天使さま、乾杯する
始まりがあれば、終わりがある。
それはどんな物事にも通じる絶対不変の真実だ。
悠久の時を生きるハーヴェンでさえ、その真実は覆らない。
つまり何が言いたいのかというと……。
「禍つ星なる竜アリス・テスラが倒されました」
イベントの終了アナウンスは大事ってことだ。
俺の言葉は今、ダンジョンにいる全ての人間へ聞こえるようになっている。普段からシステムアナウンス――レベルアップやスキル獲得の通知――は俺の声をサンプリングした機械音声がやっているので、自然と受け入れられるはずだ。
まさか生放送とは思うまい。
「その身に蓄えられた莫大な霊子が解放されます」
要は経験値を配るよって意味なんだが、あまりに風情がないのでそれっぽく誤魔化しておく。よく考えると、地球人に対して初めて霊子の名前を出したかもしれない。案外、こういうところから真相に辿り着く人間が出てくるのかもな。
ただそれは、ずっとずっと先のことだ。
ちなみにアリス・テスラに倒されてしまった探索者にも、きちんと経験値が配られる。だからこれに懲りず、次回もぜひ参加してもらいたいところ。それに生存者しか報酬がもらえないなら、最後の光線はあまりに意地が悪すぎる。
俺は窮地を演出したかったのであって、クリア者を減らしたかったわけじゃない。
「安全圏への転送が始まるまで、後三分」
ともかく、今は難しいことを考えずに探索者たちを労いたい。
俺の用意した大規模戦闘に見事打ち勝った者たちを。
「……お疲れさまでした」
本心からそう口にして、放送を終える。
自分で準備しておきながら、最後までハラハラしっぱなしだった。
主催者としてはもちろん、一視聴者としても、二重の意味でほっとする。
そんな俺を見て笑うヤツが一人。
「おうおう、あの耕助が立派になっちまって、まぁ」
「……だる絡みは止めてください」
「そう言うなよ。褒めてんだぜ、俺は」
「嬉しくないです……」
俺にこんな口を利くヤツは一人しかいない。
思わず前世の友人である龍二を睨めつけると、ニヤニヤした笑みが返ってきた。それどころか“援軍”まで現れる。
「そうよ~。ちゃんとやってるんだなぁって感心しちゃったわ。ね、お父さん!」
「……ああ」
『レグ様はいつ何時でも素晴らしいお方デス!』
「ははは、愛されてるねぇ」
頬に手を当てのほほんと笑う母さんと、いつ見ても肯定しかしない親父。そこに同じく全肯定マシーンのフクレ、飄々としたゼル爺まで合わさって、ちょっとした混沌が形成されている。
たまらず俺は拳を握りしめて叫んでいた。
「もう! そういうの、恥ずかしいですってば!」
さておき、どうしてこのメンツが揃っているかというと……。
今、俺は龍二が経営している中華料理屋「宴龍」にいた。今日だけ店を貸し切りにさせてもらい、家族を呼んで慰労会を開くことにしたのだ。我ながらレイドイベントに向けて頑張ったしな。もちろん費用は俺持ちだ。
まぁ俺なりの親孝行というか、何というか。
アリス・テスラ戦の鑑賞も終わったので、本番はここからだ。
「さ、龍二。もういいですから、じゃんじゃん運んできてください!」
テーブルにはまだ何の料理も載っていない。
それもそのはず。ドラゴンと戦う血生臭い絵面を見ながらじゃあ箸が進まないので、ずっと注文を待ってもらっていたのだ。どうせ貸し切りだし。
「おう、腹がはち切れそうなほど食わせてやるぜ!」
龍二が腕まくりのような動作をして厨房に引っ込んでいく。
一方、テーブルでは俺の両親とゼル爺が何やら盛り上がっていた。
「うちの耕助が随分お世話になったようで……」
「ほんと、手のかかる子ですみません」
「いやいや、楽しいことばかりでしたよ。昔から身の回りのことは全部きちんとしてましたから。ただ、そうですね……あれは猫人種族の集落に立ち寄った時のことなんですが――」
あーあーあー、聞きたくねぇ!
