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ダンジョン「地球」の管理者は、人生二度目の天使さま。  作者: 伊里諏倫
間章

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師なるもの・下(園田寛治)

 園田寛治は小さな離島の出身だ。

 幼い頃から、厳しくも美しい日本海を見て育った。島にあるのは小中一貫校が一つだけ。必然的に中学を卒業してからは、本土にある全寮制の高校に進んだ。少し寂しくはあったが、週末になれば帰省も出来る。


 だから卒業するまでの辛抱だ。ここで学んだことが生かせるかは分からないが、卒業後は島に戻って家族を支えよう。

 そんな寛治の思いに、両親はノーを突き付けた。


 限界集落、果ては自然消滅しかないと言われる小さな島に息子を縛り付けてしまうことを、かれらは望まなかったのだ。人生の行く末を決めるには早すぎる。せめて大学までは進んでくれないか、と。


 その願いを聞き入れて、寛治は大阪の大学へ進学した。

 家族や島民に見送られ、何だかんだで新天地に胸を躍らせながら旅立ったのである。


 ところが、そうしてスタートした大学生活は順風満帆といかなかった。慣れない都会の暮らしに戸惑う面もあったが、何より、彼は同課の人間たちと反りが合わなかったのだ。

 価値観の違いが一番鮮明になったのは自己紹介の時。

 寛治が鞄につけていた“お守り”を指して、誰かが言った。



『なんかちょっと気味悪いね、それ。流行ってんの?』



 それは寛治の母と弟たちが夜なべして編んでくれた小さな人形だった。

 島の守り神を象ったものらしい。

 母が編んだところは綺麗で、弟たちが手を貸したところは糸がほつれ歪んでいる。総じて、ちょっと造詣の崩れた魚のようなそれ。


 寛治は一瞬、息が止まった。


 家族の思いが籠められた“お守り”を気味が悪いと形容され、何と返していいか分からなかった。だから曖昧に笑って答えたように思うが、あまりよく覚えていない。

 ノリが悪い奴だと判断された寛治は遠巻きにされ、全体の飲み会に呼ばれることはあっても、それ以外では声もかからない、空気のような存在になった。もっとも誘われたところで、ただ愛想笑いを返すしか出来なかっただろうが。


 毎日、授業とバイトに明け暮れる日々。

 一年が過ぎ、生活に余裕が出来てきたところで、今更部活やサークルに所属する気にもなれない。家族には「友達も出来て上手くやってるよ」とメッセージを送る度、己の虚栄心に呆れかえった。



 そんな折――突然、同級生からダンジョンに行かないかと誘われたのだ。



 ダンジョン。現代に生まれた空前絶後のファンタジー。

 ニュースで時々眺めるそれが、自分たちのお膝元に出来たことは、寛治ももちろん知っていた。ただ自分には関係のないものだと切り捨てていた。


 その考えは彼に限ったものじゃない。

 何か凄いところらしい。一回くらい見にいってみようか。精々その程度。何故なら、普通の人間はモンスターが闊歩する危険な空間を歩きたいと思わないからだ。ましてや戦うなんて論外も論外。平和な日本で暮らしていて、闘争心など育つはずもない。


 だから人が集まらなかったのだろう。

 それで補欠の寛治まで話が回ってきたのだ。


 当然、寛治だって断りたかった。だが持ち前の気弱さが顔を出し、頷いてしまった。割のいいバイトくらいにはなるらしい、というのも、ちょうど勤めていたバイト先が閉店してしまった彼には都合が良かった。


 結果、寛治は同級生たちと連れ立って――道中の空気は控え目にいって地獄だった――大阪朱雀城に挑み、数合わせ以上の結果を発揮することもなく、ただのスライムに怯えて初探索を終えた。

