氷の女
【称号】
二条院優介:泣きつき依頼人
竜堂晃:優介狙い
誰からともなく立ち上がり、それぞれの部屋へと戻っていく気配が広がっていく。表情には疲労と困惑がにじんでいたが、それを口にする者はいなかった。
“日常に戻る”――佐伯はそう言った。けれど、それがどれだけ困難なことかは、誰もが心のどこかでわかっていた。
優介もまた、その場に残りながら深く息を吐く。
自然と目線が、部屋の隅――無言で席を立とうとしていた一人の少女に向かう。
長月紅葉。
自己紹介の場にも姿を見せず、ついさっき初めて顔を合わせたばかりの相手。彼女はあの話し合いの最中、ただ一言も発さず、周囲とも距離を取ったままだった。
――せっかくの機会だ。
いまを逃せば、次にいつ話しかけられるかわからない。
考えながら、優介は小さく息を吸い、意を決して一歩踏み出した。紅葉の背が、ちょうど食堂の出入り口に差しかかっていた。
「……なあ、ちょっといいか?」
その声が届くかどうかの間合いで、優介は静かに呼びかけた。優介は数歩だけ紅葉に近づいた。
話しかけられた紅葉は、振り向きもせず足だけ止め
る。
「……さっきの話、どう思った?」
穏やかに、できるだけ警戒心を与えないように声をかける。
紅葉は、すぐに答えなかった。
微かに背中から立ち上った氷のような気配を見て、優介は立ち竦む。
「殺人犯がこの中にいようと、いまいとーー」
その声は冷たく、澄んでいた。
水面に氷が張る瞬間のような、どこまでも無感情な響きだった。
「――私には関係ないわ」
まるで、自分を含めたこの空間のすべてを、どこか他人事として切り離すように。
その無機質な言葉に、優介はほんの僅かに眉を動かした。
(……なるほど。これは、相当手強いな)
感情を探る糸口すら与えない態度。
話す言葉も、視線の動きも、まるで感情の温度を封じ込めた氷のようだ。
「……そんなことを言っても、今後もああいうことが起こるかもしれない」
その言葉に、紅葉の身体がほんのわずかに動く。振り返ったのは半ばだけ。優介に視線を送る横顔には、かすかに眉が寄っていた。
「それが何?」
声の温度は最初から最後まで一定だった。冷たく、張り詰めている。
「私には関係ないって、言ったでしょう。これ以上、話しても無駄よ。」
その明確な拒絶に、優介はそれ以上の言葉を飲み込んだ。
(……とりつく島もない、か)
これ以上踏み込んでも、返事が戻ってくることはないだろうと悟る。
話を切り上げた紅葉は、それきり一度も優介を見ることなく去っていった。
優介は肩の力を抜くように小さく息を吐き、びくともしない氷の壁のような相手に当たった疲労感を、顔に出さぬまま歩き出す。
――その背後から、軽やかな声が飛んできた。
「いやあ、冷たくされてたなあ。泣かないでね、優介さん?」
振り返ると、そこには晃がいつも通りの調子で立っていた。目元に笑みを湛えたまま、まるで今のやりとりを全部見ていたかのように、からかうような口調で続ける。
「僕は最初の一言で心折れたんだけどね。さすが優介さん、メンタル強いよ。」
その朗らかさに、優介はふっと小さく笑った。さっきまでの冷気のような空気が、少しだけ緩んだような気がした。
「……見てたのか?」
「見てた見てた。僕も最初に会った時声をかけたんだ。“不安ですよね”ってさ。そしたら即、“別に”ってピシャリ。氷水かけられたみたいだったよ。」
そう言って、晃は小さく笑った。茶化すような空気の中に、どこかしら本音の成分が滲んでいる。
「まぁ、あの感じだと、誰が行っても同じ反応だと思う。優介さんがどうこうってわけじゃないよ」
優介は軽く肩をすくめた。
「てわけで、紅葉さんをナンパするのは諦めて、僕と遊ぼうよ」
晃はわざとらしく目を伏せ、艶っぽく微笑むと、すっと距離を詰めて肩越しに身を寄せてきた。優介は思わず顔をしかめ、反射的にその身体をべりっと引き剥がす。
ちょっと思っていたより力が入ってしまった。
「……お前はずいぶん落ち着いてるな」
優介が呆れたように言うと、晃は肩をすくめ、どこ吹く風といった顔で小さく笑った。
「佐伯さんも言ってたじゃない? 日常を続けようって。優介さんは違う意見?」
問いかける声に、からかいの色はなく、むしろ、ごく自然な調子だった。
「……いや、反対ではないが。まあ、お前の言う通りか」
優介は目を細め、視線をテーブルに落とす。
落ち着いているように見えて、内心では静かに波が立っていた。
――だが、いくつか気になることがあるのも事実だ。
部屋で発見された死体。首筋の深い裂傷。乾ききった血痕。死後数日は経過している。
それが意味するものは、あまりにも重い。
この空間が、ただの“閉じ込められた館”では済まないこと。
そして――誰かが、確実に人を殺したという事実。
“日常を続ける”。その言葉には一理ある。混乱を抑え、暴発を防ぐためには必要な判断だ。
だが、自分にとってそれは“受け入れる”という意味ではない。
ここでの暮らしを日常として馴染ませることが目的じゃない。
帰ること――それが、唯一の目的だ。
本格的に銀貨が無くなる前に……誰かが生き残るために他人を犠牲にしようと考え出す前に。
何かしらの突破口を見つけなければならない。
優介はそっと息を吐いた。
吐き出した息に、自分でも気づかないほどの焦りがにじんでいた。
【獲得称号】
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