『レグ様、レグ様』
「ん。どうしました、フクレ」
『とっても刺激的な香りがします』
「ああ、中華ですからね。辛いですよ~」
『フムム……』
手をわきわきさせ、脅すように言うと、フクレは考え込むような声を上げた。
そういえば、妖精種って辛いの平気なんだろうか。
「まぁ食べてみてのお楽しみ、ということで」
確か前、俺のラーメン道中に付き合って担々麺を食べてたから大丈夫だろう。
あの時はちょっと固まっていたような気もするが……。
母さんたちが俺の黒歴史を大公開していることから目を背け、フクレをつついて遊んでいると、一人の女性が大きなお盆を持ってこちらにやって来るのが見えた。あらかじめ下準備していたにしても、やっぱりこの提供速度が中華の魅力だな。
ただ、それよりも。
「おばさん!」
懐かしい顔を見つけて、俺は思わず腰を浮かしていた。
龍二に代わって配膳に来てくれたのは、火見晴子さん――龍二のお母さんだった。俺にとっては“龍二んちのおばさん”だ。よく学校帰り、遠慮なく転がり込んではおやつを食べさせてもらった。
そんな晴子さんは俺の呼びかけに答える前に、まず大皿をテーブルの上に載せていく。それから落ち着いて口を開いた。
「久しぶりね。耕ちゃん……って呼んでいいのかわからないけど」
「あ、あはは。何だかややこしくて、すみません」
「ううん、いいのよ。最初に龍二から話を聞いた時はびっくりしたわ。耕ちゃんが帰って来たんだって。あの子、すっごく喜んでたんだから」
ほほぉ、あの龍二がねぇ。
「お袋! 早く次運んでくれ」
「あらら、怒られちゃった」
微塵も悪いとは思っていなさそうに、晴子さんがぺろっと舌を出す。
そういえば、こういう茶目っ気のある人だったっけ。
「耕ちゃん、またいつでも遊びに来てね。ウチの杏仁豆腐、好きだったでしょ?」
「……! いいんですか?!」
「もちろん」
慣れた調子でウィンクして、晴子さんは厨房へ戻っていった。
杏仁豆腐――それは至高のスイーツだ。豆大福に勝るとも劣らない。
基本的に俺は甘ったるいものが好きじゃない。すぐに飽きてしまうというか、べたつく感じが嫌いなのだ。しかし「宴龍」の杏仁豆腐はほんのり優しい甘さで、どんな季節に食べてもつるりと喉に入ってしまう。
……あれ、でも俺、晴子さんにそれを伝えたことってあったかな。
まぁ、またあの甘味が食べられるならなんだっていいか。
なんて思い出に浸っていると――
「天使さまだ!」
「天使さま!!」
――ばたばたと騒がしい足音が聞こえてきた。
見ると、まだ小さい女の子が二人、俺の方へ駆けてくる。
顔立ちがよく似ているし、双子だろうか。
今日この店には俺の身内と龍二の家族しかいない。つまるところ、この双子ちゃんはアイツの娘というわけだ。
「ほんものだ!」
「1/1スケールだ!」
……ちょっと待て。
俺もしかして、フィギュア化されてんの!?
足元から聞こえてくる内容に困惑していると、
「こら! 杏、仁、お店では走らない! いつも言ってるでしょ!」
双子を追って、恰幅のいい女性が現れた。
言葉だけ聞くと怒っているように思えるが――
「きゃ~!」
「いや~!」
大きな手に抱き上げられた双子は、とても楽しそうに笑う。
きっと普段からこうやってスキンシップを取っているんだろう。そんな背景まで見えてくるような。
「すみません、天使さま。うちの子たちったら腕白で……」
実際に会うのは初めてだが、この人が誰だかは知っている。
龍二の奥さんだ。
「いえ、構いませんよ」
子どもは賑やかなくらいがちょうどいい。それこそハーヴェン族なんて、毎日がお通夜かなってくらい静かなんだぞ。あれと比べたら何だって騒がしい。
それに今思い出したけど、確かこの双子、俺の“ファン”じゃなかったか?