 風の噂で、かれらはその後も寛治を抜いたメンバーで集まり、ダンジョンへ挑戦しているらしいと聞いたが、それも納得の及び腰だった。


 そこで一旦、寛治の冒険は終わりを告げた。


 ただ、それからひと月がたった頃。

 たまたま講義が休みになって、下宿のテレビをつけた時。

 映し出された戦いに、寛治は目を奪われた。


 凶悪なドラゴンへ立ち向かっていく探索者たち。

 後で「禍つ星なる竜アリス・テスラ」というらしいことを知ったドラゴンとの戦いは、彼の胸に一つの想いを生み出した。



 ――自分もあんな風になりたい。



 恐ろしい脅威から逃げず、立ち向かえる人に。

 誰に対しても胸を張れるような、強い人になりたい。


 大学デビュー初日のあの日。

 家族が作ってくれた“お守り”を気色悪いと言われてしまったあの日。



 人が大切にしているものを平気な顔で傷つけてくる人間よりも、何よりも、寛治は――――それをへらへらと笑って受け流してしまった自分が嫌いでしょうがなかった。



 どうして一言、これは宝物なんだと言えなかったのか。

 すぐに怒ることが出来なかったのか。


 初対面の人間に嫌われるのが怖くて、言い出す勇気が持てなくて、曖昧に逃げ出した園田寛治という男。彼はそんな己自身を心底軽蔑する。

 だから探索者たちの雄姿に憧れてしまった。


 きっと、きっかけは何だってよかったのだ。

 それこそ空手でも柔道でも剣道でも、何なら書道や活け花でも。


 今とは違う何者かに成れるなら――


 そうして衝動的に通い始めたダンジョンで、寛治は再び挫折を味わう。

 いくらやる気になっても人は急激に強くなれない。へっぴり腰の剣はスライムに通用せず、逆に手痛い反撃をもらうハメになった。


 探索者協会が貸し出してくれる初心者用の装備は、万一モンスターとの戦いに敗れて紛失(ロスト)してしまっても、その証拠を示せば弁償費用を抑えてくれる。だから寛治は常に配信をつけて大阪朱雀城の一層を彷徨った。

 ノーマルスライム一匹に苦戦する彼の配信を追う者などいない。時たま冷やかしが現れて消えていくぐらい。


 やっぱり分不相応な願いだったのだ。

 自分なんかが、あの日憧れた探索者のようになりたいだなんて。


 そう思い、諦めかけていた時。



 “姿勢がなってない。顎を引いて、剣は逸らさず真っすぐに。”



 寛治のダンジョン配信に一人の視聴者が迷い込んできた。


 彼、あるいは彼女は聞いてもいないのに滔々と寛治の問題点を語り出す。

 やれ握りが甘いだの、やれ太刀筋を考えろだの、やれ腰が入っていないだの。

 思わず面食らってしまうほどの勢いだった。


「……そんなに駄目ですか、俺」


 きょとんとして聞き返すと、少しの間があってコメントが更新される。


 “駄目だね。全然駄目。あのね――”


 その視聴者は寛治のどこが駄目なのか懇切丁寧に教えてくれた。ともすれば人格否定かと思うくらいダメだしのオンパレードだった。顔も名前も知らない人間から頭ごなしに指示されて、嫌な気持ちにならない人間などいない。


 ただ寛治にとって、その視聴者は初めてコメント――自分と()()()()()()で向き合ってくれた人で、鬱陶しさよりも温かさを覚えたのだ。


 寛治には漁師の叔父がいる。

 仕事柄、一つのミスが自分や誰かの命を奪いかねない境遇は、彼を自他ともに厳しい人間に作り上げた。そんな叔父と、この視聴者が重なって見えた。

 言葉は厳しいが、その奥に相手のためを思っているのが感じられたのだ。


 都会の波にもまれ、久しく忘れていた島の風。


 だから。



「じゃあ……俺の“師匠”になってくれませんか?」



 その日以降、寛治に一風変わった師匠が出来た。

 コメント欄にしか現れない先生。

 配信者と視聴者という枠組みを越えて、二人は師弟関係を結んだのだ。


 そんな寛治の師匠は優秀で、また“暇人”だった。彼がいつ配信をつけても、気がつけばやってきてアドバイスを零す。言葉こそ辛らつだが、師匠の言う通りに動きを改善し、鍛えるようにしだすと、寛治はめきめき力をつけていった。

