師なるもの・上(園田寛治)
――園田寛治には師匠がいる。
ごく普通の大学生である彼を厳しく導き、ダンジョンで一人戦えるようにまでしてくれた、立派な師匠だ。
言うなれば探索者の先生だろうか。
ただし、寛治はその師匠に会ったこともなければ、名前さえも知らない。
そんな見ず知らずの相手をどうして『師匠』と呼ぶことが出来るのか。
ましてや、どうやって指導を受けると言うのか。
そこにはダンジョンならではのちょっとした経緯がある。
「火スラが1の壁スラが2、麻痺スラ1、後は槍スラか……」
大阪朱雀城、第五層。
ほとんどの人間が徒党を組んで挑むその場所で、寛治は一人スライムの群れと相対し、剣を構えていた。
三か月ほど前から大阪に出現したこのダンジョンは、第五層までスライムしか出てこない。ただしその種類が豊富で、硬化したり、状態異常を与えてきたり、魔法を使ってきたりする。幸い色からどのスライムか判別することは可能で、事前に見極められるのが救いだ。
一対多でも寛治に逃げるという選択肢はない。
右半身になり少し前に剣先を出しながら、視界の端で『コメント』を確認する。
“前に言った線の意識だよ。奥の敵と手前の敵を結んで。”
探索者の常に漏れず、寛治もダンジョンに入る際は配信をつけている。大抵、同時接続者数は『1』だ。たった一人の視聴者。
だが彼にとってその一人こそが重要なのだ。
“硬化タイプは軟化タイミングが合わない限り無視。まずは麻痺から。いい?”
もはや『コメント』というより『指示』の領域。こうしたコメントは一般的に『指示コメント』と呼ばれ、視聴者が配信者の行動を強要する行為であり、忌み嫌われている。
しかし寛治は待っていましたとばかりに頷いて、力強く声を返した。
「はい!」
それから言われた通り、奥の敵――火精スライムと、手前の麻痺スライムが寛治から見て一直前上になるよう立ち位置を変える。こうすることで火精スライムの攻撃手段、火の魔法を撃ちづらくさせるのだ。
また、常に視界に入れておけば不意打ちも凌げる。
うぞうぞと蠢くスライムの群れ。まるでカラフルなグミが地面にばらまかれているようにも見えるファンシーな光景だが、油断してはいけない。
「【袈裟斬り】!」
先手必勝、まずは黄色い麻痺スライムに〈剣士〉のスキルを放つ。
青い剣閃は見事相手を両断し、核まで破壊することに成功した。ただし、手放しで喜ぶことはしない。
分割された麻痺スライムはポリゴンに変わる瞬間、辺り一面に茶色い花粉のようなものを放出した。吸い込むと、短時間体が痺れてしまう粒子だ。
あらかじめ警戒していた寛治が吸入することはなかったが、一瞬視界を塞がれる。
慌てて下がることを選択すると、一拍遅れて、彼がいた場所に槍が突き刺さった。よく見るとそれは、槍状に変化した青色のスライムだった。
刺しから戻すまでの動作が早く、攻撃は与えられない。
(……とりあえず一体)
最初の目標だった麻痺スライムは倒せた。
我ながら悪くないファーストアクションだったんじゃないか――と寛治が胸を躍らせながらコメント欄を覗く。
“スラッシュの出し方が甘い。いつも言ってる。発動時間は最小限に。”
残念ながら、書かれていたのはダメだしだった。
最も褒められることの方が稀なので、肩を落とすことはしない。
「……気を付けます」
ダンジョン内で発動出来る『スキル』には、いずれも特定の動作が設定されている。【袈裟斬り】の場合は上段からの斬り降ろし。剣を下段や中段に構えている場合、まずは自動で上へ持ち上げる時間が発生する。
極論、はじめから上段に構えておけば【袈裟斬り】の発動時間は早くなる、ということだ。もちろん常に剣を振り上げておくわけにもいかないが。
最適なタイミングに最適なスキルを打つこと。
要はそれが出来ていないと指摘され、寛治は気合いを入れ直した。
“足を使って。今休憩時間じゃないよ。”
暗に止まるなと言われ、今度は壁スライム――土色のスライム二体の方へ身を寄せていく。麻痺粒子によって塞がれていた視界も晴れてきた。
基本の教えに従って、壁スライムと火精スライムが直線状になるよう意識する。
先ほどと同じ流れなら、今度は壁スライムへ攻撃するべきだが、このスライムは全身を硬化させ、基本的に刃が通らない。硬化の切れ目に攻撃するのが普通で、無視して奥へ行こうにも体を広げ、文字通り壁のように変化して邪魔してくる。
壁スライム単体で見れば大した攻撃手段を持たない相手なのだが、こうして群れで来られると途端に厄介だ。
(スキルで無理やり突破する? いや……それだと減点され――)
迷う間に相手の方が仕掛けてきた。
火精スライムがその頭上に火の玉を生み出し、寛治に向かって打ち出す。軽い放物線を描いて、壁スライム越しに彼を打ち抜く軌道だ。
躱すのが常道だが、寛治はむしろこれ幸いと前に出た。
