既知との遭遇・下(千導満)
分隊は再び塔の中を進んでいた。
分岐路が多く、途中から地図を描きながらの行軍となったため進みは遅い。
ここにゴブリンたちとの戦闘も加わって、部隊全体に疲労の影が落ちつつあった。
これまでにドロップしたものは翡翠色の小石と、ゴブリンたちが持っていた使い古しの武器だけだ。ぼろぼろの装備品など自前の物があるから拾う必要もない。数本サンプルとして持ち帰る以外は全て放棄し、背嚢の中に小石ばかりが貯まっていく。
時折休憩も取りながら三時間、黙々と歩き続ける。
そろそろ撤退の判断をするべきかと小手瓦が考えた時だった。
彼らの行く手に大きな石造りの扉が見えてきたのは。
「総員、停止!」
薄暗い洞窟の中に現れた明らかな人工物。
両開きか片開きか、二枚扉で苔生している。
これまでになかった異常を前に緊迫感が漂う。
「……千導、どう見る」
道中、千導の仮説は外れることもあったが概ね正解を引いていた。
その経験から小手瓦が「あれはなんだ」と尋ねてくる。
(あれってたぶん『ボス部屋』だよな……)
いかにも重厚そうな雰囲気を漂わせている扉だ。
開けたら何もありませんでした、ということはないだろう。
「そうですね、恐らくは――」
言いかけて、千導ははたと口を閉じた。
もしここで素直にボス部屋――扉の先に強力なモンスターが待ち受けているかもしれない、と伝えたらどうなるか。おそらく隊長は撤退を選ぶだろう。ここまでに得た情報を持ち帰るため。
自分たち以外にもこの塔を探索している隊が三つある。
痕跡がないから、彼らはまだこの場所にたどり着けていないに違いない。
あるいはもう撤退したか。
(俺たちが一番乗り……。もし『ファーストボーナス』があったら?)
ふと、千導の心に暗い考えが忍び寄る。
彼の知識では、こういうダンジョンで初めてボスを倒すと特別な報酬がもらえる可能性があった。もちろん創作の中の話であって、現実じゃない。だが現実とは思えないことばかりが起きているのも事実だ。
このまま帰っても自分が明日の朝刊を飾ることはないだろう。
名前は出るかもしれないが、しがない隊員Aとして埋もれていく。
かつて、何度も夢想した物語の主人公。
特別な出会いや運命に翻弄されながらもハッピーエンドを掴み取る彼や彼女らに。
近づくことができるんじゃないか。
「――宝の間、かもしれません。何か貴重なものが見つかるかも」
気がつけば千導の口から嘘が零れ出ていた。
そうだ、この仮説だって間違いじゃない。
宝箱が置かれた部屋というのもよくあるパターンだ。
そう自分に言い聞かせて。
――千導満は本来、慎重な男だ。
トークアプリの連絡先を交換しようといわれても、まず断る。
知らない電話番号から電話がかかってきても絶対に出ない。
株が儲かるといわれても何のかんのと理由をつけては動かない。
美味しくなってリニューアルと書かれた商品があったら、すぐカゴに入れず裏返して内容量が減っていないかチェックする。
それなのにこの時ばかりは密かに夢見ていたファンタジー世界の到来で、気が大きくなってしまっていた。
「……そうか、よし。お前らも聞いたな? これからあの場所を調べるぞ」
結果、部隊は進むことを選んだ。
安堵を顔に出さないようにしながら、千導は隊員たちの顔を見回す。
この分隊は隊長の小手瓦が〈拳闘士〉という職業で、〈戦士〉は千導を入れて二人いた。それから〈剣士〉が二人に〈槍士〉が一人だ。〈拳闘士〉はさておき〈戦士〉が他の職業とどう違うのか今のところわかっていないが、銃剣さえあれば誰でもゴブリンにダメージを与えることができていた。
普段から訓練を重ねている人間が六人もいるのだ。
ゴブリンより多少強い敵が出てきたところで負けることはないだろう。
(たぶん出てきてもホブゴブリンとか、その辺だろ)
と千導は皮算用していた。
「どうやら罠は見当たらないようだな」
