天使さま、仲直りする
説明会のあと、俺は早速聞き取り調査を行った。すなわち、同族たちがどのダンジョンへ行きたいと考えているか、アンケートを取ったのだ。
結果、インドの「デリー大寺院」、エジプトの「スィフル・ピラミッド」、アメリカの「カロライナの大穴」、ギリシャの「天空神殿」の名前が挙がった。
今やダンジョンの数も千を超えるから、被りがないのは当然だが……。
パーティーも組まず、それぞれが好きな場所に行こうとするのは、とても個を重んじるハーヴェンらしいというか、なんというか。
ともかく行き先が決まった人間から、ゼル爺にお願いして、ダンジョン傍のセーフハウスに転送してもらった。まずは現地の生活に慣れることから。その間に、こちらでダンジョンへ挑むための手続き――日本なら探索者ライセンスの取得など――を進めていく。
普段、家事の全てをシルキーに丸投げしている神族さまが、果たして一人暮らしなんて出来るんだろうかという不安はある。いつでも相談してもらえるよう俺の連絡先は渡してあるけど、頼むからトイレが詰まったとかで呼び出さないでくれよ……。
まぁ、なるようになれだ。
そういうわけで、祭りの後となったロゼリア号にて。
「……で?」
俺はようやくハルから話を聞こうとしていた。
ちなみにゼル爺はダンジョンに蓄積されたデータが見たいと言い出したので、フクレを先導役にサーバールームへ行ってしまった。
「野暮用って一体なんなんですか。あなたもダンジョンに挑戦したい、というわけじゃないんですよね?」
「うんー。私はどうも、見ているだけの方が性に合ってるみたいなんだぁ。レグがつくったダンジョンは興味深いけど、自分で解くより、もっと面白い解法を見つけたしねぇ」
「え。なんですか、それ」
問うと、ハルは口元に袖を当てながら、くすくすと笑った。
「ないしょ」
昔から変わることのない笑い方。
まだ友達だと思っていた頃の、幼い記憶を彷彿とさせる。
「……自分で考えろ、と」
「うーん、そうだなぁ。教えてあげてもいいけれどー、ひとつ、勝負しようよ。それで私に勝てたら、答えを教える……っていうのでどうかなぁ」
「ハルが、私と? 勝負?」
「うん」
思わず目をぱちぱちさせる。
いかにも時間の無駄だと言いそうなのに、そんな提案をするなんて、と。
「……新しい実験か何かですか?」
「ひどいなぁ。私をなんだと思ってるのさー」
「いえ……その……」
むくれた真似をしてみせるハルに、ただただ戸惑う。
「なぁんてね。レグがそういう気持ちになるのも、よく分かるけどー……。ちょっとだけ付き合ってくれないかなぁ」
「……分かりました」
「よしきたぁ。それじゃあ、はい、これ」
ハルがハーヴェンお得意の次元収納術を発動して、何もない場所から箱を取り出す。少し厚みがある菓子箱くらいの大きさ。蓋の部分に立派な樹木が描かれている。
俺の記憶が正しければ、そのおもちゃの名前は。
「……ぐらぐらパニック?」
「そ。懐かしいでしょー」
ぐらぐらパニック。それは何てことない幼児用のテーブルゲームだ。
まるでロッキングチェアーのように揺れる霊樹を模したツリーに、順番交代で錘をかけていき、最終的にツリーを倒してしまった方が負けという単純明快なシロモノ。
昔々、ハルが天恵の儀を迎えるまでは、よくこういうアナログゲームで遊んでいた。その度、初心者狩りをしてはむくれさせていたっけ。確かに懐かしい。
けれど俺にとって、このゲームは転生後に刻まれた“傷”の一つでもある。
誰にも聞こえないほど小さな声で、ぽつりと呟く。
「今更、どうして」
ハーヴェン族は誰しも三歳を迎えると、天恵という名の焼き付けを受ける。一生かけても学びきれないほどの知識を、学習カプセルを使って脳に直接インストールするのだ。これによって、幼いながらに全知全能の神族が完成する。
