天使さま、広報戦略を立てる
「そろそろダンジョンにも広報戦略が必要かもしれません」
ロゼリア号の食堂兼リビング。
手慰みに遊んでいたゲームのコントローラーを置いて、俺はそう切り出した。
隣にはいつものごとくフクレ――クラゲ型の妖精種がいて、こちらを見上げている。いつもの場所に、いつもの取り合わせ。
『広報戦略、デスか?』
こてん、とフクレが頭を傾ける。
最近、この愛らしい従者は俺の遊びに付き合ってくれるようになった。
といっても大体は“接待プレイ”だが。俺に勝ちそうになると、露骨に負けようとしてくるのだ。いや、下手くそか! と何度心の中でつっこんだか知らない。
初めの数プレイは知識差で俺が勝つのだが、しばらくすると仕様を完全に理解したうえで、最強CPUもかくやという反応速度と操作性を見せてくるのだ。世が世なら天下を取っていただろう、恐ろしい腕前である。
ある時は往年の格闘ゲームで俺が基本コンボを披露してドヤっていたら、反撃確定フレームを覚えてマジレスコンボで返してきた。
かつて“激安の殿堂”と呼ばれたこの俺を打ち破るとは大したものよ……。
まぁ絶対に最後の最後で勝ちを譲られるんだが。
ともかくとして。
『喧伝するまでもなく、既にこの星の住人たちはダンジョンを認知しているように思うのデスが……』
「そうですね。あくまでも存在だけなら」
『そういう言い方をされるということは……もっとダンジョンの内面を知って欲しい、ということでしょうか?』
「そう! まさにその通りです」
ぴん、と人差し指を立てる。
「思うに、今のダンジョンは私たちが思っているほど人々に理解されていません」
この考えに至ったのは母さんと話してからだ。
母さんはダンジョンをどこか遠い国の出来事のように思っていた。でもそれは母さんが世情に疎いからじゃない。おそらく地球に住む大多数の人にとって、ダンジョンはまだ『よく分からない』ものなのだ。
ダンジョンが家のすぐ近くか日常的に通える場所にある人たちからすれば、ダンジョンは会いに行けるファンタジーかもしれない。だが近郊に住んでいない人間からすれば、ダンジョンはニュースや新聞で目にする存在でしかない。
何か凄いらしい。その程度だ。
――たとえば点字ブロックがあるとする。
もしその上に自転車が停められていたら、どう思う? 危うく目の見えない人がそこを通りかかって、転んでしまうかもしれない。危ない。迷惑だ。この自転車の持ち主はなんて悪いやつなんだろう!
とまぁ、こんな感想を抱くはずだ。
けれど彼あるいは彼女は、悪気があってそこに自転車を停めたんじゃない。彼らにとって点字ブロックは『自分の世界に存在しないもの』なのだ。
点字ブロックの意味を知っているか、知らないかは関係ない。
自分と関わりのないものだから、ひたすら意識の外にあるのだ。だから自分が自転車を停めることで何が起きるかなんて考えない。そこは――彼らの“世界”では――ただの路面なのだから。
そして、今のダンジョンもこれと同じ状態にあるんじゃないかと思う。
「ダンジョンだけに目をやれば、なるほど、この星は空前のファンタジーに湧いているように思えます。けれど探索者やそれに関わる人たち以外へ目を向けると、皆、一歩距離を取っている。……まるで、別世界の出来事かのように」
『フムム。しかし、それは仕方ないことなのでは?』
「もちろん、興味関心を何に向けるかは人それぞれですよ。ただ現状は攻略に支障が出るレベルなんです」
はっきり言おう。
俺は地球にダンジョンをぺいと置けば、後は勝手に盛り上がるだろうと考えていた。
だってリアルファンタジーだぜ?