念のための確認も終わり、隊員たちが協力して扉を開ける。
といっても、石造りの割には軽くて簡単に押すことができた。
扉の先は大きな広間になっていた。
恐る恐る部隊が中へ足を踏み入れてゆき、最後の一人も広間に入ったところで――
壁に吊るされた篝火が一斉に点火する。
さらに、入り口の扉がひとりでに閉じてしまった。
「閉じ込められた!?」
「火が勝手に……!」
「落ち着け! まずは状況を確認しろ!」
小手瓦隊長が慌てて声を張り上げた直後。
広間の中央で光の奔流が巻き起こった。
細い光の糸を編みあげるように何かが形を作っていく。
やがてそこに現れたのは――
「ゴブリン……?」
「いや、それにしては大きい」
ゴブリンは個体差があったがどれも身長120cm程度だった。
だが目の前に現れた異形は160cmくらいある。緑の肌、小さい角、濁った瞳はゴブリンと同じだが、皮鎧と兜をまとい戦士の貫録を感じさせた。
いうなれば「ゴブリンウォーリアー」というところか。
彼は千導たちを睥睨したのち、腰の剣を抜き放つ。
そして開戦の雄叫びを上げた。
「グラアアアアアアァ!」
びりびりと耳朶を震わす大音声。
思わず身を竦ませる隊員たちの前に小手瓦が踊り出る。
「構えろ! 相手は一人だ、囲んで叩くぞ! 久良木、お前は扉を見てこい!」
そう叫んで駆けていく背中に誰もが我を取り戻した。
隊長に一歩遅れる形で千導たちも着いていく。唯一、久良木2等陸士だけは命令に従って扉の方へ踵を返した。
一方のゴブリンウォーリアーは鷹揚に構えて挑戦者たちを待つ。
「先手必勝!」
はじめに仕掛けたのは〈拳闘士〉の小手瓦だった。
無手で相手の間合いへ入っていく。
対してゴブリンウォーリアーが選択したのは腰だめからの斬り上げ。
道中のゴブリンたちと比べ物にならない速さだ。
しかし小手瓦は体を少し後ろに反らすことでいなしてしまう。
「っと、当たるかよぉ!」
「グァッ!?」
さらにカウンターまで繰り出していた。
捻じった体を巻き戻す勢いで放たれた右の拳が顔面に突き刺さる。
ちょうど兜から露出している場所を狙った正確な攻撃だ。
これにはたまらずゴブリンウォーリアーもうめき声を上げていた。
だが――
「効いていないだと……?」
小手瓦の拳撃は傷を負わせるに至らなかった。
無傷とはいわない。
ゴブリンウォーリアーの顔が僅かに赤くなっている。ただそれだけだ。
「続けぇえええ!」
「しゃあっ!」
「死ねぇ!」
「キェアアアア!」
短い攻防の間にゴブリンウォーリアーを囲んでいた隊員たち。
彼らも隊長に続いて攻撃を試みる。
しかし斬撃は皮膚の表面を切り裂くだけに留まり、突き出した刃は切っ先が刺さるだけに終わってしまった。
「……!?」
鎧に阻まれたわけではない。
関節部や露出面を狙ったにも関わらず、小さなダメージしか与えられなかったのだ。
「――隊長っ、駄目です! 開きません!」
そこへ追い打ちのように悪い知らせが重なる。
入り口の扉を調べにいった久良木の言葉だった。その報告で、彼らは自分たちがこの部屋に閉じ込められてしまったことを知る。
その事実に気を取られた、というのもあるだろう。
ゴブリンウォーリアーの持つ剣が青く光り――
気がついた時には包囲網を斬り払うように、青い残光が閃いていた。
「え」
と間の抜けた声があがる。
思わず千導は声の方向に目をやってしまった。
仲間が一人、胸をばっさり切られて、きょとんとしている。
彼はまだ自分に何が起きたか理解できていなかった。
しかし周囲の視線に気づいて、胸元を見下ろした瞬間、
「あ、れ――」
その隊員はポリゴンになって弾けた。
真ん中で断ち切られた小銃が地面に落ちる。
少し遅れて、ゴトンという音。
それを手に持っていた人間は嘘のように消えてしまった。
すぐ隣にいた仲間が消失するという事態に、千導の頭がフリーズする。
(――は? え、死?)