ハルが天恵を授かる前夜、俺はこのテーブルゲームでハルをめっためたに打ち負かした。それで悔しくなったのか、また明日もやろうと約束させられたんだ。
ちょっと大人気なかったかな。次は手加減してやるか。なんて考えながら、次の日、ゲームの箱を抱えて訪ねた俺に、ハルはこう言った。
――そんなものより、心について考えたいなぁ。
いつものようなほやんとした顔に宿る瞳は、冷たくて。
たった一晩で別人に変わってしまった友を前に、返すべき言葉が見つからなかった。
あれから十五年。
置き去りにされた想い出が、あまりにも唐突に現れる。
あの時と配役を入れ替えて。
「やらないの?」
「っ、いいでしょう。その勝負、受けて立ちます」
「うんうん。やっぱりレグは、そうでなくっちゃー。はるばるここまで来て、断られたらどうしようかと思ったよぉ」
何だかよく分からないが、ゲームの誘いとあれば断る理由もない。
昔とった杵柄というやつだ。圧勝して何もかも聞き出してやる――と、思ったんだが。
「先攻後攻、どっちがいーい?」
「では、後攻で」
「おっけー。それじゃあ、私がまずダイスを振るねぇ」
このゲームには大・中・小、三種類の錘がある。それぞれ見た目通りの重さをしていて、プレイヤーは自分の手番にダイスを振ることで、出た目に描かれた種類の錘を手に取り、ツリーの枝にひっかけていかなければならない。
ダイスという運要素に左右されながら、ツリーにかかる重さを計算して倒壊を防ぐのが主な流れだ。
序盤はよほど偏らせない限り適当にかけても倒れないので、キャッチボールでもするように、手番がぐるぐると入れ替わっていく。
「…………」
気の置けない相手なら、こういう時、適当に雑談でもするんだろう。
だけど俺にはハルが喜ぶような話が浮かんでこなかった。気まずい気持ちのまま、黙々とゲームを進めていく。
やがてツリーが危険な角度に傾き始めた頃。
「あのね」
意外にも、ハルの方から口火を切ってきた。
俺を油断させるための作戦だろうか。そう思って顔を上げると、あくまでも揺れるツリーに目を向けたまま、ハルがぽつぽつと語りだす。
「私、レグに……どうしても謝りたいことがあるんだぁ」
「謝りたいこと?」
「うん。私ね、レグのこと友達だと思ってるよ。でもレグは……違うでしょ?」
「そ、んな、ことは……」
俺の手番が来る。動揺で錘を持つ手が震えた。
「ううん。別に怒ってるわけじゃないから、大丈夫だよー」
ふるふると首を振るハルの姿に、喉の奥が苦しくなる。
いつから見透かされていたのか。
「ちっちゃい頃はさ、レグが私を、いろーんなところに連れ出してくれたよねぇ。それから、こんな風にゲームをして遊んだ。もちろん、それは何も知らない子どもだったから。無知蒙昧で、何の意味も持たなかったから。でも、どうしてかなぁ。ただ、いたずらに時間を潰したあの頃が――何だか、とっても尊く思えるんだ」
また一つ、慎重に錘をかける。霊樹を模したツリーは今にも倒れそうなほど傾くが、ぎりぎりバランスを保っていた。
「私ねぇ、天恵を受けてすぐの頃の記憶が曖昧なんだぁ」
「え?」
自分の手番になってもハルはダイスを振らず、手の中で転がして遊ぶ。
「まるで森羅万象を知悉したかのような全能感。この世の果てまで手が届くような。けれどその中に、ただ一つ、どうしても分からない自分という存在。ただ焦がれるように、それを追い求め続ける。他のものが一切、どうでもよくなるくらいに」
俺が学習カプセルに入るのを嫌がったのは、ハルの変貌ぶりを見たからだ。
たった一夜にして“子ども”から“大人”へと心が入れ替わってしまったのではないか。そう恐れ慄いた。同時に、友達がいなくなってしまったとも。
「熱に浮かされ、夢でも見ていたような期間が過ぎて……。私が私として“安定”した時にはもう、レグが何だか遠くなっちゃってたあ」
