知らない天井
「……知らない天井だ。」
まるでお約束みたいに、自然とそんな言葉が漏れた。
ぼんやりと天井を見つめながら、状況を整理しようとする。だが、思い出せるのは自分の名前と断片的な日常だけで──気がつけば、俺はここにいた。
「……もしかして、流行りの異世界転生……?」
半分ふざけて、ぽつりと呟く。
「ステータスオープン。」
右手を掲げ、軽く唱えてみたが──当然、何も起きない。
「……そんなわけないか。」
苦笑しながら上半身を起こし、改めて室内を見渡す。
白を基調とした落ち着いた洋室。ベッド、テーブル、椅子、チェスト。どれも質の良いものに見える。
部屋のドアには「5」と数字がプレートで掲げられていた。壁掛けの時計を見れば、秒針がしっかりと動いている。どうやら世界は止まっていないらしい。
「……まずは、ここがどこなのか確認するしかないか。」
室内には説明書きも、案内も、見知らぬメッセージも何一つない。まるで、突然ここで目を覚ますことが当たり前かのように、ただ生活環境だけが整っていた。
薄ら寒い静けさの中で、俺はゆっくりとベッドから足を下ろした。
机の引き出しを開けてみた。中には小さな鍵が入っていた。
「これ、もしかして……」
室内を見渡すと、壁の一角に金庫らしきものを発見した。
さっきまでまったく気付かなかったのは、微妙に壁の色と同化していたからだ。鍵穴の形状は、手にした鍵とぴったり合いそうだ。
試しに差し込んで、ゆっくり回す。カチリと音を立てて、金庫の扉が開いた。
中には三種類の貨幣が、それぞれ仕切られて、きちんと並んでいた。
金貨、銀貨、銅貨。
「……ファンタジー世界でよく見るやつ……だよな?」
思わず手に取って確かめる。どれも本物らしく、ずしりとした重みが手に伝わる。妙にリアルだ。一瞬、これをポケットに入れておこうかとも思ったが、どう考えても後々トラブルのもとになりそうだったので、一旦元に戻すことにした。
その下には、もう一つの鍵が入っていた。
これは──どうやら、部屋のドアの鍵かもしれない。
「……なるほど。じゃあ、部屋の外にも出られるってことか。」
とりあえず、落ち着け。
まだ、もう少しこの部屋を見ておくべきだ。
金庫を閉め、さらに室内をくまなく見回す。
クローゼットを開けると、中には数日分と思しき着替えと、洗面用具などのアメニティがきっちりと揃っていた。どれも新品で、サイズもまるで測ったかのようにぴったりだ。
「……誰が用意したんだよ、これ。」
思わず口をついて出た疑問に、もちろん返事はない。だが、あまりに整いすぎたこの環境が、逆に不気味さを増していた。
サイドテーブル、ベッド下、棚の隙間まで念入りに確認してみたが、これといって目新しい情報は見つからなかった。
次に、バスルームらしきスペースの扉を開ける。案の定、シャワー付きの洗面スペースがあり、タオルや歯ブラシなども綺麗に並べられている。無機質なほど整った生活空間だ。
「……監禁って感じでもないし、かといって歓迎されてる雰囲気でもないな。」
落ち着いているようで、どこか胸の奥がざわついている。
自分の意思とは無関係にここへ連れてこられた。それなのに、あまりに日常的な物ばかりが揃っていて、逆に違和感が拭えない。
部屋の中はもう十分に確認した。ただ、それでもまだ、何か見落としている気がして──しばらく俺は、室内を行ったり来たりしていた。
部屋を一通り見て回ったつもりだったが、ベッドの陰になっていた一角で、明らかに異質なものを見つけた。
「……いや、これは……どう見ても……」
三つ並んだ木製の箱。
金色の縁取りに、大げさなくらいの錠前付き。どこからどう見ても宝箱だった。
現実離れしたその佇まいに、思わず目を瞬かせる。
いや、もうちょっとさりげなくできなかったのか、これ。
一つずつの箱には、丁寧に描かれた絵が貼り付けられている。
それぞれ、コインが一枚、二枚、三枚。
さらに、箱の上部には、コインが差し込めそうな小さなスリット。
どう見ても「ここにコインを入れてね」と言わんばかりの作りだ。
「……本当に異世界に来たのか?」
静かに呟いて、自分の手を見下ろす。
鏡の前に立っても確認した。
別に若返ってもいなければ、別人にもなっていない。
黒髪、黒目。二十三歳。記憶の中の自分は寸分違わない。
……ステータスオープンも、出なかったし。
『異世界転生テンプレ』にはありがちな、特殊能力も、スキルも、チートも、与えられた形跡はない。
「これ……まさか、異世界ハードモードタイプか……?」
思わずこぼれた言葉に、誰が返すでもなく沈黙だけが落ちる。
目の前の宝箱と、さっき金庫で見つけた金貨・銀貨・銅貨。
きっと、何か関係はあるんだろう。
でも――今は、それを考えるより、優先すべきことがある。
ここがどこなのか、どういう状況なのか、何をすればいいのか。
生き残るために、まず知るべきことが、他にあるはずだ。
俺は宝箱に背を向けて、ドアの方へ視線を向けた。
この異質な空間で、俺は一体、何を求められているんだろう。
……いや、まだ考えるのは早いか。
とにかく、一歩踏み出してみるしかない。
【獲得称号】
二条院優介:ステータス開かない男 ←NEW