どんなに小さくてもファンはファンだ。
ここは一つ、“ファンサービス”してやろう。
そう決めて、双子の目線に合うよう腰をかがめる。
「それより、良いものを見せてあげましょう。二人とも、よーく見ていてくださいね」
そう言って俺が手の平を差し出すと、双子たちはいかにも興味津々といった様子で、キラキラとした瞳を向けてきた。
一瞬、背の翼に意識を割いて操霊術を発動する。
「3、2、1――凍れ」
ぱきぱきぱき、という音とともに薔薇が二本現れた。
茎から花まで全て氷で出来た透明な薔薇だ。
空気中の水分を集め、任意の形に凍らせる。
言うのは簡単だが、大雑把な術と違って細かい操作が必要になるので面倒くさい。
それでも“宴会芸”としてはこの上ない鉄板ネタ。
「はい、どうぞ」
触れば冷たいそれを双子の手に握らせてやる。
「ふぉ~……! マホーだ!」
「ちべた!?」
ここまで驚いてくれると頑張った甲斐があるな。
「ふっふっふっ。さ、それをあげますから、お母さんの言うことをちゃんと聞くんですよ」
「はーい!」
「ねーちゃ、とけちゃう!!」
「すご――っとと、良い物もらっちゃったねぇ。早く冷凍庫にしまいにいこうか?」
どっちが姉でどっちが妹なのか俺には見分けが付かないが。
ともかく龍二の奥さんは俺にぺこりと頭を下げて、今度こそ双子を回収していった。
……あれ? そういえば、さっきからフクレが静かだな。
ずっと俺の傍にいたと思うんだが。と見回せば、何故だか店内の隅っこに透明なクラゲがひっそりと浮かんでいるのを見つけた。
「……フクレ?」
『童は、苦手デス』
「はぁ……」
何だか珍しいものを見た気がする。
フクレにも苦手なものってあるんだなぁ。
「そんなところにいないで、ほら。そろそろ食べますよ」
そうこうしている内に、テーブルの上はもはや満漢全席だ。
早くしないと冷めてしまう。フクレを手招きして横に座らせた。
さて何から手をつけようか……。
思わずよだれが垂れそうになった時、ゼル爺がこっちを見た。
「レグ、乾杯の音頭を」
「え゛。やるんですか!?」
予想だにしていなかった提案に声が裏返る。
帰宅部を舐めるなよ。
第二の生はもちろん、前世でもそんなのやったことないぞ!?
記憶を漁れば、文化祭の打ち上げかなんかで、クラスメイトがやっているのを見たことがあるような、ないような……。
「たとえ無礼講でも挨拶は大事だよ。発起人は君なんだから」
「う……」
真っ当過ぎて反論できない。
何にも言葉が浮かんでこないが、とりあえず立ち上がってみた。
「えーと」
悩んで、視線をあちこちへ巡らせる。
にこにこして俺を見ている母さんと、その横で腕を組む仏頂面の親父。ゼル爺は静かに俺の言葉を待ち、フクレも期待するように見上げてくる。耳をすませば、厨房で龍二が鍋を振る音も聞こえた。
震災に巻き込まれ、転生して。勝手に落ち込んで、諦めて。
そんな日々が嘘だったかのような光景。
「長い、旅でした」
気がつけば俺は、そう口にしていた。
「ゼル爺からしてみれば、きっと短い航海に過ぎないでしょう。ただ私にとっては、とても長い船旅でした。迷いそうになる度、私をちゃんとした航路に連れ戻してくれたこと、ゼル爺には感謝してもしきれません」
人生は船に似ている。
浮いたり沈んだり、時には方角が分からなくて迷ったり。
でもその度、同乗する誰かが助けてくれる。
そんな都合の良い誰かなんていないと思っても、気付かないだけで、旅を共にする人たちは沢山いるんだ。
たとえ同じ船に乗っていなくても。
「私は本当にダメダメで……。一人じゃ何にも出来なくて。それでも、どうにかこうにか帰って来られて、正直ほっとしてます。きっと私はこれからも失敗するし、周りを頼ってばかりだけれど――」
大切な人たち。
その顔を順繰りに目で追って、言葉の穂を接ぐ。