かつてのハルなら、こんなに傾いたツリーを渡されたら絶対に倒していたはず。だが危なげなく錘を足して、俺に順番を回してくる。周到に計算しつくされ、おそらく後一手で倒壊する状態に調整して。
「いつも思いもよらない選択をして、先を行く自慢の友人。どうしてレグは、私を置いていっちゃったんだろうって、ずーっと考えてた。でも、違ったんだね。……レグを置き去りにしたのは、私の方だったんだねぇ」
「ハル……?」
「頑張って思い出したんだよ。もう、遅すぎるかもしれない。それでも、言わせて」
膝に手を置き、居住まいを正してハルが言う。
濃紺色の瞳が真っすぐ俺を見据えていた。
「――“また明日”って約束、破っちゃって……ごめんねぇ」
また明日も遊ぼうね。絶対だよ。
そう笑って角へ消えた友達は、もういなくなってしまったんだと思っていた。
どこを探しても、絶対に見つかりやしないんだと思っていた。
今、この瞬間。目の前で深々と頭を下げる幼馴染を見るまでは。
ハルは自分のせいだと言うけれど、諦めて、距離を取っていたのは俺も同じだ。これ以上傷つきたくないと、壁をつくって心を守った。もう友達と思われていないだろうと、聞きもせずに決めつけて。
じわりと視界が滲む。慌てて誤魔化すように立ち上がろうとして、
「……謝るのは私の方です。ハル、私も――――あっ!」
衝撃で、錘をいっぱいぶら下げたツリーがついに倒れてしまった。
ガシャン――と部品があちこちに散らばる。
「…………」
「あー……」
何となく気まずい沈黙が流れた後、ハルが頬に人差し指を当てながら、俺を見上げ、にこやかにこう言った。
「私の勝ちだねぇ。ぶい」
「いや、ちょ、待ってください! さすがにノーカンでしょう今のは!?」
「ううん、倒した方が負けってルールでしょー?」
「それは……そうなんですが……!」
完全にシリアスモードに入ってたじゃん! 勝負がうやむやになる感じの!
「わぁい。こういうので初めてレグに勝ったぁ」
「も、もう一回! もう一回やりましょう!」
「えー……」
「お願いしますっ、この通りです!」
ゲームというのは何でもそうだが、100回勝っても最後の1回に負けると全敗した気分になるんだ。
通算成績なんて関係ない。次また勝つまで、一生口の中が苦いままになる。
必死に頼み込む俺を見て、ハルは笑った。
いつもみたいに袖で口元を隠して、ころころと。
「それじゃあ、仲直りしてくれる?」
「仲直りも何も私たち喧嘩なんて……してなかった、とは言えないですけど……。あー、うー……ごほんっ。その、また私と。友達になって……くれますか?」
恥ずかしくて、そっぽを向きながら出した手を、ハルがぎゅっと握り返してくれる。
少し痛いくらいの握手だった。
「うんっ。もちろん!」
俺は本当に、いつも間違えてばかりだ。
その都度、道を教えてくれる人たちがいなかったら、今頃どこへ行っていただろう。
分からないけど――
「えへへー。また昔みたいに“レグにゃー”って呼んでいーい?」
「……それは嫌です」
「なんでぇ」
「友達をフルネームで呼ぶ人がありますか。第一、それじゃあなたも“ハルにゃー”ですよ。変でしょう」
「そうかなぁ……」
正しい道を歩けてなくたって、大丈夫だ。
一緒に歩いてくれる人がいる限り、きっと。
ほややんと笑う“友達”の顔を見て、俺はそう思うのだった。
「そうだ。ハル、お腹は空いてませんか? せっかくここまで来てくれたんですから、勝負が終わったらご飯を食べにいきましょう。行きつけの店があるんですよ」
一応、龍二にも教えてやらなきゃな。
お前以外にも、ちゃんと友達がいるんだぞって――
その後、昔と違って逆立ちしても勝てないほど強くなっていたハルに屈辱的な敗北を喫した俺は、龍二の店でやけ食いするハメになるのだった。
にしても、ハルの“野暮用”って結局何だったんだ……?