天使さま、訪問される
ダンジョンの魅力を発信する。
それは言い換えれば、ダンジョンからどんな恩恵が得られるか知らしめる、ということに他ならない。その代表例がポーションだ。現在この地球上で治せないと言われている病も、ポーションの力を持ってすれば一発で治せる。
知れば誰もが欲しいと思うだろう。
だから振り撒いた。
もちろん対象を絞って選んだうえでだが、奇跡の生還を果たした人々を見て、みんなこう思ったはずだ。
――こんな便利なものがあるのに、何で出回ってないんだろう、と。
まぁ今回俺が各地で振舞ったのは『上級ポーション』だから、レベル1の〈錬金術師〉でも作れる『初級ポーション』とは別物なんだが……。
ともかく、ポーションに限らず地球人の欲求を刺激するため、世界各地でいろんな“広報活動”に勤しんだ。これまでダンジョンにあまり興味がなかった人でも思わず目を向けてしまうように、あくせく働いた。
たとえば環境汚染の酷い土地に赴いて浄化したり。
美味しい“試供品”を提供してみたり。
原油価格の高騰に悩む国々で霊子核――魔石がクリーンエネルギーであることをこっそり宣伝したり、魔法に憧れる少年少女たちの前で操霊術を披露したり、もはや敵う者無しと豪語する格闘家をしばいてダンジョンに行けばもっと強くなれるよとささやいたりした。いや、最後のはちょっと広報活動と関係ないかも……。
とにかく! きっと今まで以上に世論はダンジョン開放へ傾くだろう。
法律や常識の壁に阻まれていたダンジョンから産出される品々も、その声に押されて流通されだすに違いない。
最初は『初級ポーション』ですら高値がつくかもしれないが、需要が生まれれば供給――探索者も増えるはず。
種は撒いた。だから後は各国、好きにしてくれという感じだ。
まぁ日本は大丈夫だろう。
あの浦梅総理がいるし。
「んー……さすがにくたびれましたね」
『ハイ。お疲れさまデス、レグ様』
「フクレこそ、よくサポートしてくれました」
『恐縮デス』
そんなこんなで、今日の仕事を終えて俺とフクレはロゼリア号に帰還した。
伸びをしてお互いに労い合う。
「頑張ったご褒美にアイスでも――」
ひとまず食堂に腰を落ち着けようか。
そう思い歩いていた俺は、思わず目を見開いた。
何故ならそこに“先客”がいたからだ。
「やぁレグ。おかえり。元気にしてたかな?」
床に届くほど長い黄金の髪。穏やかで春の海のような蒼い眼差し。ただそこに立っているだけで荘厳な宗教画になってしまう老天使。
衝撃から我に返るまで三秒かかった。
慌てて、その名前を口にする。
「ゼル爺!?」
遠い母星にいるはずのゼル爺が、当たり前のような顔をして俺を出迎えていた。
しれっと同居人みたいなことを――いや、元はといえばこの船はゼル爺のものだから、俺が邪魔している立場なのか……? 駄目だ、こんがらがってきた。
とりあえず話を聞かないと。
「どうしてここに……?」
「それは理由かな、それとも方法かな」
「……両方です」
「じゃあ方法から。でもその前に、とりあえず座りなよ」
勝手知ったる我が家という風に促され、大人しく席につく。
その対面にゼル爺も腰かけた。
フクレは……と思って見回すと、姿が見えない。ただすぐに理由が分かった。
『お茶デス』
「ありがとう、フクレ。君も息災だったかな」
『ハイ、過分なお気遣い痛み入ります。レグ様のおかげで、とても充実した毎日を過ごしております』
「うん。それは重畳」
俺とゼル爺、それぞれの前にフクレが湯飲みを置く。ロゼリア号に全然食器がないことに気づいた俺が母さんに泣きついて譲ってもらったものだ。まさか早速来客が来るとは思わなかったけど、役に立ってよかった。
一口すすって、ゼル爺が話を戻す。
ちなみにフクレは静かに下がってまた視界の外へ消えていった。
「まずどうやって僕がここへ来たのかだけど、前にも言った通り、君にあげたその小冠は目印なのさ。だからそれを起点にして〈姿うつし〉でここまで来たんだよ」
「はぁ……」
自分が知っている場所でさえあれば、いつでも瞬時にその場所へ移動できる。それが〈姿うつし〉という操霊術だ。俺には使いこなせない。
ゼル爺は今ロゼリア号が錨泊しているこの地点に来たことはないはず。そこで、どうやら俺の頭に乗ったこの小冠を利用したらしい。
「次に理由。レグ、君にファンレターが届いているよ」
「ふぁ、ファンレター!?」
「あのサイト……『D-Live』といったかな。ごく一部の子たちに限るけど、夢中になってよく見てるよ」
「え、同族がですか?」
マジか。見る人なんてほとんどいないだろうと思ってたのに。
だって外界に興味がないから年中引きこもってるような種族だぞ。
……それも惑星規模で。