でも、前にも言ったけれど、人はみんな大事なものが違うのだ。
「ダンジョンが活気づけばそれだけ地球の文明レベルは1へ近づいていく。そのためにもっともっと、今よりももっと、ダンジョンへ人を集めたいんです」
『なるほど、だから広報戦略なのデスね』
フクレの問いに頷いて、そのぷるぷるの傘をつつく。
「一応、速攻で効くカンフル剤がないわけでもありません。それは、ダンジョンの数を増やすということです。身近にダンジョンが出来ればさすがに自分事として捉える人も多いでしょう。けれど管理の手間が増えますし、根本的な解決にならない」
以前、まともにダンジョンを攻略する気のない国から“見せしめ”でダンジョンを消したことがある。あの時消したダンジョンは、最近少しずつ再設置を始めた。たとえば華国にあった朱と碧の城型ダンジョンは大阪に置き直したし、他もいくつか。
あくまで再設置であり、新規作成ではない。
「それに私は、秩序の崩壊を招きたいわけでもありません」
いたずらにダンジョンを置きまくっても、国が管理できない“野良ダンジョン”が誕生するだけだ。なし崩し的に国民総探索者社会が来るかもしれないが、その分モラルの低下は避けられない。
さすがに世紀末にはならないだろうが……。
俺は秩序側でも混沌側でもなく中庸なのだ。
それに、誰も彼もがモンスターと戦う覚悟を持てるわけじゃない。普通に考えれば心理的障壁が大きいのはすぐ分かることだ。今のダンジョンは人一倍好奇心が強かったり、何かしらの事情を持った人たちが、おっかなびっくり触っている状態。
安全だという確証が持てたうえで、益があると分かれば、その時はじめて本当の意味で開かれる。
現時点でダンジョンを増やしても、それはいたずらに混乱を招くだけじゃなく、すかすかの箱になるだけだ。少なくとも、俺はそう考えている。
「だから、ダンジョンに行くとこんなに良いことがあるんだよーと宣伝するわけです」
『なるほど! 前にレグ様がおっしゃっていたことデスね! 強制するのでなく、自発的にやらせた方がモチベーションにつながると』
「……そんなこと言いましたっけ」
ぱっと思いつかないということは、たぶん、あれだ。
俺は結構、前世のことを誤魔化すためにフクレへそれっぽい台詞を吐いてきたから、記憶にないだけで言ってたんだろう。
「でも、その通りです。最終目標は今よりも人々が自発的にダンジョンへ向かうこと。そのためにも、まずはダンジョンの魅力を発信して、未だに動きの鈍い国やこの世界の“常識”にゆさぶりをかけましょう!」
この地球に似非ファンタジーを持ち込んで――管理者になって、早半年。
はじめ日本だけだったダンジョンの開放も、最近は後を追う国が増えてきた。
けれど俺からしてみればまだ足りない。
もっともっとダンジョンへ前のめりになって欲しいんだ。
だって、日本でさえまだ『ポーション』が市場に並んでいない。
法律の問題があるのは分かるけど、いい加減この状況にも飽きてきた。
何ならダンジョン産出品の流出は日本よりも他国の方が多いくらいだ。ただし、どこもブラックマーケットなんだけど。“盗掘”で捕まった人もいるくらい。
そんな昨日に、さよならだ。
「広報大使はもちろん、私がやります」
毎回毎回自分で言うのも恥ずかしいが、俺は超絶美少女だ。
キャンペーンガールとして千年に一度の逸材といっても過言じゃない。
……まぁ性別なんてないんだが。
「宣伝部長はフクレ、あなたに任せました」
『ハイ!』
「久しぶりに外へ出ますよ。最近は実家へご飯を食べにいくのと、ラーメンの食べ歩き以外引きこもってばかりいましたからね」
もしかして俺、地球に戻ってから食べてばっかじゃないか?
「さぁ、派手に動きますよ!」
日本の暦は秋。そう、食欲の秋だ。
だったらちょっとくらい欲望に負けて食べまくってもいいだろう。
ちょっと、くらい……。
あれ、二の腕が心なしかぽよんと――