 剣術に限らず、戦術、どころか大学のレポートにさえ助言をくれる師匠は、分からないことなどないのではないかと思うほどだ。


 お陰で一層さえ越えられなかったのに、二層、三層と進んでいき……。


 ついに今、こうして()()()()()()()を拝んでいる。

 重たそうな石扉を前に、寛治はごくりと唾を飲み込んだ。


「……まさか本当にソロでここまで来られるなんて」


 ひと月前からは考えられなかった進歩だ。ただのスライムにさえ苦戦していたのに。

 じぃんと感動に打ち震える彼に冷ややかな声。


『当然。今の実力を考えれば、このくらい出来てもらわないと困る』


 それはコメント欄の読み上げ機能をオンにしたことによって発せられた機械音声だ。

 道中の戦闘ならまだしも、さすがにボス戦となるとコメントを確認するのは難しい。そこで師匠からのアドバイスは全て読み上げ機能を頼ることにしたのだ。


 ライブカメラから聞こえてくる声は少し無機質で、寛治の好みから外れているが、この際しょうがない。


「そうは言っても、俺にとっては大事件なんですよ! うぅ……緊張してきた」


 あらかじめ五層のボスについては調べてきたし、師匠と戦術についても話し合った。というか、一方的にレクチャーされた。

 それでも手に汗をかく。


 そんな弱気まみれの弟子に、師匠は何を思ったのか。



『――君なら出来るよ』



 淡々と打ち込まれた言葉(コメント)


 短いその一言が寛治の瞳に光を宿す。

 誰よりも全幅の信頼を置く人が「出来る」と言うのだ。


「はい……!」


 寛治は顔を上げ、姿勢を正し、ボス部屋の扉を開け放った。


 大阪摩天楼は第五層まで鍾乳洞型のフロアが続く。その終着点は、周りを水に囲まれた小さいステージのようだった。円形の決戦場へ一歩、足を踏み出す。

 途端、扉がしまって壁の松明が点燈していった。


 光の奔流が巻き起こり、ステージの中央に一つの像を編み上げていく。

 やがて生み出されたそれは――大きな水塊だった。

 丸い、つるりとしたフォルム。体内に橙色の星が泳ぐ。


 上背がある寛治よりもはるかに高く、分厚い塊を前にして、思わず声が震えた。



「これがレギオンスライム……!!」



 第五層の番人、レギオンスライム。それは言うなれば巨大なスライムだ。

 超質量から繰り出される伸し掛かりはどんな探索者をも昏倒させ、肉厚の体は生半な攻撃を無効化する。スライム種の例に漏れず、核を砕かない限り絶対に倒せない。


 そんな存在がぶるっと震えたかと思えば天高く飛び上がっていた。


 まずは挨拶代わりの押し潰し(プレス)ということか。

 事前に他の探索者の配信を見て、ある程度行動パターンを予習していた寛治は、前に出てその攻撃を避けた。


 ズゥン……――地が揺れ、砂埃が舞い上がる。


 衝撃に足を取られそうになりながら、潰れたクッションのようになっているレギオンスライムへ向かい、寛治は刃を繰り出した。


「ふっ、せ、はぁッ!!」


 流れるように三回、巨大なスライムを斬りつける。その度、剣はとぷんとぷんと音を立て、半透明の体内を通過した。


 奥の核に切っ先がまったく届いていない。

 その代わり表皮に傷をつけ、中身が外へと零れだす。このまま続けていけば、いつかレギオンスライム自体が萎んでいき、簡単に核を狙えるようになるだろう。

 もちろん、続けられればの話だ。



『囲まれ注意だからね』



 ボスの体から零れた体液が地へと流れ、蠢き、小さなスライムに変貌する。


 レギオンスライム。

 その正体は数多のスライムからなる群体生物だった。

 今この一瞬だけでも六体のスライムが産み落とされる。


 ゆえに、手をこまねいていると倒しきれないほどのスライムを生産し、探索者を圧倒してしまう。寛治は急いで小スライムの掃除に取り掛かった。


「行きます!」


 レギオンスライムを視界に入れたまま、核を持たない小さな水塊たちを斬り払っていく。スキルは極力使わない。

 体力を温存するためかつ、師匠の方針だ。



 寛治の師匠曰く、ダンジョンはスキル頼みで突き進むと()()らしい。



 スキルは確かに強力だ。だが発動中は体の自由が効かないし、なによりも行動がワンパターンになってしまう。おそらくスキルは補助輪で、レベルを上げて己の肉体を意のままに操ることこそが、この空間の“設計思想”に合っているのだ――とかなんとか。