そして壁スライムを思い切り蹴り上げる。
「っ、上が……れぇ!」
レベルの恩恵により、下手な土嚢よりも重いそれが宙を泳ぐ。
寛治の蹴撃は壁スライムに痛痒も与えない。ただ空へ打ち上げただけ。
ただし、その航路が火球の軌道と重なった。
炎熱と衝撃。
火精スライムが放った火の玉は壁スライムに直撃し、大きな音を立てて爆発する。
「うっ……!」
壁スライムの硬化は物理的な攻撃手段に対して強くなるだけで、それ以外に滅法弱い。同士討ちの形となり、また一体スライムが減った。
以前、寛治がコメントから教えてもらった対処法の一つだ。
ソロでダンジョンに潜る以上、使えるものは何でも使わなくてはならない。
そう、寛治は一人だ。
対してスライムたちは数を減らしたものの、まだ三体いる。
火精スライムと残りの壁スライム、そして――
この動静にまったく関与していなかった槍スライムが、自身を三又の槍へと変化させ、寛治に向かって高速で飛び出していた。寛治は爆発に気を取られ、その襲撃に直前まで気付かない。彼我の距離があっという間に縮まっていく。
だが穂先が突き刺さる直前、青い剣身が翻っていた。
「【受け流し】……!」
相手の攻撃を剣で受け流す〈剣士〉のスキル。斜めに倒した剣の上を槍が滑っていく。その発動が間に合ったのは、あらかじめ寛治が中段に構えていたからだ。
盾を持たず、身一つで戦場に立つ〈剣士〉にとって、【受け流し】は数少ない防御手段だ。生存率を上げるため、このスキルだけは素早く発動できるようにしておけと、さんざんコメントに指示されて鍛えておいた成果が出た。
そしてまた【受け流し】の良いところは、そのまま攻撃に移れるところだ。
伸びきった槍スライムを両断するように寛治が剣を振るう。
「やぁ! そこ!」
たとえ二つに分かれてもスライムは核がある限り消滅しない。
地面にぼとりと落ちた槍スライムの体へ剣を突き刺し、間違いなくとどめを刺す。ポリゴンエフェクトが発生し、また一歩勝利に近づいた。
“いいね、その調子。”
コメントも珍しく褒めてくれている。
それに気を良くして、寛治は次の狙いを残り一体の壁スライムに定めた。どの道、奥にいる火精スライムの元へ行くには排除しなくてはならない。
「たぁあああああ!!」
ちょうど硬化が切れるタイミングだったらしく、突き出した剣は土色の外皮を容易く貫き、中の核を刺し砕いた。
これで残るは一体のみ。
仲間がやられる時間。それを火精スライムは無駄にしなかった。
再び赤いスライムの頭上に真っ赤な火の玉が浮かんでいる。
対して寛治が選んだのは――
「ここだ! 【疾風斬り】ッ!!」
寛治と火精スライム。一人と一匹の間にあった障害は全て取り払われ、ついに一本の線で結ばれる。そのラインをなぞるよう、寛治が勢いよく飛び出した。
【疾風斬り】は前方に向かって高速で移動し、その途上にあるものへ斬りかかる、いわば突進技だ。発動すると一定距離まで進むか敵を斬るまで止まらないので少し扱いにくいスキルだが、同時に移動速度が向上するため、文字通り疾風のように突き進む。
放たれた矢のごとく風となった寛治は、火精スライムが魔法を放つよりも先に距離を詰め――掬い上げた剣がその核を切断した。
制御を失くした火球が空中で爆発する。
「ぶわっ!?」
直撃こそしなかったが、その爆風に背中を煽られて寛治はつんのめった。転ぶよりは受け身を取った方がマシだと自ら前方へ身を投げ、くるりと一回転する。
それから念のため中腰のまま剣を構えたが、もう敵はいなかった。
「…………ふー」
深く、深く息を吐く。
緊張から解放される瞬間はいつも独特だ。全身に痺れが走ったかと思えば、血が巡るように、じんわりと体が温かくなっていく。
達成感と僅かな高揚感。
それに身を包まれながら、寛治はおそるおそるコメント欄へ目をやると……。
“最後のスキル、必要だった? 落ち着いて躱してからでも良かったよね?”
案の定、手厳しい感想にがっくりと肩を落とす。
予定では【疾風斬り】で格好良く突き抜けて、残心するつもりだったのだ。
それが無様にこけるハメになったので反論もできない。
“ま、及第点かな”
辛口の視聴者。いつ何時も寛治の配信に現れては口酸っぱく戦術について語る、ただ一人の視聴者に対して、寛治は瞳をうるませた。
「頑張ったんだからちょっとは褒めてくださいよ、師匠~!」
そう、寛治にとっての師匠とは。
顔も知らない、名前も知らない、会ったこともない師匠とは。
“駄目。君のためにならないから。強くなりたいんでしょ?”
いつも彼のコメント欄を賑やかす、一人の『指示厨』のことだった。
こっそり寛治が「コメ師匠」と呼んでいる視聴者と出会ったのは、今からひと月前。
大阪朱雀城が出来てからしばらく経った、ある初冬のこと――