その現象はゴブリンを倒した時のものと似ていた。
倒した敵がポリゴンになって弾け飛ぶ、ゲーム的な演出だ。
そこから導かれる結論は彼にとって到底受け入れがたいものだった。
「谷部先輩……?」
「下がれッ! もう一発来るぞ!!」
再び、青い閃光が走る。
呆然としていた千導がそれに巻き込まれなかったのは小手瓦のお陰だった。
襟首をつかまれて地面に引き倒される。おかげでゴブリンウォーリアーの剣は直前まで彼の頭があった場所を通過していった。
「ぎゃっ」
「うぁ……!?」
しかし、代わりにまた二人の隊員が犠牲になる。
一人は剣を打ち合わせようとして銃剣ごと斬り捨てられ。
もう一人は尻もちをついたところを問答無用で襲われ。
先の仲間と同様ポリゴンになって消えてしまった。
「うわああぁああぁあ!?」
あまりにも一方的な虐殺撃。
久良木は離れた場所にいたため、その一部始終を目撃してしまった。
ゆえに狂乱の声をあげてしまう。
「あ、開け、あかっ、あけけけ」
狂ったように石造りの扉をこじ開けようとするが、びくともしない。
ゴブリンウォーリアーは哀れな人間に一瞥をくれると、無造作に剣を投げた。
「出してく――――れ?」
ぞぶり。久良木の胸から剣が生えてくる。
背中から突き刺され、まるで標本のように扉へ縫い付けられたのち、彼もポリゴンとなって弾けとんでしまった。
重たい沈黙が場を支配する。
声を出したものから殺されてしまう。
そんな風に思うくらいに。
ゴブリンウォーリアーが剣を回収するため歩き出す。
いかにも隙だらけの背中だ。
しかし残された小手瓦と千導は動くことができずにいた。
「くそっ、なんだあの化け物は……。おい千導、あいつに弱点とかないのか?」
「……俺のせいだ」
「千導?」
回避可能な悲劇だった。少なくとも千導はこの部屋が強力な敵の待つ『ボス部屋』であると予測していたから。確証はなくとも可能性を伝えることくらいできたはずだ。
それなのに報告を怠ったのは幼稚な英雄願望がゆえ。
「こんな、こんなつもりじゃなかったんです……俺……俺……」
言い訳は、千導の口からうわ言のように漏れ出てきた。
こんなはずじゃなかった。
自分には特別な力があるなんて勘違いしていたわけじゃない。
でも、もっと上手くやれると思っていた。
柄にもなく欲をかいて、危険を冒して、その結果がこれか?
千導は理解した。自分は主人公でもヒーローなんかでもない。
ただのモブだ。
物語の序盤で怪物に殺されて、悲劇の第一号になるちょっとだけ有名なモブだ。
それ以上でも以下でもなかった。
死への恐怖と突き付けられた事実に視界が滲む。
「何だか知らんが、俺はこのまま死んでやるつもりはない」
「でも……」
「いいか、反省も後悔も全部後回しにすんだよ。ここで俺たちが死んだらあいつらはみんな犬死だ。もしあんな化け物が他にもいて、外に出てきたらどうなる? 日本はおしまいだぞ。誰かがアレの情報を持って帰らなくちゃならねぇ……!」
小手瓦の目は怒りに燃えていた。
同じ釜の飯を食ってきた仲間が目の前で殺されたのだ。
到底許せるはずもなく、それでも冷静になろうと努めている。
「俺がアイツの注意を引きつける。だから、考えるのはお前に任せた」
未だ立ち上がれない千導を尻目に、小手瓦が一歩踏み出していく。
ゴブリンウォーリアーは既に剣を回収して、構えをとっていた。
絶望の第二ラウンドが幕を開ける。
「攻撃が効かないってんなら効くまでぶん殴ってやるよ!」
「ゴアアアアッ」
「その大振りはさっき見たなァ!」
ぽう、とゴブリンウォーリアーの剣が青く光る。
三度放たれた袈裟斬りを小手瓦は身をかがめて避けた。そのまま相手の胴体に渾身の掌打を打ち込む。衝撃でゴブリンウォーリアーの体が浮いた。だがそれだけだ。まったく致命傷には至らない。
お返しに必殺の青い剣が閃く。またも袈裟斬りだった。
「だからそれは見たっつってるだろ!」
「グゥッ」
途中までは先ほどの焼き直し。
違うのは小手瓦のカウンターがゴブリンウォーリアーの顎を掠めるような拳撃だったことだ。二足で歩いている以上、脳を揺さぶられれば倒れるに違いない。そう思っての一撃だったが、通用しなかった。
千導はその様子を、涙を拭い一挙手一投足見逃すまいと観察していた。
(あの技、軌道がずっと同じ……。もしかして『スキル』か?)