 寛治にはあまりよく分からなかったが、感覚として、スキルに頼り切るのがよくないというのは何となく頷けた。


 だから、スキルを使わなくても倒せるような小スライムは普通に切り倒す。

 もちろん手早く敵を片付けたい時にはこの限りでない。


「っ、【受け流し(パリィ)】!」


 そして、いざという時にスキルを発動する。


 小スライムに構っている間にもレギオンスライムが止まることはなく、分体を産み落とし続けながらも、体を様々な形状に変化させて攻撃してきた。

 例えば握り拳。あるいは金槌。はたまた両刃斧。

 スライム軍団の奥から体を伸ばして凶器を振るう。


 普段から近くの敵と遠くの敵を同時に見るよう教育されている寛治は、何とかスライムたちのコンビネーションに対処していくが。



『討伐ペースが相手の生産力に追いつけていない……』



 それでも限度があって、だんだんと小スライムが滞留していく。


『ここは落ち着いて持久戦の方向に――』


 無機質なスライムの群れは寛治の心に焦りを引き起こす。

 このままではじり貧になると。


 だからつい奥の手(スキル)に頼ってしまった。



「くそっ、【弧月斬(クレセントエッジ)】ッ!!」



 左から右へ、力強く薙ぎ払った剣が三日月を描く。

 その青い寒月に飲み込まれたスライムたちが一刀の元に消え失せる。

 ぽっかり生まれた半円型の空白地帯は、まるでそこだけ齧りついたかのようだ。


 代償に、寛治の体が振り抜いた姿勢のまま硬直する。


 スキルに体を預けた後、再び自分の意思で動かせるようになるまでの僅かな時間(ラグ)

 それを見逃すほどレギオンスライムは甘くなかった。


「受け――」


 レギオンスライムの体が伸び、寛治へ向かって槍の如く突き出される。

 あたかも即席の弩砲(バリスタ)だ。


 避けられないと判断し、咄嗟に剣の腹で受けようとしたのは訓練の賜物か。

 だが勢いをつけた超質量の塊にとって、そんなものは障害にもならなかった。

 構えた剣ごと吹き飛ばされる。



「がッ……ご、げ……!?」



 衝撃。世界が回った。


 二度三度と地面をバウンドし、寛治が部屋の端まで転がっていく。

 ベルトポーチに入れた回復薬(ポーション)の割れる音がする。

 浅い水路に半身を沈め、ようやくその動きが止まった。


(や、ば……立て……な……)


 スキルを振った瞬間、自分でも失敗したと気付いた。

 だが気付いたところでどうしようもない。気がつけば地に伏せている。


 何とか頭を持ち上げると、こうしている今もレギオンスライムが次々仲間を生み出し続ける絶望的な光景が目に入った。


(師、匠……すみま……せん……)


 少し前にも早く戦闘を終わらせようとするあまり、余計なスキルを使って注意されたというのに、また同じミスをしてしまった。

 きっと師匠は怒っているだろう。


 何より呆れたに違いない。

 せっかく薫陶を授けてやったのに不出来な奴だと。



『――ごめん。これは私のミスだ』



 けれど、聞こえてきたコメントは想像とまったく別で。



『ごめん。……本当にごめん。完璧を求めるあまり、君に無理を言ってしまった。見ているだけなのに、無責任にも、君なら……と思ってしまった。傍観者のくせに、君の精神(こころ)を軽視する作戦を立ててしまった』



 どうして謝られているのか、寛治にはまったく分からない。

 いつだって師匠は正しかった。

 一人じゃ何も出来ない自分をここまで導いてくれた。


 それなのに――



『私は、師匠(せんせい)失格だ』



 一体誰が、こんな台詞を言わせてしまった?


