検証班のお仕事・上(初崎嘉豆希)
【連続投稿 1/2】
その日、初崎嘉豆希1等陸士は休日ということもあり、多くの隊員と同様、宿舎のベッドでゆっくりとしていた。
彼の休日の過ごし方はいつも同じだ。
眼鏡を外し、耳にイヤホンを填め、携帯機型のゲームを起動してごろ寝で遊ぶ。
強いて人と違うところを挙げるとするならば、彼はゲームの中でも取り分け収集要素があるものを好んでいた。モンスター図鑑があるなら全て埋めるまでラスボスは放置するし、実績やトロフィーがあるならコンプリートすることに血道を上げる。
夜な夜な通帳の残高を眺めて悦に浸る人間がいるように、初崎はクリア率が100%に到達したゲーム画面を見てうっとりするような男だった。
だからこの日も、ラストダンジョンで待ち構える宿敵のことは完全に忘却し、ひたすら雑魚モンスターを倒してレアドロップ獲得耐久に勤しんでいたのだが――
「ダンジョンに異変発生……ですと?」
優雅な休日は突如、終わりを告げた。
東京摩天楼――日本が保有するダンジョンの一つへ向かうよう、緊急命令が下されたのである。
基本的に、ほとんどの自衛隊員はダンジョンと関わりなく生活している。
はじめの頃はダンジョンからモンスターが溢れてくるのではないか、という懸念もあって、多くの人員が天高く聳え立つ塔の監視に動員された。未だその懸念が晴れたわけではないが、世界を見回してもそんな災害は起きていない。
結果、だんだんと人が減らされていき……。
今では守衛として数人が交代で派遣される程度に留まっている。
彼らの仕事はダンジョンというより、もっぱら探索者たちの相手をすることにあった。探索者ライセンスの有無を確認し、怪しいものを持っていないかチェックするのだ。
少し前に起きた「大阪朱雀城立て籠もり事件」のように火器を持ち込もうとする人間がいるかもしれないし、過去には“ハムスター”を隠し持っていた人間もいた。何でも、片時も離れられないほどに大切なペットだったらしい。
しかし犬でも猫でも何でも侵入を許してしまえば、どんなイレギュラーが起こるか分からない。当然、丁重にお帰りいただくこととなった。
閑話休題。
つまるところ、自身が勤務する駐屯地の管轄内にダンジョンでもない限り、仕事として接する機会もないということだ。
ただしごく一部、ダンジョンと密接に関わる部隊も存在している。
その代表例にして花形が「攻略班」だ。黎明期、まずダンジョンを調査したのが自衛隊であったことから、そのまま引き続き調査が継続され、やがてそれはダンジョンの“攻略”という形へ変遷していった。
特に「東京摩天楼第一攻略班」通称「イチ攻」は有名で、巷では、彼らに憧れて自衛隊を志す人間も増えていた。もっとも、そのほとんどは理想と現実の乖離に苦しみ、すぐに脱落していくのだが。
そして初崎もまた、そんなダンジョンと関わる数少ない自衛官の一人だ。
ただし攻略班を“光”とするなら、彼は“影”の存在と言っていい。
休日であっても制服で過ごすことが基本であるため、着替えの必要もなく、初崎をはじめとした班員たちは即座に集合を果たして、一路、車上の人となる。
時間を惜しむように車内で作戦会議が開始されていた。
「既に通達した通り、東京摩天楼で大規模な植生変化が見られました。第一層、第二層、第三層……確認できる限り二十以下の階層において、濃緑色の草が生い茂る異常事態が起きています。昨日まで何も生えていなかったようなところにも」
穏やかな口調で淡々と説明する班長の顔を誰もが真剣な眼で見守っている。
「現在、情報が錯綜していますが、この異常はどうも東京摩天楼に限らず、他のダンジョンでも同じようです。そして問題は、その草の中に“アタリ”があるということ。もちろん急激な環境変動も気になりますが、今回の任務は――抜いた途端、周囲一円にいた探索者たちを総じて気絶せしめたという新種の“植物型モンスター”の解明にあります」
普通、未知のものに対して人は警戒を抱く。
本来無いはずのものがそこにあった時、大部分の人間は近づかず遠巻きに見守る。しかし探索者というのは初心者を除き、大なり小なりタガが外れた者ばかりだ。喜び勇んで、とまでは言わないが、警戒していてなお触れに行く蛮勇さを持つ。
あるいはそれは、何度でもリトライ出来る安心感から来ているのかもしれない。
ともかく、犠牲者のおかげで僅かに情報が得られたのは僥倖だった。
細い糸を手繰り寄せ、初崎が言う。
「……まるで“マンドラゴラ”のようですな」
マンドラゴラ、あるいはマンドレイク。古来から薬草として用いられてきた植物で、根に神経毒を持つ。その性質からいくつかの伝説を持ち、果てはファンタジーの文脈に登場するまでとなった。
同じ感想を抱いたらしく、初崎以外の班員たちも頷く。
「ああ……。抜いたら悲鳴をあげるっていう、あの」
「即死じゃなくて気絶、か」
「ダンジョン内で気を失ったら、それはもう死ぬようなもんだぜ?」
「確かになぁ」
ここでマンドラゴラとは何ぞや、と聞き返すような班員がいないのは、誰もが空想に対して浅からぬ造詣を持っているからだ。
そも、そうでなければこの部隊は勤まらない。
「今回の調査ではイチ攻が護衛につきます。ですので、安心して任務に当たってください。戦闘はかれらに任せ、私たちはいつも通り地道な作業に邁進しましょう。いいですね?」
「班長」
「なんでしょう」
「電波が通じる今のうちに“調べもの”をしておきたいのですが、いいですかな」
初崎が隊服のポケットからスマートフォンを取り出す。通常、自衛官は機密情報の漏洩防止やセキュリティの関係から、携帯電話に使用制限がかけられている。まして会議中に操作するなど、もってのほかだ。
「ええ、もちろん」
しかし班長は穏やかに笑った。
あたかも当然であるかのように自然と、躊躇いもなく。
何故ならば――
「それが私たち“検証班”のお仕事ですから」
――かれら「日本国迷宮調査隊」の勤務内容は。
常日頃ダンジョンに集積された、ありとあらゆる情報の正誤を地道に、辛抱強く確かめていく裏方作業にあったからだ。
配信もつけず、ひたすら虚空に向かってスキルを放ったり、何度も何度も同じモンスターを倒してはドロップ内容の確認をしたり、新種の職業が見つかったと聞けば飛んで取材にいく。
ゆえに誰が呼んだか、検証班。
時折「公式wiki」とも呼ばれる探索者協会のデータベースは、かれらの努力によって更新され、その精度を保っているのだ。
今やなくてはならない集合知の土台。
それを支えているのが実は自衛隊の一部隊であることを、あまり知る者はいない。