「呆れながらでも、笑いながらでも。どうかそんな私と一緒に、これからも歩んで貰えると、嬉しい…………です」
この店、空調効いてないんじゃないか? 顔が暑いんだよ。
あー、もう……。
こうなったら、さっさと乾杯してしまおう。
やけくそ気味にグラスを掲げ、俺は叫んだ。
「乾杯!!」
『乾杯!』
硝子が打ち合う小気味良い音。
まだ暑い秋の一日、その音が暑気を払って賑やかな空気を呼び込む。
今だけはダンジョンを離れて、この祭りに身を委ねよう。
……昔の話は恥ずかしいから、本当に勘弁して欲しいけど。
◇ ◇ ◇
宴もたけなわとなる頃、ゼル爺が俺の横に腰を下ろした。
その席には確かフクレがいたはずだが……と思って探すと、双子に捕まってもちもちされている。助けるべきか考えていると、先にゼル爺が口を開いた。
「僕は、君のお役に立てたかい」
いつものように柔和な笑みを浮かべて、蒼い瞳が俺を見つめる。
質問の意味が分からず、小首を傾げた。
「……急にどうしたんですか?」
「いやなに、こんな老骨でも船頭の役目ぐらいは果たせたのかな。君のスピーチを聞いて、そう思ったのさ」
「その見た目で言われても……」
床まで届く艶やかな金の髪に、整った相貌。これで老いているなんて言ったら世界中の人間を敵に回すぞ。まぁ、見た目の話じゃないんだろうけど。
つくづくハーヴェンという種は“インチキ”だ。
「ははは、それもそうか」
軽快に笑う様さえ絵になる。
俺も傍から見ればこんな感じなんだろうか。
「ゼル爺はいつまで滞在する予定なんですか?」
「お、なんだい。もしかして僕はお邪魔かい? 傷つくなぁ」
「…………」
「沈黙は肯定と見なすけど」
「純粋な! 疑問です!!」
喋れば喋るほど相手のペースに引き込まれるから黙ってみたが、逆効果だった。
くすくすと笑うその様子は本当に楽しそうで。
「心配しなくても、この席が終われば僕はもう帰るよ」
「そう……なんですか?」
「うん。見たいものは見られたしね」
「はぁ……」
見たいもの。古代アセト文明の遺跡、とかだろうか。
大穴で地球人を観察しに来たのかもしれない。
あれこれ考えていると、不意に白魚のような指が額に当てられる。
「――レグ。君は今、寂しくない?」
冷たい人差し指の感触。
それが母星での生活やゼル爺との旅を思い返させる。
考えてみると、地球への郷愁は常にあって、それで心のどこかにぽっかり穴があるように感じていた。けれど心の底から寂しいと思っていたのか、今振り返ると微妙なところだ。だってゼル爺はいつでも俺の話し相手になってくれた。
友達とはちょっと違う。
一番近いところで、たぶん親のような。
「……そうですね。これで寂しいなんて言ったら、とんだ贅沢者でしょう」
ゼル爺がいてくれたから。そう伝えるのはさすがに照れ臭かった。
それでも、ありがとうを言いたくて。
「だから今、とっても――――楽しいですよ」
俺が浮かべた満面の笑みを、ゼル爺は目を細めて受け止めてくれた。
ハーヴェンの生は長い。
きっとこの先、親父や母さんはもちろん、龍二も俺を置いていく。
その未来を考えると、時々塞ぎ込んでしまいたくなる。
だけど、先の悲しみに捕らわれたってしょうがない。
たとえば、別れが悲しいから犬を飼わないとする。
それも正しい選択だ。その分、手に入るはずだった想い出は露と消えてしまう。もしかしたら辛い船旅を共にする、一生の宝物になったかもしれないのに。
俺は絶対、今日この日を忘れない。
たとえこれからどんな別れが待っていようとも――その悲しみが、今日の楽しさを欠けさせてしまうことは、絶対にないから。
ただ……それでもまぁ、思ってしまうのだ。
叶うことなら、どうかこんな日々が、永遠に続きますよう。
もし俺を転生させてくれた神様がいるのなら――