 園田寛治。お前だ。

 お前が不甲斐ないから、師匠を不安にさせてしまっている。

 らしくない言葉を吐かせてしまっている。


 大切な“お守り”を嗤われたあの日。

 一言「違う」と言えたなら。

 もう二度と自分の大切を否定させないため、強くなろうとしたんじゃないのか。



「…………何、言ってるんです、か。師匠」



 立ち上がる。震える足を叱咤して、確かに二本の足で立ち上がる。

 自分を孤独から掬い上げ、あまつさえ見捨てることもせず付き合ってくれた、敬愛すべき師匠を安心させるため。



「俺は……まだ、負けてません……!!」


『カンジ、君は……』



 たとえ部屋を埋め尽くすほどのスライムに襲われたとしても、斬って斬って斬りまくればいい。そうすれば、いつかは終わりが来る。

 レギオンスライムの攻撃など、軽自動車に轢かれたようなものだ。トラックと比べれば何倍もマシ。息を吸うたび胸が痛むのは恐らく骨が折れているのだろう。だが、()()()()()()()


 何一つ、諦める理由になりはしない。


 つまらないプライドからくる虚勢だとしても、今が突っ張る時だ。

 押し寄せる軍団(レギオン)を前に、寛治は両手で剣を構えた。



『そうだね、まだ、終わっていない。私が間違っていた。ここからも全力で君を導いてみせる。だから――――勝とう』


「はいッ!!」



 闘志は十分、今ならどんな敵にだって負ける気がしない。


 だが現実は残酷だ。十二分に動かない体を引きずって、どう戦えば良いのか。

 分からなくても、寛治には頼もしいアドバイザーがいる。


『いい? スキルは使用禁止だよ。今の君の体じゃ耐えられない。もし使うなら、トドメのタイミングまで取っておくんだ。それから腕じゃなく、手首を意識して。幸い分体はどれも脆い。力を籠めず、斬るイメージ。いける?』

「やって、みます」

『うん。カンジ、君なら出来る』


 小スライムの群れが押し寄せる。

 寛治は小手を返し、叩くのではなく斬り払っていく。あまり力の籠っていない一撃であっても、分体を倒すには十分だった。二、三匹がポリゴンを撒き散らして消失する。その代わり飛び出してきた小スライムが寛治の脇腹に突き刺さり、みしりと音を立てた。


「かふっ!? ぐ、あぁああああ!!」


 一瞬、意識が飛びそうになりながらも、寛治は剣を振るう。

 とてもゆるやかなペースで小スライムが減っていく。その抵抗は無数に増え続ける敵を前にして、悪あがきのようにも思えた。


『引きずりながらでもいい。ボスとの距離を一定に保とう。つかず、離れずだ。離れすぎるとプレス攻撃がくる。今の君じゃ耐えられない』

「は……い……ごほっ」


 明滅する視界の中でも師匠の言葉はよく聞こえた。


 すり足で移動する寛治。もちろん、その間にも小スライムたちが襲ってくる。斬り払い、身を捩り、躱しきれない体当たりを受ける度、こみ上げてきた血を吐き出す。

 レギオンスライムの攻撃を誘発しつつも、ぎりぎり射程外に逃げられる位置をキープし続けることは至難の業だ。それでもやるしかない。


 斬って、逃げて。躱して、受けて。

 血反吐を吐いて、目を覚ます。


『頼む。……もう少しのはずなんだ』


 増え続けるスライムたちが雲霞のごとく広がり、海原を創りだす。

 荒波に呑まれないよう、ほとんど意地だけで寛治が剣を振り回す。それさえも一振りごとに体が軋む。


「はっ、はっ……」


 一秒が何十倍にも感じられる。

 もはや寛治は敵の数を減らすどころでなく、耐えるので精いっぱいだった。


 そしてついに、足の踏み場もなくなるほどスライムが生み出された時。



『――――来た』



 崩壊寸前の糸がぴぃん、と張り鳴らされた。

 力なく項垂れていた寛治は師匠の言葉に顔を上げる。


『よく我慢したね、カンジ。ちょっと予定が狂ったけど、最終フェーズだ。ここからは練習通り、()()()


 気がつけばスライムの増産が終わっていた。

 ただし、生み出された小スライムたちは今もなお部屋中に蠢いている。依然、絶望的な状況は変わらない。


「…………はい」


 朦朧としながらも、寛治は言われた通りに構えた。

 剣をゆったりと上段に構え、右足を前に出す。

 がら空きの胴体に容赦なく小スライムたちが襲いかかるも、黙って立ち続ける。



 ――そんな彼へ向かって、刹那、レギオンスライムが飛び出した。



 レギオンスライムにとって分体を生み出すことは、己の身を削ることに等しい。小スライムの群れは流れ出た血潮と同じだ。ゆえに、ダンジョンを守る数多の番人(ボス)と同じように、体力を削られたことによって、とっておきの必殺技を繰り出す。

