第一次災禍討伐戦・中(真久利瑛太)
禍つ星なる竜アリス・テスラの息吹によって焼け爛れた荒野。
そのただ中に、分厚い“氷壁”がそびえている。
灼熱の火炎を受け止め、役目を終えたそれが、パキパキと音を立て崩れていく。
その裏に隠れていた真久利瑛太は長い息を吐いた。
それから自身が率いるクラン「サンライト」のメンバーが全員無事なのを確認して、安堵の笑みを浮かべる。
「すまん、氷室。お前のおかげで助かった」
「い、え……ぜっ……はっ……」
あの時――空から竜の火焔が落ちてきた時。
咄嗟に仲間の〈氷結術師〉が防壁を作ってくれたのだ。
おかげで瑛太たちは何とか難を逃れることができた。
「ただ、俺……これ、で、ガス欠……です……」
「ああ、分かってる。下がって回復に努めてくれ」
どうも『術師』に分類される職業の者たちは、近接職以上にスキルの発動で神経を使うらしい。大技を放ち、へたりこんでいる〈氷結術師〉の精神力ゲージがもし見られたなら、きっとからっぽになっているだろう。
同じくブレスという大技を繰り出したドラゴンもまた、疲弊して空から落ちてきているが、まだまだ余力を残しているように見えた。
(あからさまな攻撃チャンス。ただ……時間をかけると絶対にまたあのブレスが飛んでくる。さて、どうしたものか)
深紅のドラゴン。幻想の象徴たるそれを睨んで、瑛太は顎に手を当てる。
それから〈錬金術師〉の天裡に視線を投げた。
「翼か胸、どっちだと思う?」
「翼。胸は伏せられると後衛じゃムリ」
「なるほど、確かに」
同じゲーム会社で長く苦楽を共にした二人だ。前置きのない質問であっても、即座に意図を見抜いて会話を成立させる。
もちろん、二人以外には何のことやらだ。
「あ、あの! 瑛太さん、私たちはどうすれば……?」
「っと、すまんすまん。そうだな――」
クランメンバーを代表して〈司教〉の一之瀬が声を上げる。
その質問に瑛太が答えようとして振り向いた時、ふとあるものが近くに転がっているのが見えた。
(あれは……)
どうやら「サンライト」に限らず、それなりの人間が猛火に耐えきったらしい。自衛隊の攻略班以外にも、見覚えのあるトップクランの面々たちが生き残っている。おそらく瑛太たちのように何か鬼札を切ったのだろう。
また、単純にブレスの範囲から逃れ出た者も多い。
被害は比較的『最前線組』の中で留められているように感じた。
そうして作られた生存圏に拡声器が一つ落ちていた。
拾ってスイッチを入れると、まだ生きている。
『あー、あー』
どうやら機能も無事らしい。
試しに瑛太が声を出せば彼の声が拡散されていく。そこで瞬時に頭の中でプレゼンテーション内容を組み上げた。古巣でディレクターをしていた頃から、急な会議なんて慣れっこだ。少しの懐かしさを覚えながら口を開く。
『突然すまん。クラン「サンライト」のリーダーをやってる真久利だ。俺みたいなのから指図を受けるのは癪だと思うが、聞いてくれ』
多くの探索者にとって、今や「サンライト」は憧憬の的だ。
しかし瑛太自身の自己評価は常に限りなく低い。だから謙遜でなく、本心からへりくだって話を進めていく。
『あの羽根つきトカゲは今、ブレスを吐ききって疲弊している。おそらく、落ちてきたら殴り放題――とまではいかないかもしれないが、間違いなく攻撃チャンスが来る。そうしたら、みんなで翼を狙ってくれ!』
このダンジョンという異空間は非常に遊戯らしくされている。倒した敵はポリゴンになって消えてしまう。
けれど消えるまでは現実的だ。怪我もするし、欠損もする。
『右でも左でもいい、とにかく集中して翼を壊すんだ! そうすりゃあ、もうあの攻撃は飛んでこない! 俺たちであいつを地べたに縛り付けてやろうぜ!』
本音を言えば、羽を壊したところでもうブレスが飛んでこないとは断言できない。ただ空からの一方的な攻撃を止められるだけだ。
それでも、今必要なのは悲観論じゃない。
――希望だ。探索者たちを前に動かすための。
だから瑛太にしては珍しく、大きく息を吸って、
『まだ勝負は…………ついちゃいねぇええええええええッ!!』
ありったけの大声を出すのだった。
明日の筋肉痛は考えない。
とにかく前だけを見て、瑛太はクランメンバーを率い駆けだした。
◇ ◇ ◇
再び地に足をつけたドラゴンは、息を切らしたように動きを止めていた。
これ幸いと探索者たちが片翼に狙いをつけ、ダメージを与えていく。
ただ、いくら大きな翼とはいえ高所にある。
一部の近接職はスキルを用いて離れた場所から攻撃することも出来るが、大部分はどうしたってそこまで手が届かない。そこで、そういう者たちは尾や足から巨体をよじ登り、その先で武器を振るった。
あたかも、象にたかる蟻のようだ。
「――グルゥアアアアッ!」
ただし、そんなボーナスタイムは長く続かなかった。
ついに気力を取り戻したドラゴンが、苛立たし気に体を振り回す。
ただでさえ足場が安定しないうえ、不規則に襲いかかる遠心力に探索者たちが次々振り落とされていった。
瑛太もまたその一人として宙へ投げ出され、レベル上昇による驚異的な身体能力で何事もなく地面へ降り立つ。
(さぁ、どうなる。行動パターンを変えてくるか?)