「正直ピンとこないのですが。だって娯楽が欲しければいくらでもアーカイブから引き出せるじゃないですか」
「そうだね。でもあの子たちにとってアーカイブは既知のものなんだ。レグ、君は映像作品を見たことがあるかな?」
「……多少は」
「だったら、事前にあらすじを全部知っている作品を見ようと思ったことは?」
問われて、少し考える。
映画はちょっと自信がないけど、ゲームだったらまぁ無くもない。広義の意味でゲームだって映像作品だろう。実況動画から興味を持ってプレイした作品のいくつかは動画で先にエンディングを見ていたから、ネタバレ後に触ったと言っていい。
「……あります」
「それは何故かな。だって先の展開を全部知ってるんだよ」
「うーん……。聞くのと見るのとではまたちょっと違うから、ですかね」
映画なら役者の細かい演技や空気感。音の使い方、演出など。
ゲームなら自分だけのプレイ体験。
とにかく触れてみて初めて分かることもある。
ストーリーが要のゲームでも「ここが伏線だったのか」と感心したり、な。
「そう。知識とは体得して初めて自分のものになる。君の言う通りだ。だけど僕らの同胞は案外、それを見落としているのさ。一見、天地万物の理を知っているように見えて、その実、知っているだけ」
ゼル爺が目線を落とす。蒼い瞳に影が差した。
「ただ膨大な書物に埋もれているようなもの」
この宇宙広しと言えど、神族を捕まえてここまで悪し様に言えるのはゼル爺くらいなものだろう。俺は終着点が気になって、じっと押し黙っていた。
「だから君の提供したコンテンツはあの子たちにとって衝撃だったんだ。未開の惑星。そこに暮らす人々。生き抜き、足掻こうとする意志。ただ知っているだけだったそれを目の当たりにして、心が動かされたんじゃないかな」
「私は何となく、出来たらいいなで始めたんですが……」
それなら俺の活動を母星に届けた意味もある、のかな。
ゼル爺はごく一部と言っていたから、きっと大したことじゃないのかもしれない。それでも不思議な達成感が湧いてきて、少しだけ口元を緩めた。
「中には自分もダンジョンに行ってみたいって子もいてね」
「え゛」
ちょ、ちょっと待ってくれ!
ハーヴェンなんか来た日にはウチのダンジョンなんて一瞬で踏破されるぞ!?
いやクリアするだけならまだ良い、最悪空間ごと壊されるかも……。
「ははは、そんな嫌そうな顔しないでよ」
そう言ってゼル爺が俺の顔をむにむにと揉んでくる。
しまった、つい本音が。
「もうっ、子ども扱いしないでくださいってば!」
「ごめんごめん。困るだろうなと思ったから、先に僕だけで来たんだよ」
「それは……ありがたいですけど……」
確かにある日急に同族がやってきて、ダンジョン入らせてよ! と言われても困る。うちは神族さまの遊び場じゃないんだ。
「普段、操霊術なんてあんまり使う機会もないからね。映像を見て、自分だったらもっと上手くやれるのに、とやきもきしちゃったんじゃないかな」
そんな、人のプレイ動画を見て俺の方が上手いって思うみたいな……。
ああいうの、大抵自分でプレイしてみると思ったより難しくて驚くんだよな。
でも文明レベル0の地球人と文明レベル5のハーヴェンじゃ、いくらなんでも土俵が違い過ぎる。勝負にすらならない。
「えーあーうーんと……レベル制限をかけて能力を抑えるのは当然として、羽も隠してもらわなきゃいけないですよね。そもそも地球の常識から教えないとですし、操霊術もどこまで許可するか……。うーんうーん、あっ! いっそ専用職を用意するなんてどうでしょう。たとえば〈天道士〉とか。そうすればちょっとくらい術が使えても怪しまれないでしょうし、レベルが上がるにつれて制限を外すという形にすれば――」
ついついダンジョンに関するいつもの癖で、アップデート案が思い浮かんでぶつぶつ呟いてしまう。こういう時、大抵フクレが相手をしてくれるのだが、
「楽しそうだね、レグ」
今日は代わりにゼル爺が止めてくれた。
「あっ。そ、その、前向きに検討してみます」
「うん、よろしくね。これはきっと君にとっても良い経験になると思うから」
「……正直頭が痛いです」
そもそも地球は文明レベル0の星。正規の開拓者でなければ、基本的に誰であっても干渉することは禁じられている。だから母星から同族がやってきたとして、体面上は入植者として扱えばいいんだろうか。
まぁ神族だからでゴリ押せるような気もするが……。
「レグ」
不意に名前を呼ばれ、額を押さえていた俺は顔を上げた。
「また一段と良い顔になったね」
……本当に、この人は俺をよく見てくれているんだな。
穏やかな眼差しに、浮かんだ微笑。
ゼル爺は時々俺をこんな目で見つめる。その度、何かくすぐったい気持ちにさせられるのだ。そのくすぐったさを誤魔化すように口を開く。