 ここで挑戦者を屠るという覚悟。


 もはや普通のスライムより一回り大きいぐらいの体躯にまで萎んでしまったレギオンスライムは、代わりにとてつもない俊敏性を手に入れた。

 弾丸のごとく、回転しながら。

 流星のように寛治へと突撃していく――


 瞬きさえ許さない高速の体当たりは、安易に避けることも出来ない。


 だからこそ、寛治は目を見開いていた。

 どてっ腹に突き刺さる小スライムや、体を蝕む痛みも忘れ、ただただ、己に迫る流星だけを()めつける。


 全ては、この一瞬のためだけに。



「【袈裟斬り(スラッシュ)】」



 上から下へ。

 すとん、と振り下ろされた刃。


 その『断頭台』の中にレギオンスライムが飛び込んでくる。

 あたかも、図られたかのように。

 流星は寛治という引力に引き寄せられて、堕ちていく。



 ――――すぱんっ。



 起死回生のカウンター。

 蒼く輝く刃がレギオンスライムの体を両断する。体内に隠されていた大粒の核さえも切り裂いて、地に触れる直前でぴたりと止まった。


 一拍遅れて、眩いほどのポリゴンエフェクト。

 それは連鎖していき、寛治を追い詰めていた全てのスライムが光へ変わっていく。しかし彼にはその光景を楽しんでいる余裕はなかった。


「い、ぎ……が、あ゛あああああ…………!」


 スキルの動作(モーション)は怪我人の都合など一切考えてくれない。

 骨の折れた体で繰り出した【袈裟斬り】は彼に壮絶な痛みをもたらした。膝をつき、体をかき抱いて耐えるしかない。先ほどまで何とか堪えていた小スライムたちからの攻撃も、今になってボディーブローのように効いてくる。


 もはや体のどこが痛いのか分からないレベル。

 それでも――勝ったのだ。



『おめでとう、カンジ』



 己を祝福する天の声に、寛治は涙目のままピースサインを返した。


「ありがと、うっ!? ご、ございます……」


 レギオンスライムが分体を生みつくした後――体力を減らしきった後に、必ず高速タックルを仕掛けてくるのは分かっていた。本来なら初見殺しのギミックだが、既に大阪朱雀城は第五層を突破されて久しい。配信なり、データベースを漁れば予測できる。


 もちろん、分かっていても大量の小スライムに追われながら対処するのは簡単なことじゃない。それでもソロの寛治が勝機を見出すならここしかない、と初めから師匠と二人で考えていた。

 寛治が焦ったせいであやうく御破談になるところだったが……。


『本当に、本当に良く頑張った。これが生命の輝きなんだね。君は数値ばかり見て、理論に捉われた私に、啓蒙を授けてくれた。脱帽だよ』

「……なん、か、褒めすぎじゃないですか? いつもの師匠じゃ、ないみたい」

『それぐらい感激したんだよ』


 こんなにも手放しで評価されるのは珍しい。

 困惑しながらも、寛治は口元を緩ませたのだが――



『だから、もう卒業かもしれないね』



 続く言葉に、ぽかんと口を開くしかなかった。


「え、師匠……?」

『最初に見た時、君は剣の振り方も知らないような素人だった。ただ強くなりたいと願うだけの。でも君は素直で、必死で。あっという間に力をつけた。……もちろん、私からすればまだまだだけどね』


 まるで別れを告げられているようで、師匠が言葉の穂を接ぐたび、寛治は動悸が激しくなるのを感じた。



『先生として、最後のアドバイスをします。カンジ、君はパーティーを組むべきだ。そしてそこに、口うるさい()()()()は必要ない。でしょ?』


「なに……言って……」


『最近、ようやく分かってきたんだ。私の言葉は人を傷つける。よかれと思った行動は、当人にとって有難迷惑でしかなかったんだって。それでも君をここまで導くことが出来て、少し、救われた。だから――』