目を細め、ドラゴンの次なる行動をつぶさに観察する。
結果、選ばれたのは叩きつけだった。
前足を持ち上げ思い切り地を叩くことで、土石が勢いよく飛び跳ねる。
瑛太の職業は〈冒険者〉だ。〈戦士〉のような耐久力も、〈斥候〉のような軽やかさも持っていない。だから正面切って攻撃を受け止めるのは不可能だ。
迫りくる土石に対し、小盾を光らせスキルを発動した。
「ぐっ、【受け流し】……!」
本来そのスキルは〈剣士〉のスキルだ。剣を斜めにし、敵の攻撃を受け流して隙を作り出す攻防一体の技。〈冒険者〉ならば武器種の制限を突破し、盾で発動することが出来る。その分、安定感は増すが攻撃に移りづらい。
そんなスキルによって、何とか土石を明後日の方向へ弾くことに成功した。
(このモーションはさっきも見たな。ってことは……)
自身は積極的に攻撃せず、あくまで盾としてドラゴンの正面に構える。
囮役なんて何人いてもいいのだ。同じ考えの者たちが集って、敵の気を引くためにスキルを発動したり武具をやかましく打ち鳴らした。
いかに神話生物とて、顔の前で騒ぎ立てられるのは嫌らしい。
まるで小蠅でも打ち払うように前脚が振るわれる。
「……っぶね!」
間一髪、瑛太は巨体の下に潜り込んで回避した。
ついで上に向かって剣を振るうも、返ってきたのは硬い鱗の感触だ。
塵も積もれば何とやら――と己を慰め、可能な限り攻撃していく。
一つ動けば一つ呼吸を入れるように。敵の動きはどこか緩慢だ。
いちいち動作の終わりに分かりやすい隙が出来る。
――まるでここが攻撃チャンスと言わんばかり。
ダンジョンにはっきりとした意思があると確信している瑛太にとって、その推測は的外れでないように思えた。
(攻撃パターンはさっきと一緒だな。大ぶりな動作とこれ見よがしな隙。そんでたぶん一定時間が経ったら、また飛び立ってブレス……ってなとこか)
となれば、鍵を握るのはその制限時間までに翼を破壊できるかどうか。
悔しいが瑛太一人の力ではどうにも出来ない問題だ。
けれど、今この場にはたくさんの探索者たちが集っている。
自分よりも才気溢れる者たちが全力で足掻いている。
ならば彼らを信じるより他にあるまい。
己の無力さに腹が立つ。
「実質DPSチェックだな、クソったれ!」
それでも一つ毒を吐いて前を向いた。
クラン「サンライト」のリーダーは下を見ない。
常に冷静沈着で、仲間たちを率いる頼りがいのある男でなくてはならないのだ。
――秒間与ダメージ(Damage Per Second)、通称DPS。
それは“一秒間にどれだけのダメージを与えられるか”を数値化したものだ。主に他者と競い合うオンラインゲームにおいて用いられる概念。
このDPSを如何に上げるかだけに心血を注ぐ人間も少なくない。
時として、このDPSが関門のように立ちはだかることがある。
それが瑛太の言う『DPSチェック』だ。
たとえば強力な敵が死の間際に大技を繰り出そうとして、その技を発動させる前に倒しきらないと全滅してしまう、というシチュエーション。
たとえばフィールドに設置されたオブジェクトを制限時間内に破壊しきらないと、大ダメージを受けてしまう、というシチュエーション。
たとえば下手に攻撃を与えると、敵が変身して強くなってしまうから、そうなる前に火力で押し切るしかない、というシチュエーション。
得てして高い瞬間火力が必要になる仕掛けをDPSチェックという。
言ってしまえば一種の足切りだ。
既定の数値に届いていない場合、そこで強制的に負けが決まってしまう。
瑛太からしてみれば、今の状況は正にDPSチェックそのものだった。
ドラゴンが次のブレスを放つまでに、後どれくらい時間が残っているだろう。
分からないが、時にスキルも使って大ぶりな攻撃をいなし続ける。
戦況は安定しているが、仮初の平穏に過ぎない。
果たして、本当にこのままでいいのだろうか――
「ぶわっ!?」
考えこんでいた瑛太の後頭部にガラス瓶が命中する。
次いで中に保存されていた回復薬が飛び出して頭を濡らした。
