いつも、どこかで、誰かが
その日、ありとあらゆるダンジョン保有国において――
自国の探索者、あるいは軍人たちが恐るべきドラゴンへ立ち向かっていく様相を、祈るように見守る人々がいた。誰もが固唾を呑んで映像に見入る。
祈るように、堪えるように。
――禍つ星なる竜アリス・テスラの討伐戦。
元来、それはダンジョン内の出来事である以上、「D-Live」からしか見られない。
けれどこの時だけは、とある天使さまの計らいで、テレビをつければ誰でも視聴することが出来た。あるいは空を見上げれば、そこに決死の表情で戦い抜く探索者たちの雄姿が映っていた。
普段、ダンジョンというものから距離を取って遠巻きにしている者も。
何となく、ふんわりとした知識しかない者も。
はたまた老境を迎えた者や小さな童子でさえ。
未知の世界に目を奪われる。
たとえば彼はインターネットの掲示板を介し、不特定多数の人間とともに一喜一憂しながら戦いを見守り。
たとえば彼女は傷つき倒れる探索者を見るたび、目を覆ってしまいながら、窮地を脱する度に配偶者と喝采を上げ。
昼休憩を延長して、社員一同、食堂のテレビに齧りつく会社もあれば。
炎天下の工事を中止し、日陰で空を見上げる現場や。
何度注意しても子どもたちが外を見るので、仕方なく自習にした学校など。
お祭り騒ぎで見守る国がある一方――
探索者たちの無事を祈り、聖堂で静かに祈りを捧げる集団もあれば。
ドラゴンの威容に震え、一族で身を寄せ合う村や。
兵役に就き、果ては怪物とまで戦わされることになった息子の無事を祈る親など。
静かに見守る国もあって――
国の数だけ、人の数だけ視聴者がいた。
そしてまた、視聴者の数だけ願いがあった。
特に“ダンジョン先進国”たる日本の場合は歴然で。
ダンジョン配信――探索者たちが各々のやり方でダンジョンを攻略していく記録に魅せられた人々は、誰もが興奮と少しの恐怖を抱いてこの日を迎えた。
言ってしまえば趣味と同じだ。
好きなアーティストを追いかけたり、気になるドラマをチェックしたり、お気に入りのWEB小説を見つけたりするのと変わらない。
かれらにとって、未知の異界へ潜り、成長していく探索者を見守るのは、日常を鮮やかにするスパイスの一つになっていた。
たとえば仕事で嫌なことがあったり、帰るのが遅くなったりしても。
友達と喧嘩したり、テストで悪い点を取ってしまっても。
家に帰れば“推し”の誰かが配信しているかもしれない。そう思えば気持ちが上向いて、少しだけ頑張ることが出来た。
困難な相手に立ち向かい、負けても何度でも挑んでいく。
その姿に勇気を貰えるからと。
まるでロウソクの火が移されていくように、勇気が自分の心にも灯されて、明日に向かう活力を与えてくれるのだ。
そんな火が今、世界中で燃え上がろうとしている。
ダンジョンなんてものは己が認知する“世界”の外側にあって、“無いもの”だった人々は、初めて目にする探索者たちの生き様に、知らず息を呑んでいた。
少しずつ、少しずつ、彼らの“世界”にダンジョンが近づいていく。
ゆえに、誰かが言った。
『………………負けるな』
祈るような、零れるような言葉。
きっと無意識に出てしまったそれ。
またどこかで、誰かが呟く。
『…………勝て』
手の平が真っ白になるくらい握り込んで。
瞳は常に立ち上がる背を追っていた。
いつものように、誰かが零す。
『……諦めるな』
たとえ届かなくとも、言い聞かせるように。
力強く言の葉を紡ぐ。
いつも、どこかで、誰かが――
『『『 頑張れ!! 』』』
声は一つとなって世界を揺らした。
その声援に押されるように、勇者が走る。
勇気を焔に変えて。
見る人々の心にぽつ、ぽつと明かりが灯っていく。
もう見ていられないと俯いていた者たちの瞳に、希望が宿る。
そして、ひと際眩い剣がドラゴンへと放たれ――
ついにその巨体が崩れ落ち、粒子へと変わった時。
爆発的な歓声が上がった。
あそこでも、ここでも、どこにでも。
喜ぶ人々の声が輪になって、無限に広がっていく。
禍つ星なる竜アリス・テスラは全てのダンジョンにおいて体力を共有する。
つまりこの瞬間、日本に限らず世界中で歓喜する者たちの姿があった。
一瞬なれど、ほんの僅か、世界が一つになったのだ。
それはともすれば、奇跡と呼べたのかもしれない――
歴史は語る。
この戦いはあくまでも長いダンジョン史における災禍との戦い、その“一つ目”に過ぎない。けれど、ダンジョンに対する関心を間違いなく高めた一件だ。
言うなれば人類初の月面着陸と同じ。テレビを介し、多くの人々が宇宙へ興味を抱いたように、アリス・テスラとの戦いは人類とダンジョンの距離を一歩縮めた。
それは間違いなく大きな一歩で。
とある天使さまがもたらした試練と祝福は、ここにようやく芽を出した。
ぴょっこり、瑞々しい双葉をつけて……。




