識でも届かない。
この世界のどこにも属していない“何か”だった。
「アンデッドとか、ゾンビって……火が弱点なんだっけ?」
緑の声に、わずかな震えと冗談めいた響きが混じる。優介も応じるように肩をすくめた。
「あとヘッドショット、な。でも……この館の中で火気は勘弁してくれ」
ふたりの間に、ようやく“会話”が戻ってきた。
「……とにかく、これは一旦保留にしましょう。ちょっと、もう一度あの部屋に近づくのは……私は遠慮したいわ」
「お前の部屋の隣だけどな」
「ご希望なら、いつでも部屋交換してあげるけど?」
緑がジト目で優介を睨む。
それを受け流すように、優介は小さく笑った。
「幸い、小江さんの部屋の鍵だけは回収できたわ。もう少しだけ落ち着いたら、中を確認しましょう」
そう言って、緑はそっと鍵をテーブルに置く。
「……先に食堂、行かない? 奢ってくれるって言ったわよね?」
「覚えてたのか」
「一度見聞きしたことは忘れないって、言ってるでしょ。あの部屋に近づきたくないのよ……察してくれる?」
言葉とは裏腹に、緑の表情にはようやくほんの少しの色が戻っていた。
「ごちそうさま」
緑の声が、空になったトレイの上にぽとりと落ちた。
その言葉に優介も黙って頷き、手元のスプーンを静かにトレイへ戻す。
食堂には、まだ朝の残り香のような空気が漂っていた。
だが二人の間には、先ほど七番の部屋で触れた”何か”の気配が、いまだうっすらと貼りついたままだ。
音を立てずに椅子を引いて立ち上がった緑が、ふう、と小さく息を吐いた。
「……少しは、マシになったかも」
その言葉の端には、震えとともに、どこか”平常”へ戻ろうとする意志が感じられた。
心の底に沈殿した何かを、それでも受け入れて前に進もうとする、幼くも強い意思。
「……そうだな」
優介は短く返し、空の弁当箱を緑の分とまとめてダストシュートに持っていく。
手元の動作は普段通りのはずなのに、なぜか少しだけ力が入っていた。
二人の間に、言葉はしばらく降りてこなかった。
やがて、その沈黙を破るように、緑が両手で頬をパンと叩いて言った。
「……行こう。小江さんの部屋」
優介が、わずかに目を細めて彼女を見た。
「大丈夫か?」
緑は無言で頷いた。顔色はまだ完全には戻っていない。
だが、その目だけははっきりと前を向いていた。
「ほら。さっき言ってたでしょ? 箱を開けたかもしれないって。だったら、見に行かないと」
「わかった。」
【獲得称号】
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