「瑛クン、集中して。悩んでたって、ボクらに出来るコトは一つしかないよ」
「っ、悪ぃ……! 頭冷えたわ」
天裡からのアドバイスはポーションと同じく、湯だった瑛太の脳みそを冷やしてくれる。解決しない悩みに気を取られ、パフォーマンスを落とすなんて愚の骨頂だ。
少しずつ削られていた体力もこれで元に戻った。
広がった視界のおかげで、眼前まで迫っていた牙を何とか避ける。
(おー、怖)
見上げれば、そこには巨大な竜の顎門があった。
牙一本とっても自分より大きい、怪物の地獄門だ。
もしダンジョンに挑み始めた頃の自分なら、きっと腰を抜かしてしまったろう。
けれど数多の強敵を打ち払い、気がつけば平気――とまではいかないが、気力を振り絞れば立ち向かえるようになっていた。
もちろん、レベルが上がって自信がついたというのもある。
だが何より信頼できる仲間がいること。
その事実が瑛太に力を与えてくれた。
ただの一般人から探索者へと変われる力を。
「いいぞ! その調子で削ってくれ!」
瑛太たちが時間を稼いでいる間に、ドラゴンの翼はところどころ皮膜に穴が開き、何百本と矢が突き立っていた。特に右の翼がボロボロで、もはや飛ぶのに支障が出そうなくらいに傷ついている。
これならば――
「ギュオオオオオオオッ!?」
「よしっ、ぐらついたぞ! 今がチャンスだ!!」
たまらず、再び空へ逃げようとしたドラゴン。
だがその願いは叶わなかった。
後ろ足だけで立ち上がり、羽ばたこうとしたようだが、ぎこちなく翼を動かすだけに留まる。その隙目がけて近接職の探索者たちが殺到していった。
瑛太もまた股下に向かい駆けていく。
そしてふと違和感に襲われた。
(……なんだ? 熱い……? どこからそんな――)
激戦続きで体温の上がった体。それをして熱いと感じさせる熱。
気づけば隣を並走していた〈槍匠〉の小木が斜め上を指差していた。
「瑛太さん! やばいっスよ、アレ!!」
何度もタコを潰して、すっかり逞しくなった人差し指。
その先が示すのは竜の胸元だ。
ただでさえ真っ赤な鱗が今、ぐつぐつと赤熱して輝きを放っている。
地上から遥か高い場所であるにも関わらず、その熱が目に痛い。
瑛太は思わず目を見開いていた。
まるで小さな太陽だ。
(あれは――ブレスの前動作! クソ、やっぱり無理だったか!?)
翼を破壊すれば竜の息吹が阻止できるのではないか。
そんな希望的観測が打ち砕かれる。
賭けに負けたのだ――
(いや。……いや、まだだッ!)
クラン「サンライト」のリーダーは俯かない。
見るのはいつだって未来だけ。
「小木、俺を打ち上げろ!」
「は、えぇ!?」
「行くぞ!」
「……な、何だか分かりませんが分かったっス!!」
瑛太の言葉に小木は初め困惑していたようだが、すぐに力強く頷いた。それだけ彼は瑛太のことを信頼していたのだ。
小木の槍がひっくり返され、地面に対し斜めに置かれる。
本来持ち手となるはずの部分に瑛太が足を載せると――
「うらあああああ、発っ射ぁああああああッ!!」
――万力を籠めて真上に跳ね上げた。
槍の柄が頂点に達する。
その瞬間、瑛太は空に向かって跳んだ。
二つの力が合わさって、高く高く飛んでいく。
たとえ片道切符だとしても、その高度はドラゴンの胸元へ届くほど。
目を開けることさえ厳しい光と熱。
それでも瑛太は赤熱する鱗の中心点に向けて、剣を真っすぐに突き立てた。
「【渾身突き】オオオオオッ!!」
「――――――!!??」
先ほど、ドラゴンはブレスを吐くためしばらく上空に滞空していた。
つまり“溜め”が必要なのだ。
胸元で熱を貯め、一気に口から放出するための時間が。
本来なら誰にも邪魔されない領域で、ゆったりと準備するそれ。
だが王者はもはや地上に縛りつけられた。
瑛太が繰り出した刃は、本来〈槍士〉のスキルとはいえ、ドラゴン自身の熱により脆くなっていた鱗を突き破る。
結果――――大爆発が起きた。
ガス袋でも破いてしまったか。
そんな考えが、どこか他人事のように瑛太の頭を過る。
そして次の瞬間、彼は爆発に巻き込まれて吹き飛んでいた。