ゴブリンウォーリアーの剣が光ってから、振り上げ、振り下ろすまでの動作。
それが寸分違わず同じだということに気がつく。
小手瓦のように接近しているとわかりづらいかも知れないが、千導から見るとまるでゴブリンウォーリアーが剣に操られているように映った。
(根本的に火力が足りない。レベルか? だったらどうしようもないぞ……)
考える。言われた通り、後悔も反省も後にして。
とにかく活路を見出そうと思考し続ける。
(くそっ、あいつのスキルをこっちも使えれ……ば……?)
もしあの攻撃がゲームのように威力も動きも固定された技ならば。
「埒が明かねぇ!」
宣言通り、小手瓦は前線で耐え続けてくれている。
その隙をついて千導はゴブリンウォーリアーの後ろに回り込むと――
一気に飛びついて羽交い絞めの体勢に持ち込んだ。
「千導!?」
「グラアアアアアアッ!」
暴れる怪物を渾身の力で押さえつける。
やがて焦ったゴブリンウォーリアーは身を捩りながら剣を青く光らせたが。
「――使ったな?!」
必殺剣の前動作、それこそが千導の求めていたもの。
剣を持った手が上段へ移行するため跳ね上がろうとする。
その動作を後ろから押さえつける。
青光りする剣はカタカタと震えながら腕の中で静止していた。
「隊長、本当は俺ボスがいるかもってわかってたんです……。でも甘く見て、久良木さんも谷部先輩もみんなみんな殺してしまった。だから全部俺の責任です。これからやることも全部……!」
覚悟を決め、気炎を吐きながら。
千導はゴブリンウォーリアーの足に己の足をひっかける。
そして一気呵成に外へ払った。
必然的に片足立ちになった両者はバランスを崩して倒れこむ。
構えたままの剣の上へ折り重なるようにして。
「お、らああああああああぁ!」
「グギィ……!?」
神秘的な青い光を宿す剣。
突き立てられた刃に一人と一匹が貫かれる。
「ごぶっ」
――賭けだったのだ。
こちらの攻撃が通じないなら、相手の力を利用すればいい。
けれど攻撃を跳ね返すような都合の良い魔法は存在しない。
だから無理やり技の待機状態を作り出した。
放たれる前の、高威力状態で留まった剣を。
(あー……上手くいって……よかった……)
千導の下敷きになったゴブリンウォーリアー。そして体を貫いていた剣が光を失い、ポリゴンになって弾け飛ぶ。
「千導……お前……」
呆然とこちらを見下ろす小手瓦を視界に収めて千導は笑った。
自罰思考の果て。
こんなことで到底許されるはずもないけれど。
ちっぽけな達成感を胸に抱いて。
広間の真ん中に、ゴブリンウォーリアーが現れた時と同様に光が渦巻いて、今度は宝箱が現れる。それを見届けて、千導は意識を手放した。
ところが――
「あれ、お前もこっちに来ちゃったの?」
気がつけば彼の目の前に、殺されたはずの隊員たちが立っていた。
何故か皆、時代錯誤の貫頭衣を身に着けて。
「……は?」
一瞬、千導は自分があの世に来てしまったのだと考えた。
だがすぐ傍にそびえる塔と、その周りを囲う東京の街並みを見て、すぐ勘違いに気がついた。
「こ、これ――」
よく見れば自分もダサい貫頭衣をつけている。
千導が好きな小説風にいうと、装備を『全ロスト』したかのような状態だ。
点と点がつながっていく。即ち、
「死に戻りするタイプのダンジョンかよぉぉおおおお!」
千導満に、これから一生イジられるネタが出来てしまった瞬間だった。