 その時、寛治の胸にふつふつと湧いてきた感情。

 それは怒りだった。


 敬愛する師匠にこんなことを言わせてしまった誰かへの怒り。


 寛治の気持ちを聞きもせず、勝手に決断しようとする師匠への怒り。


 そして何よりも、感謝を伝えきれずにいた自分への怒り。



「違うッ!!!」



 いつか言いたかったはずの言葉。

 ずっと腹の底にたまっていた想いが、叫びとなって木霊する。



「俺は師匠に出会って救われました! 師匠が俺を変えてくれたんです! 一人でスライムから逃げるだけだった俺を、探索者として導いてくれた! 確かに言い方はキツかったけど、でも、でも……俺は一度だって嫌だと思ったことはない!」


『それは心の均衡を保つための処世術だよ。ストレスをストレスと思わないよう、君の精神が防護していたんだ』


「ふざけないでください。俺の心は俺のものだ! 師匠、いくらあなたでもそこに土足で踏み込むのは許さない。だから勝手に俺の気持ちを想像しないで、聞いてください」



 大きく息を吸う。

 ライブカメラの向こうの、顔も名前も知らない、寛治の“大切”に届くよう。

 力を籠めて語りかける。



「誰がなんと言おうと、俺にとってあなたは……最高の師匠(せんせい)なんだ!! 絶対絶対、絶対の絶対に!!!」



 言い切ってから、寛治は慌てて胸を抑えた。

 興奮して叫んでしまったせいで、全身に引きつるような痛みが走ったのだ。


「あ、あだだっ……うぎ……! か、恰好つかないなぁ、俺。あはは……」

『…………君は本当にそれでいいの?』

「いいも何も、俺は本心を話しただけです。それにパーティーならもう組んでるじゃないですか。師匠と、俺で。それともまだ人数、必要ですか?」


 我ながら素晴らしいこじつけだ。

 そう思って、寛治はにやりと笑う。


 それから師匠が次のコメントを打ち込むまでに、だいぶ間が開いた。



『そういうのはパーティーって言わないんだよ、()鹿()()()



 画面の向こうで相手がどんな表情を浮かべているかは分からない。

 それでも言葉の端々に覗く優しさを見抜いてきた寛治だ。目を輝かせてカメラを掴むと、たまらず歓喜の声を上げていた。


「師匠~!!」

『はぁ……。言っておくけど、私は厳しいから』

「知ってます!!」

『どうだか。一人で大丈夫と大言を吐いたからには、やりきってもらうからね。まずは日々の筋トレメニューから倍にしようか』

「え、や、それは~……」

『何?』

「は、はい。やらせていただきます……」


 せっかく倒したボスの報酬(ドロップ)品を気にも留めず、話に夢中になる寛治。

 そんなものよりも大切なものが彼にはあった。


 憧れの探索者道は辛く、険しい。

 寛治はまだ山道に足を踏み入れたばかりで、行く手に峻厳な山々がそびえている。

 けれど、手を引いてくれる師匠がいる限り、躓いても大丈夫だろう。背中を蹴っ飛ばして無理やりにでも起こしてくれる。


 つっけんどんな優しさではあるけれど。

 凸と凹がかみ合うように、この日二人は本当の意味で師匠と弟子になったのであった。



 ――なお、五層を越えたことで寛治の配信には少しずつ人が訪れるようになるのだが、常駐する指示コメントに恐れおののき、誰も彼もが回れ右(ブラウザバック)したのは言うまでもない。

 師匠という名のネームド視聴者と和気あいあい会話するチャンネル主の姿も、一種の内輪ノリに見え、新規参入を妨げた。


 ただ、それでも居ついたコアなファンたちが、やがて寛治に倣って、ある一人の視聴者を師匠(せんせい)と呼ぶようになるのは、もう少し未来(さき)のこと……。


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― 新着の感想 ―
「その導きの手は最上段から差し出されたものであった」と未開生物が知ることは無い。 無いよな?オフ会に「来ちゃった☆」とか無いよな?
まあ指示厨にしろネタバレにしろ求めてないのに一方的にやってくるから嫌われるのであって、出す側と受ける側の当人同士が合意してやってる分には何の問題もないからねぇ
ハーヴェン族がダンジョンに何かしらの形で参加できるようになったら、またこの師弟コンビの話期待してます!
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