「瑛太さん!!」
誰かが叫んでいる。一之瀬か、はたまたクランの誰かか。
まさか天裡ということはないだろう。
――〈冒険者〉というのは器用貧乏な職業だ。
爆発の衝撃で、今瑛太は指一本動かせない。もはや消失を待つのみ。
もしもっと頑強な職業なら耐えられただろうか。
クランメンバーたちは皆、生産職を除いて次々上位の職業へ進化していった。〈癒術師〉なら〈司教〉に。〈槍士〉なら〈槍匠〉に。〈氷術師〉なら〈氷結術師〉に。そんな中で〈冒険者〉は相変わらず〈冒険者〉のままだ。
瑛太が当初予想した通り、中途半端の中ぶらりん。
きっとこの先、どんどん距離が離されていくだろう。
リーダーがもっと強ければ上を目指せたのに、なんて。
それでも、だからこそ、今だけは――
「…………ま、だだ……!」
不甲斐ない姿は見せられない。
歯を食いしばり、萎える体を叱咤して。
まるで血を吐くように、瑛太はあるスキル名を口にした。
「……【起死回生】ッ!!」
しかして、奇跡は顕現する。
爆発により焼け爛れた皮膚。ちぎれかけた手足。
それらが全て綺麗さっぱり修復されていく。
あたかも、時計の針を巻き戻すがごとく――
【起死回生】。それはレベル20にしてようやく覚えた〈冒険者〉専用のスキルだ。
一日に一度だけ、使用者の肉体を冒険前の状態に戻す。
たとえどんな傷を負い死の淵に追い込まれようが、そこから這い上がり、再び困難へと立ち向かう力を手に入れる、正に起死回生の必殺技だ。
ただ、こうしている間も瑛太は空高くを飛んでいた。
(落下ダメージは……どうする!?)
このままだと地面へ勢いよく叩きつけられる。
せっかく回復した体がまたズタボロになりかねない。手持ちのスキルで何とか勢いを軽減できないか、考えている間にどんどん高度が落ちていく。
もはや覚悟を決めて着地するしかないか。
そう瑛太が腹をくくった時だった。
「大丈夫! 何故って、僕がいるからね! そぉれ、【飛翔台】!」
突然、瑛太の着地点に円形のマットが現れる。
やけにファンシーな絵柄のそれはスプリングを搭載していて、瑛太を柔らかく受け止めると、もう一度空に跳ね返した。
「うおわぁ!? な、なんだぁ!?」
驚愕しつつもすぐに姿勢を制御し、もう一度マットの上へ降り立つ。そこから綺麗なひねりを入れて、瑛太が今度こそ地面へ着地する。
体操選手もかくやというパフォーマンスだ。
そんな彼を祝福するように、パチパチと手を叩きながら一人の男が近づいてきた。
「いやはや、素晴らしかったよ! さすがは音に聞く旭日の筆頭だ!」
「あんた……確か円卓の。アーサーさん、だったか?」
「イエス! 英雄は英雄を知る、ということだね」
「お……おう」
現れたのはクラン「†円卓の騎士†」のリーダー、アーサーだった。
一応、瑛太も配信で何度か見たことがある。
「このスキル、あんたが? だとしたらすまねぇ、助かった」
「フフッ。気にしないでくれたまえ! 助かったのはこちらも同じさ。君のおかげで獄炎の焔を浴びずに済んだ。僕ぁ熱いのが苦手でね!」
「はぁ……」
「それに――」
完全に動きを止めて立ち尽くすドラゴン。
その体はくすみ、鱗の隙間から血が流れ出し始めている。
けれどまだ健在だ。その証拠に大地を揺るがす咆哮を上げ、群がる人間を蹴散らすように尾を振るった。
そんな暴虐の途に剣を向け、アーサーが言う。
「貴方の言葉を借りるなら、まだ勝負はついちゃいない。……そうだろ?」
その顔は不敵な笑みを浮かべ、どこかこの状況を楽しんでいるようにも見えた。
カラーコンタクトの奥、燃える闘志が瑛太を射貫く。
「さぁ、紡ぎにいこうよ。僕らの英雄譚を!」
「……生憎ゲームの作り過ぎで、英雄がどうこうってのは聞き飽きててな。俺はコツコツやるのが性に合ってんだ」
一つ危機を乗り越えても戦いは終わらない。
ある者は絵巻物の主人公に憧れ。
ある者は明日生きていく糧のため。
目的は違えど、今この時だけは道を同じくして。
大竜を討ち果たすべく、彼らは互いの武器を打ち合わせた。