「そう……でしょうか」
「案外自分じゃ分からないものだよ」
「…………私も。私も、ゼル爺に伝えなきゃいけないことがあるんです」
きっとゼル爺なら大丈夫。
そう思って一度大きく息を吸ってから、
「――私に前世の記憶があるといったら、信じてくれますか?」
いつか話したい、話さなくちゃいけないと思っていたワードを繰り出した。
思いのほか緊張しなかったのは……きっとフクレのおかげだろう。
◇ ◇ ◇
かつてこの地球という星で17年間暮らしていたこと。
震災で死んだと思ったら、ハーヴェン族に生まれ変わっていたこと。
前世の故郷へ戻るため開拓者になろうと思ったこと。
その全てを聞いてゼル爺は深く頷いた。
それからゆっくりと言葉を紡ぐ。
「話してくれて、ありがとう。君のことがよく分かったよ、レグ」
何となくゼル爺は驚かないんじゃないかと思っていた。
泰然自若として、どんな事にも動じないような人だから。
「……やっぱりゼル爺も驚かないんですね」
「というと?」
「フクレにもこの話をしたんですけど、それがなんだと言わんばかりの反応で。普通はこう、もう少し疑ったりするものでは? 私がおかしいんでしょうか」
「なるほど。それはもしかしたら、精神性の問題かもしれないね」
精神性。確かに俺はハーヴェン族の心理をきちんと理解しているとは言い難い。
思わず鸚鵡返しする代わりに首を傾げた。
「君の話を聞くに、この星では前世の記憶を持つこと――君の言葉を借りるなら“転生”はあり得ない事なんだろう。もちろん、僕もそんな話は聞いたことがない。けれどレグ、思い返してごらん。僕たち有翼人種にとって“死”とは何だい?」
悠久の寿命を持つハーヴェン。
決して不死身ではない、けれど不老の一族。
そんな神族にとっての死とは――
「霊樹に還ること……?」
己自身を霊子に分解し、世界に溶けることだ。
この死をハーヴェンは霊樹に還ると呼んでいる。
「そう。霊樹に“還る”んだ。消えるでも、一つになるでもなく」
「還る……。なら、その先は」
「意識してのことか、あるいは無意識かしらないけど、僕らはきっと昔から、気の遠くなるような先祖から、魂は巡るものだと考えてきたんじゃないかな」
その話を聞いて、俺は前世、国語の授業で聞かされた話を思い出していた。
おじいちゃん先生で、普段は教材を順番に読むだけのつまらない授業。夜更かししてゲーム三昧だった俺はしょっちゅう居眠りしてたけど、たまに話してくれる雑談が面白くて、そればかりが記憶に残っている。
何でも、その先生曰く「言葉は継がれる」のだそうだ。
分かりやすいのは故事成語で、“塞翁が馬”のような人物名を冠する言葉は、たとえその人間が亡くなったとしても一緒に消えたりしない。誰もその人の顔も、名前も、功績も忘れたとしても、誰かが口にする限り言葉として残っていく。
薬や花の名前だってそうだ。
だから一見すると神様のようなハーヴェン族でも、過去誰かが、あるいは誰もが唱えた言葉を連綿と受け継ぎ、知らず知らずの内に使ってきたのだ。もしかしたら当初の思いと意味が変わっていたとしても。
「フクレもまた、そんな僕らハーヴェンという社会の中に組み込まれた妖精種だ。なら似たような死生観を持っていても不思議じゃない……のかもね」
「そういうものでしょうか?」
「もちろん、これはただの推測さ。それに、一番は納得の方が大きいよ。君に前世の記憶があるならば説明がつく点が多いもの」
「う……」
一応隠していた手前、引け目を感じる。
ゼル爺の視点からすれば俺は大層変な存在に映っただろう。推理ゲームの第一話の犯人かってくらい怪しかったはずだ。それなのに細かいことを言わず、鍛え、送り出してくれたことには感謝しかない。
たぶん、俺は一生この人に頭が上がらないんだろうなぁ……。
なんて思いながらゼル爺を見つめていると。
「…………そうか。それで、僕は」
口元に手を当て、僅かに目を見開いて何事か呟く。
いつも穏やかな笑みを浮かべているゼル爺にしては珍しい表情。
何だか気になって問いただそうとしたが――
「そうだレグ。君、もう遺跡は探索したの?」
不意に飛び出してきた言葉にぽかんとする。
まるで今日の晩ご飯は何かとでも聞くかのように。
「へ……?」
遺跡。大昔の人が遺した建物のこと。
もちろん言葉の意味は知っている。問題は何でそんな話を急にしだしたのかということだ。きっと今俺の頭上には疑問符がいっぱい浮かんでいるだろう。
だから大人しく続きを待ってみたんだが。
「――“古代アセト文明”の遺構。この星にもあるでしょ?」
結局聞いてみたところで、俺はより一層混乱するハメになるのだった。